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ヤダさんは突然やってくる

ヤダさんは突然やって来ます。


今朝も、「ヤダア」の大声が、長女の部屋で響き渡りました。
穏やかな朝が数週間続いていたのにです。
私も穏やかな日々になれてしまっていて、心が緩んでいました。
それで、つい言ってしまったのです。
「今日は肌寒いから、長袖にしようね。」
長女は昨日の朝から、今日着る服を用意していました。
半袖のブルーのブラウス。

天候が不順な今日この頃、服装の調整ができない(と私が思っている)長女が風邪をひかないように、親切心で(ただのお節介)言ってしまいました。

長女が自分から、「長袖着る」などと言わない限り、母親が先に「長袖着ようね」などと言ってしまうと、ドツボにはまって、地雷を踏んでしまい、やって来ちゃうのです。

「ヤダさん」が。

窓はしまっているとはいえ、大声で、「ヤダア、ヤダア」と叫んで長袖の服を放り投げます。これはもうご近所を通り越して、大通りまで聞こえているでしょう。

さて、自分の失敗に気がついた私。もう引き返せない。しばらく、この部屋から離れるとしようと、ドアを出たようとしたのですが、敵もさるもの。引き止め上手。

「はんそでくださあい。」というので、昨日の朝から用意してあった半そでのブラウスを渡すと、

「ヤダア。ヤダア。」と半袖のブラウスを放り投げる。ここで、私は屈しそうになるが、ぐっと、気を引き締める。ヤダアには理由があるはず。

「ブラウスはくびがくるしい」

長女は、ブラウスの一番上まで、ボタンをしっかり留めるので、首が苦しかったのでしょう。それで、半そでのブラウスも「ヤダア」だったのね。

そこで、襟ぐりが広い、クロミちゃんの柄の半そでTシャツを渡したら、一件落着。ヤダアはおさまり、ほっとしました。毎回、ヤダアはなんだかんだの末、落ち着くところに落ち着くのですが、そこに至るまでが平たんな道のりではありません。今日はすぐ落ち着いたのですが、数時間かかることもあれば、こじれてしまうこともあり、波乱万丈です。

それにしても朝から、ヤダさんが来て大騒ぎになり、母である私は「ああ、いやだ、いやだ。もうこんなの嫌だ。お母さんは悲しいよ。」と言いました。

言葉で自分の状態や気持ちを、適切に表現できない長女は、嫌なものは「ヤダア」と言って、しっかり自分を表現しているんですね。だけど、「首が苦しいから、襟が開いた服を着たい」という細かいところまで言えないので、大声で「ヤダア」というわけなんです。49年の付き合いであっても、母がここまで理解するのには結構時間がかかるのです。

専門的に言ってみれば、「ヤダア」は、氷山モデルのてっぺんで、その下には本当の理由、「首が苦しい」というのがあるわけです。これに気が付かないで、「わがまま言うな。出てる服を着なさい」と頭ごなしにしかりつけると事態は悪化するんです。専門家としてはわかりますよ。実は私、臨床心理のMDでコロナ禍の前まで、行動援護従事者養成研修の講師してました。

でも、実際の生活では、母親の気持ちとして、「こんなにやっているのに何で、ヤダア、ヤダアばっかり言うんだよ。ご近所に丸聞こえだよ、恥ずかしくないのか。洋服投げるなよ。親に向かってなんて言う言い方するんだよ。もう、一緒に暮らすの嫌だよ。」というような本音が、むくむくとわいてきて、あまり冷静になれないのです。

湧き上がってくる、どろどろした気持ちは時間がたてば、消えてしまうのですが、こんないやあな気持ちが自分の中にあるのが、たまらなく嫌なんです。自己嫌悪です。

壮絶な状態になったら、「場面を変える」「深呼吸する」「巻き込まれない」などの行動をとるのですが、悲しいかな、しょせん小さい人間。

色々な感情があり、怒りがあり、疲れがあり、社会への憤りがあり、それがうわーと出てきてしまうのです。それで、思うのです。

「にんげんだもの。」

「母親だって人間だもの。」

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