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てぶくろは柔軟な心の広さの話


てぶくろ
ウクライナ民話

先日50歳になった長女は、今でも毎晩絵本を読んでから寝る。
長女は字が読めないので、読むのは私。
字は読めないが、絵は細かいところまでしっかりと見ている。

「うちは、ほんがすくないねえ。」と長女が言うので、図書館に行くたびに、絵本を3冊ずつ借りてくるようにした。
お気に入りは、「11匹のねこ」「ばばばあちゃん」「せんたくかあちゃん」など。
さて昨夜は、ウクライナ民話の「てぶくろ」を読んだ。
子どもが幼稚園の頃、読んだ絵本だ。
その時は、小さい手袋に、大きな熊さんまではいってしまって、面白いねと思った。
でも、昨日改めて読んだとき、
「ああ、そうか。そういうことだったんだ。」と納得した。

いちばん最初に手袋に入ったのはネズミ。
まあ入れるよね。
おつぎはかえる。
うん、入れる。
そして、うさぎ。
このへんから、ううん、どうかな。大きさ的にと思う。
でも、昨日は全く思わなかった。
きつねも、おおかみも、いのししも、くまも。
みんな、どうぞ。
お入りください。

ただ、おおかみには、「まあ、いいでしょう。」

いのししには、「ちょっとむりじゃないですか。」
「いやどうしてもはいってみせる。」
「それじゃ、どうぞ。」

くまには「まんいんです。」
「いやどうしてもはいるよ。」
「しかたがない。でも、ほんのはじっこにしてくださいよ。」

おおかみ、いのしし、くまに対しては、先に入っていた小さい動物達は、少し躊躇して、しかたがないな。入っていいよ。みたいなニュアンスになる。
強そうで、小さい動物をバリバリ食べちゃいそうな、大きな動物。
ちょっと怖い。

だけど、少しずつ、少しずつ、みんなで体をずらして、一つのてぶくろという世界にはいる。
てぶくろは、コミュニティなんだ。
てぶくろはとても柔らかくできていて、どんどん広がるので、来たものたちがみんな入れるコミュニテイで、どんどん大きくなるものなのだ。
見かけが怖そうな、大きな動物も、小さい動物と一緒に過ごす。

てぶくろは、心なんだ。
私の心なんだ。
障害のある長女を受けいれてから、私の心は絵本のてぶくろのように、さまざまな障害のある人や、さまざまな病気の人を受けいれることができるようになった。
さまざまな国の人たちとその文化を受けいれることができるようになった。
心のてぶくろはどんどん柔らかくなり、新しく見たり聞いたりしたこと、社会の片隅で起きる小さいけれど、大きな事件。不平等。
不公平な事柄。貧困。努力してもかなうことができないことがあること。
嫌だけど、世間では普通に起きている差別。
差別する人。差別してると気が付かないで差別している人。
差別を生み出す社会の仕組み。
そういうものまで、みんな、心の中に受け入れ、心の目で見ることができるようになった。
ねずみも、かえるも、うさぎも、きつねも、おおかみも、いのししも、くまも。

どこまでも、どこまでも。
歳を重ねるごとに、深く広くなる手袋。
おじいさんの落とした手袋は、ウクライナのおじいさんの深い深い広い心だったんだ。
やっと気が付いた。


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