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〇 今日の『レディオ・ディスコ』内「ディスコ・サーチン」に吉岡正晴生ゲスト登場~現在来日中エリック・ベネイについて、その魅力・あれこれ


 
〇 今日の『レディオ・ディスコ』内「ディスコ・サーチン」に吉岡正晴生ゲスト登場~現在来日中エリック・ベネイについて、その魅力・あれこれ
 
【Masa Yoshioka Will Be Live Guest On “Disco Searchin” in “Radio Disco” at InterFM】
 
生ゲスト。
 
今日(2023年6月17日)のインターFM『レディオ・ディスコ』(15時~17時40分、89.7mhz)内「ディスコ・サーチン」(15時30分~15時58分)のコーナーに、吉岡正晴が生ゲストで登場する。
 
テーマは、現在、絶賛来日中のエリック・ベネイ。いま、ビルボードライブなどで配布されている無料の小冊子、ビルボードライブにエリック・ベネイのカヴァー・ストーリーを寄稿しました。短い時間ですが、それに関する話などをしたので、そのときのこぼれ話や、エリック・ベネイのストーリーなどを簡単に。彼の激動の人生はなかなかのドラマです。
 
bblマガジンに

 
(そのカヴァー・ストーリーは上記ブログ/ノートに写真を掲載しています。拡大すれば読めます)
 
出演は15時30分頃から15時58分まで。
 
「ディスコ・サーチン」のコーナーは、2023年6月3日マサ小浜さんゲスト以来2週間ぶり。
 
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番組の聴き方、ラジコ→
 
ラジコ・リアル・タイム&タイムフリー
 
出演者 :DJオッシー、サヨコ
2023年6月17日(土) 15:00-16:43

17:00-17:40

 
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エリック・ベネイ関連のストーリーで僕自身も大変気に入っているものです。パート1と2を一挙掲載します。約7000字弱。エリックの音楽に痺れたファンの物語です。久しぶりに読み返して感動してしまいました。音楽の持つ力はすごいなあ、と。長いですが、一挙にどうぞ。
 
October 02, 2005
Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 1 of 2 Parts)
【人生の交差点】 

 
Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 1 of 2 Parts)
投稿日: 2005-10-02 作成者: nagato
【人生の交差点】
 
期待。
 
ライヴが始まる前は、観客の期待感も徐々に高まっている。特に満員のセカンドセットとなれば、その温度もかなり熱くなっている。エリック・ベネイ初日、一人できていたその彼女はジントニックを係りの者にオーダーすると、おもむろにバックからハンカチを取り出し、テーブルに置き、さらに最新CD『ハリケーン』の解説書まで取り出した。そして、その解説文(ライナーノーツ)をさらりと読み、歌詞の日本語訳を熟読していた。まさに来るべきショウへの予習を熱心にしていたのだ。
 
約20分遅れで始まったショウ。バンドが音を出した瞬間から、その彼女はたったひとりで来ていたにもかかわらず、大爆発して座りながらも激しく体をゆすり踊り始めた。何人かグループで来て、盛り上がって踊り出す連中はよくいる。しかし、たったひとりできて、こののりは。いったいなぜ、彼女はこれほどエリック・ベネイの音楽に反応しているのか・・・。
 
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挫折。
 
1994年、札幌に住んでいた歌手志望の彼女は、真剣に歌手になる夢を求めていた。札幌時代にいくつかデモテープを作って売り込んだところ、とあるレコード会社が声をかけてくれ、レコード・デビューへの話が進み、とりあえず東京にやってきた。都内に部屋を借り、ちょっとアルバイトをしながら、ひたすら曲を作リ始めた。自分はいっぱしのシンガー・ソングライターだと思っていた。自分が他人よりも感性があることはうっすら気付いていた。自分が何かの出来事に感じる悲しみや喜びの度合いが他の人たちよりはるかに大きいのだ。だから嬉しいときはとても嬉しいが、悲しいときは相当落ち込む。その感情の起伏の激しさゆえに、なかなか友達も作り辛かった。
 
