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特別支援学校のスクールバス

毎朝、生活介護の通所に通う知的障害の長女を、最寄りのバス停まで送っていきます。
バス停の斜め向かいあたりに、体育館と公園があります。
その公園の入り口には、お迎えの幼稚園バスが止まって、本当に小さな小さな子が、お母さんとさよならして、バスに乗って幼稚園に向かうのでした。
その様子を、長女と一緒にいつも眺めていました。

えらいねえ、あんなに小さな子が、お母さんと別れて、幼稚園にいくんだね。
でも小さいから、バスの窓から頭が見えないね。

なんて思いながら見ていました。
その場所に、この四月から、特別支援学校のスクールバスが、止まるようになりました。
毎朝見ていると、公園の前から乗る生徒は二人です。
一人は、わいほいと走って、さっさとバスに向かいます。
もう一人は、集合場所までは、お母さんが車イスを押してくるようで、バスが着くと、車いすから、えっちらほとバスの添乗員さんが両手を持って、立ち上がらせます。
いつもは、なかなか立ち上がらなくて、後ろに幼稚園バスが着いて、スクールバスの発車を待っています。

今日も、えっちらほ、えっちらほ。
すると、いつもより早く立ち上がるではありませんか。
それから、手をつながず、一人でゆらゆらとバスに向かって5歩くらいあるいて乗車しました。

やったね。
思わず、口に出してしまいました。
そのあと、幼稚園バスに、ちいさな女の子が乗って、みんな出かけていきました。

そして、特別支援学校の生徒のお母さん二人と、幼稚園のお母さんは、にこにこお話をしていました。
そこに、長女の乗るバスがやってきて、私も
「いってらっしゃい。」をしました。

長女が特別支援学校(当時は養護学校)に通っていたときは、スクールバスはありませんでした。
その特別支援学校は、交通の便がよくない立地で、さらに通学区域が広かったので、とても遠くから通ってくる生徒が多かったのです。
ですから、お母さんたちは、毎朝、電車やバスを乗り継いで、あるいは自家用車を運転して送り迎えをしていました。
長女は、徒歩圏内でしたので、30分以上歩いて登校していました。

あの時にスクールバスがあったらな。
どんなに便利だっただろうかと考えました。
でもよく考えてみると、なぜ障害のある生徒を、辺鄙な場所の特別支援学校に集めるのか。
障害があるからこそ、自宅近くの安心した場所に通うことは出来ないものなのか。
と考えました。
これは長女が成長して、私に考える時間ができたから思えたことで、当時は東京都が「養護学校全入」になったというだけでも、ありがたいと思っていました。

なんだか、スクールバスで生徒が運ばれていくように思えてしまったのです。
歩いて通えるくらいの場所の学校に、障害のある生徒も通えることができたら。
インクルーシブ教育という文字が頭に浮かびました。

ちなみに、朝のスクールバスは満員ですが、帰りのスクールバスはすいています。
特別支援学校の生徒のほとんどが、下校時間に学校の前に並ぶ、放課後デイサービスの車に乗せられて、各事業所へ行くからです。
下校時間の特別支援学校の前に並ぶ放課後デイサービスの車の列(早く並びたいから場所取り激しい)のにぎやかさを見たとき、バブル期の温泉地の駅前に並ぶ旅館の送迎バスを連想しました。

はたして、子どもたちはどう思っているのでしょうか。
運ばれているのを納得しているのでしょうか。
彼らにも感じる心はあるのです。


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