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中高年の発達障害

「発達障害」という言葉が、頻繁に使われ始めたのは、私が60歳で臨床心理大学院に入学したころからだ。
私が大学の心理学専攻のころに、「小児自閉症」という本が出版されて、心理学の学生たちは、飛びついた。
それが、1970年のころ。つまり、発達障害という概念は、1970年代では、自閉症、それも小児のものという概念だった。
それから、30年ほどたって、2000年代に、「軽度発達障害」という概念が広がった。
ちょうど、その頃私は60代で、臨床心理大学院生だった。

つまり、1970年以前は日本では「自閉症」の言葉も概念もなかった。
2000年以前には、「軽度発達障害」いわゆる、アスペルガーとか、ADHDとかの概念はなかった。

まさに、1970年と2000年に、心理学の学部生、大学院生だった私には、ものすごく大きな出来事だった。
大学院では、「発達障害」のトピックが取り上げられ、学生は夢中になって勉強した。

それまで無かった、概念。
それまで無かった言葉。
でも、それまでも存在していた人たち。
1970年代には子どもの症例として取り上げられていたが、2000年では、大人の障害についても注目された。
1970年には、重度の自閉症いわゆるカナー型が取り上げらたれたが、
2000年には、普通学級に通いながらも、困難を感じる「軽度発達障害」にも、スポットが当てられた。
そして、大人の発達障害が、話題となった。

人間関係がうまくいかない。
仕事がうまくいかないなどの困難を抱えた、成人が診断を求めるようになった。

そして、いまや、高齢化社会の日本では、「中高年の発達障害」の本が出版されるようになった。
かつては、子どもの障害とみられていた「発達障害」であるが、当然、「発達障害」自体は、完治するものでないので、障害を持った子どもは、成人し、そして高齢者になる。

私は、高齢者に関わる仕事を長くしてきたが、認知症の判断では、どうにもくくれない人がとても多いのに気がついていた。
こだわりが強い人。
収集癖がある人。放浪癖がある人。
独特の生活をする人。
独特の話し方をする人。
一人で孤立している人。
他人との関係を持ちたがらない人。

要介護認定の主治医意見書では、認知症のレベルについての判断があるが、これは、認知症ではないでしょ。という人は多い。

つまり、高齢者のなかには、たくさん、発達障害の人がいるということだ。
そして彼らは、診断など受けていないから、扱いにくい高齢者と見なされてしまう。

私自身が「発達障害の高齢者」である。
自分自身の成育歴の不思議さ、人間関係の苦手さなど、理解できない自分自身について、考え、受診し、限りなくASDの特性があるとわかった。
だから、ほおっておけば、何日も他人と話をしないで済ませたいのだが、そこを救ってくれたのは、まさに、障害のある長女であった。
障害のある子を育てる上では、さまざまな社会的なつながりや、スキルが必要であった。
その中で、私自身の社会的スキルが、身についたといえる。
だから、長女には感謝の念しかない。
私に生きるスキルを否応が無しに、植え付けてくれた長女の存在は、私にとって大きいものだ。
長女を育てることによって、私自身が育てられたともいえる。

今や、発達障害者は、マイノリティではない。むしろ、ほとんどの人がいろいろな特性を持っていると思う。
なんといっても、スペクトラム、連続体なのだから。



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