男2人と彼女でとりあえずユニットを作り、ライヴの準備も進めた。レコード会社の指導の元でレコーディングをしてみた。だが自分が作った作品について、ディレクターがあれこれ口出しをしてきた。もちろん、その曲をよくしようという建設的な意見なら、それもいいだろう。しかし、根本的な音楽的な違いからくる意見の相違は、なかなか受け入れることが難しかった。それでも、まだ何も音楽業界のことを知らない、10代のうぶな新人は、できるだけ、ディレクターや周囲の人に好かれようと、彼らの言う意見をどんどんとりいれた。
 
目指すサウンドは、スイングアウト・シスターズやシャーデーのようなちょっとおしゃれでクールな都会的サウンドだった。ところが、彼女は地があっけらかんとしていて、「がはは」と大きな声で笑うような豪快な女性だったから、目指す音とは少し違っていた。そして、周囲の意見に基づいて直して出来あがったデモ・テープの音は、彼女が最初に作ったものとは、似ても似つかぬものに変貌していた。ライヴも、MC(トーク)は、クールに行くようにといわれていたが、ひとたび話し始めるとオヤジギャグ満載でかなりファンキーになってしまった。観客からはバカ受けしたが、メンバーとスタッフは眉間にしわを寄せていた。
 
そして、次のライヴでは、自分を殺してクールにやってみた。しかし、自分で自分が自分じゃないように思えた。そんなこんなで、徐々に彼女にはストレスがたまっていった。曲も思うようにできなくなり、彼女は煮詰まって煮詰まって、部屋にこもるようになった。典型的な引きこもりだ。そして、悩みに悩んだ末、彼女は音楽をやめようと一大決心を固める。
 
収入も途絶え、なんとかわずかな蓄えとアルバイトでその日暮らしを続けたが、毎日がつまらなかった。大好きだった音楽を止めて、なにか自分の体から魂が抜けてしまったようだった。自分はせみのぬけがらのようだったと彼女は感じていた。挫折の日々だった。
 
自殺。
 
自分の顔を鏡で見ても、とても嫌な顔になっていた。そんなとき、アルバイト先のひとりの女性がいつも彼女のことを応援してくれいてた。なぜかはわからないが、落ち込み、元気のない彼女を「だいじょうよ、いいことが起こるから」と声をかけてくれた。もちろん、彼女にとっては少しは嬉しかったが、それほどの励ましにはならなかった。躁鬱(そううつ)のうつ状態がずっと続いた。自分が嫌いで、何度も自殺したいと思った。「でも、痛いのは怖いので、本当に自殺する勇気はないの。だから、何かの事故にでもあって死ねればいいのになんて本気で考えていた」
 
そんな彼女は、自分ではひじょうにまっとうに生きてきて、曲がったこと、道理にそぐわないことが大嫌いな性格だった。竹を割ったような性格で、白黒をはっきりさせるタイプだ。たとえば、男女関係で言えば、不倫などもってのほか、絶対に許せないことであり、自分が妻子持ちなどに興味を持つことなどありえなかった。彼女はそのころ、ミュージシャンの彼氏と同棲していた。
 
彼女のバイト先は飲食店だった。そこにはさまざまなタイプの客がやってきた。そんな中で彼女に積極的にアプローチしてくる男がいた。だが第一印象から、彼女はその男が大嫌いだった。自分の嫌いなタイプだったのだ。客なので、それほどそでにもできないが、彼女なりにかなり邪険に扱っていた。何度も顔を合わせるようになってしばらくしてから、店のスタッフとその客の男と何人かで飲みに行くことになった。宴が終わり、帰ることになると、その大嫌いな男と家の方向が同じだったので、その彼が彼女を送ることになった。彼女はかなり酔っていた。彼の家のまえで別れ際に、なんと彼女のほうから彼にキスを求めてしまったのだ。
 
