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老障介護、恒例のクリニックつきそい。

長女は一カ月に一度、クリニックに行きます。
クリニックの入っているビルの一階エントランスには、大衆演劇のポスターが月替わりで、展示されています。
毎月、どんなポスターが貼られているのか、長女も私も、とても楽しみにしています。
今朝の長女は少し躁状態で、イライラしていました。

「きょうのしゃしんはキティちゃんだよ。」と大声で言います。とにかく躁状態の時は声が大きい。声がかれるほど。
大衆演劇のポスターだから着物を着た役者さんの写真に決まっているのに、長女は大きな声で、何回も言います。
「キティちゃんじゃないの。」「キティちゃんだよ。」


こういう時は、違うでしょうなんて、間違っても言ってはいけないのです。
「へえ」とか「そう」とか当たり障りのない、相槌を打ち続けますが、私もだんだん疲れてきます。とにかく、大声に耳が疲れ、同じことを何十回も繰り返す長女の声に心がささくれ立ってきます。


家を出てからここまでくる間にも、疲れることはたくさんあって
「ああ、少し黙ってくれないかな。少し、声を小さくしてくれないかな。」とずっと祈るような気持ちで電車に乗ってきました。
長女はまず、最初の駅についてすぐトイレに行きます。
そのあと、乗り換えの駅に着くとまたトイレに行きます。
緊張が強いせいか、出かけるときは頻繁にトイレに行くのです。
トイレから出てくると、大きな声で
「おまたせえ。」と言います。何回も、何回も。その都度、
「はい。」とか「わかりましたよ」とか返事するのですが、かまわず、大声で続けます。
「おまたせえ。」と言います。
駅にいる人たちの中には、大笑いしている人も、苦笑している人もいますが、長女はお構いないしです。
でも去年、道を歩いているときに、こわもてのおじさんに
「声が大きいんだよ!」と面と向かって言われたことがあります。
でも、長女はお構いなしです。
躁状態の時は、自分が世界の中心で、自分が一番偉くて、声が大きくて、多弁で、いらいらして、母親に絡んでくるのです。

えんやらこ、やっとこさ、クリニックに着きました。
もちろん写真は着物を着た役者さんでしたが、長女は無視していました。
本人もキティちゃんではないってことは、わかっていたんだと思います。
今はどこの病院も、まず、検温ですが、私はもう、長女のイライラが伝染し、ぐたぐたになっていたので、50度くらいまで、発熱しているのではないかと思いましたが、平熱でした。はぁ~とため息がでました。診察前から疲れてしまっています。

診察の予約はなるべく、9時の一番に取るようにしています。長女は「待てない人」なのです。特に躁状態のときは。

さて、番号を呼ばれて診察室へ。

主治医の先生は、かならず、長女のほうを向いて質問をしますが、今日の彼女はご機嫌がよろしくないようで、お返事をしません。それで、母が最近のことを話します。

この数日、いらいらがひどくなり、大声、多弁になってきたことを報告。先月の血液検査の結果を聞いて、最終的には、夜寝る前の服薬量を、去年の今頃と同じに増量することになりました。

昨年の夏も、イライラがひどく、就寝前の服薬量を増やしたのですが、その後、今年になって、量を減らしていたのです。

なかなか、減薬が進まず、減らしてみたものの、やはり、しばらくして、元に戻すというような繰り返しです。でも、数年前のような、入院するほどの状態になっていないのが救いといえば、救いです。

躁の波があまりに大きくなってしまうと、生活が成りゆかなくなります。多少の気分の波はあっても、それなりの波であってほしいです。

まず、この数週間、私自身に悩みがたくさんあって、つらい状態で表情が暗かったこと。このような、母親の状態の変化には、長女はとても敏感なので、自分の心のメンテナンスをしていこうと、毎度のことながら、切実に思いました。これが一番難しい。

診察室から出た長女は、いらいらしています。自分のことを先生と母親が、話しているのを聞くのが、彼女にとっては大きなストレスになります。

「おかあさん、せんせいとなにはなしてたの?」と速攻で聞いてきました。

薬局で薬を受け取り、バスと電車に乗って、通所介護に向かいます。通院を終えて安心したのか、駅のエレベーターの中では、大きなおならを、二つしました。私たち二人しかのっていなくてよかった。こころなしか、躁状態のおならは大きい音でした。


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