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インクルージョンかもしれない、私

長女が生まれてこの方、50年間の生活というのは、障害のある長女の生活と自分の気持ちとの、折り合いをつけることに心を砕いてきた。

長女が誕生するまでは、私の生活圏に存在していた「障害」はボランティア活動でかかわっていた、「他人の出来事」でしかなく、自分の世界には存在していないものだった。
たぶん、たいていの人はそうなんだと思う。
だから、自分の生活をしていくことができているんだし、それが普通ということになっているのだろう。

しかし、障害のある子がいる生活というのは、それまでの、自分だけの、つまりは普通といわれている生活とは全く異なるものだった。
生活が激変したのである。

障害のある子がいるかいないかで、生活が激変してしまうという社会のあり方のほうが、極端なものだったのではないだろうかと、今現在の認識では、考えることができないでもない。
つまりは、障害のある人、無い人、みんなが存在して生活していくということがインクルージョン社会であるならば、障害児が生まれたことで、生活は激変しないのではないかと思うのだ。

しかし、現実には、今現在だって激変する。
ということは、今でも、インクルージョンは「言葉」としては存在するが、現実社会には存在していないということになる。
要するに実現していないということだ。

だけれども、私自身はどうなのだと考えたとき、長女が誕生した時から50年を経て大きく変化してきた。
長女の成長と共に、発達段階に沿いながら、「常に」考え続け、試行錯誤し、学んできた。

そして今はどうだろう。
私は自分自身の生活をしていくうえで、常に障害のある長女の毎日、これからの生き末を考え、社会の在り方を冷静に(冷ややかに)見つめ考えている。
そして、長女とすったもんだしながら、ときには、悲しみ、時には怒り、そして時には、ものすごく楽しく一緒に生活している。
これって、難しい言葉、要するに専門家がいうところの、「共生」というものである。

つまりは、専門家言葉で言うならば、私は障害のある人の生活を理解し、支持しながら、共生している。ということになる。
つまりは、私まるごとインクルージョンなのだ。
ということは、世界のみんなが、私のような生活になれば、インクルージョンは成立するのだろうが、それは無理だ。
私は独裁者でもないし、カリスマでもないし、私以外の人びとが、その人その人の生活をしていることを、尊重しているので、大声を上げることはしない。
そして、障害を受け止め、世界を受け止め、人々の苦しみを受け止めて、生き抜いていくのは、たとえようもなく厳しい修行のようなものだから。
このようなつらい生き方を、すべての人に、負わせたくないと思う。

だから、私たちの生活を見て。
障害のある子と暮らしてきた、この50年間を。
もうやめたいと何度思ったか。
死んでしまいたいと何度思ったか。
生れてこなければよかったと何度思ったか。

そして今なら言える。
ネガティブな気持ちを抱え、それでも、這いつくばって生きていくのがインクルージョンへの道なんだと。

かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう。

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