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ベイマックスがいたらいいなあ。

ああ、うちにベイマックスがいたらいいなあ。
今日みたいに悲しくて、落ち込んでいて、自己嫌悪の日には特に。
ふわふわしていて、大きくて、包容力があって、やさしくて。
そうしたら、私も、ベイマックスに甘えちゃうんだけどなあ。

と思う。
しかし、これが長女目線になると全く違ってくるのです。
社会の荒波やバスや電車に揉まれて、緊張のはりはりのきりきりの限界みたいな状態で家に帰ってくると、いるんですね。
長女にはベイマックスが。

長女のベイマックスはお母さんです。
障害のことも病気のことも全部受け止め、どうしたら、長女が生活しやすくできるかを考え、ドクターと一緒に医療的なケアを考えてくれる頼りがいのある存在。
何があっても、「大丈夫、大丈夫。」と言ってくれるし、物が壊れたら、なんでも直してくれるし。
美味しいごはんを作ってくれる。

生活介護の利用や、ショートステイの利用の手続きや、自立支援医療の手続きなど、役所仕事はすいすいかたずけ、書類もサクサク書いて提出。

その上、成年後見制度の勉強会に行ったり、親亡き後相談室に行ったり、福祉や心理学などの新しい海外の文献まで読んで、常に情報を仕入れて。
市の障害者福祉課の相談員だの、差別解消法の委員だのの活動もして、充電している人間ベイマックス。

だからこそ、なんだけど、お母さんベイマックスは人間なので、空気パンパンに入れても、エネルギー減るばかりで、満タンにならないのよ。
知識だとか、経験だとかだけでは、エネルギーが足りないのよ。
でね、考えた。解決策を、
お母さんベイマックスにも、ベイマックスが必要なんだと。
あのふわふわで、温かくて、包容力があって、なんでも包み込んでくれるベイマックス。

心の中にどんなベイマックスが欲しいか、思い浮かべてみた。
あれ、どこかで見たことある。
日向ぼっこしながら、お空を見上げて、そよそよ風に吹かれているあの姿は。
何だあ。私だ。
私のベイマックスは、私だったんだ。

はい、わかりましたよ。
今日は、たくさん、甘えてください。
言いたいことも言ってください。
疲れたあ、もうやだあ、生きていたくないよう。
何にもしたくないよう。
何も聞きたくないよう。
どこにも行きたくないよう。
泣きたいよう。

私のお母さんは私なのね。
ティク・ナット・ハンが言うように、自分を赤ちゃんのように丁寧にお世話します。

抱擁
ティク・ナット・ハン



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