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お元気そうに見えますけど。

歯科治療が終わりに差し掛かり、詰め物はどのようなものにするかと、若い歯科医がサンプル写真を見せながら聞いてきました。
それで、私は、ササッと金額をのぞいて言いました。

「もう、歳だし、あとどれくらい生きられるかわからないから、やっすいのでいいです。」
すると、その返事を聞いた歯科医のお兄さんは、笑いだしました。

「お元気そうに見えますけど。」と笑いをこらえながら言いました。
その話を三女にしたら、
「当たり前でしょう。一人で診察台に上がれるんでしょう。
診察台に乗せてもらっているおばあさんもいるし、なにより、自分の歯があるから治療に行ってるんでしょう。」

そうでした。自分の歯です。
自転車で歯科医院まで通っています。
お元気です。

でもね、そこが問題でもあるのです。
つまりね、もう私の年齢になると、子どもたちからいたわられている人もいるし、趣味や旅行など老後の生活を楽しんでいる人もいるじゃありませんか。

それを思うと、なんだかなあって少し思ってしまうのです。
私はいまだ、老障介護。
仕事も介護だったし、今でも外出すれば、「あ、もしかして。」っていう人がいると、お手伝いしてしまう性分です。

いつになったら、周りにやさしくいたわられて、おいしいお茶を飲んだりする生活ができるのでしょうか。
いや、もうそんな贅沢言ってる時代ではないのかもしれません。
「PLAN75」だとか「楢山節考」の世の中なのかもしれません。

けれども、私は一生ケアする人間で終わるんでしょうか。
なんだか損しているような気もしないではないのです。

先日の神経内科の診察の時、名誉院長に話してみました。
すると
「あなたはいたわる人なんだよ。
いたわられる人ではなくてね。
あなたはどんどん元気になるね。
私も、あなたも元気元気。」
と87歳現役の名誉院長に言われてしまいました。

「そうですね、先生も毎日診察大変ですね。」と言ったら、
「ありがとう。元気でね。」って言われました。

そうなんですね。少し煙に包まれたような気もするけど。
なんだか、納得。
名誉院長の歳までは、いたわる人でいられるようにしたいものです。
そういう人も、世の中には必要なのです。
困ったとき、苦しいとき、どうしていいかわからないとき、バットマンみたいに駆けつけます。
けっこう頼もしいのです。

体が元気で、人をいたわることができるというのは、「とても贅沢な老後」を過ごしているということです。

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