「それがわからないのよ。なんでそうなったのか。よっぱらっていたからか。嫌いなはずなのに、しつこく、これでもかこれでもかってアプローチされて、だんだん惹かれていたのか。わからない」。そして、これを機に彼女は彼と会うようになり始める。
 
ところが、彼女が一番感じたのが、その彼に会うことによって、自分がうつから少しずつ抜け出せるような気がしてきたということだった。彼女はそれが信じられなかった。しかし、しかし、その彼には妻子がいることが発覚したのだ。絶対に不倫などしないと思っていた自分がよりによって気になり始めた男に妻子があったのだ。彼女は、またここで多いに葛藤する。
 
彼女は、いつも自分は死にたいと思っていた。そんな死にたいと思っていた95年1月、阪神大震災が起き、さらに2ヶ月後の3月には地下鉄サリン事件が起こる。魂の抜け殻の体で「ぼーっと」その映像をテレビで見ていて、彼女は思った。「私が、地震で死ねばよかったのに。私がサリンで死ねばよかったのに。死にたい私がこうして死ねないでいるのに、なんで死にたいなんてこれっぽっちも思っていない多くの人が死ななければならないの? これはおかしい。私は、神にひょっとして生かされているのかもしれない。私は生きていかなければならないのかもしれない」と。
 
生。
 
そんなあるとき、彼女は友人たちに屋久島へ数日間の旅を誘われる。うつ状態からも少しずつ抜け出し、しかし、不倫で悩んでいることもあり、悩みの状態は続いていた。心機一転する意味でこの旅行にでかけることにする。
 
屋久島はもちろん、彼女にとって初めてだった。ここで彼女は初のダイヴィングに挑戦することになった。初めてのダイヴィングは楽しかった。彼女はどんどん調子にのって沖に進んでいった。まったくの初心者だったので、自分では方向性がわからず、沖から岸に戻ろうとしているのに、実際は岸にはまったく近づいていなかった。ちょっと不安に思ったその瞬間、彼女の足がつった。そして、そこで彼女はおぼれかかったのだ。
 
足をばたばたさせると、水が口の中にはいってきた。苦しい。ダイヴィングの機材が急に重く感じられた。海底のほうから、何かが自分の足を引っ張るような感覚がした。しかし、おぼれ始めて、自分が何がどうなったのかわからなくなったその瞬間に、彼女は思ったのだ。「死にたくない!」 そして、思いの丈をこめ彼女は叫んだ。「助けて~~~!!!」
 
周囲の人たちがかけつけ、大事に至らずに彼女は助かった。このおぼれそうになった時感じた「死にたくない」という気持ちを、彼女は感慨深く考えていた。「私は、死にたくないんだ」 岸に引き上げられた彼女は、何度もその気持ちを反芻(はんすう)した。生への執着が生まれた瞬間だった。
 
(明日のパート2へ続く)
 
ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric
 
Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 2 of 2 Parts)
2005/10/03

http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_10_03.html

 
 
(昨日のパート1からの続き)
 
【人生の交差点–Part 2】
 
灯火。
 
彼女はなにかがふっきれて、東京に戻ってきた。それを見た、彼女をいつも応援してくれていた女友達が一言つぶやいた。「ようやくわかったみたいね」 彼女にはすべて見えていたかのようだった。
 
2000年。そんな彼女がテレビで見た音楽ヴィデオの映像に目をとめ、そのアーティスト名をメモしていた。CDショップに行ったときに、そのメモを見ながらCDを探した。それがエリック・べネイのセカンドアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』だった。
 
ア・デイ・イン・ザ・ライフ
エリック・ベネイ

 
家に戻りCDをかけると、一曲目からノックアウトさせられた。もうやられっぱなしだった。それこそ擦り切れるほど聴いた。自分が音楽をやることをやめてから、やみくもにただ音楽を趣味として聴いていた彼女が再び、自分でも音楽を作りたいと思い出すようになった。こんな声で歌われたらたまらない。だが、自分でもこれだけ人の魂を揺さぶる曲が作れたらいいなあ、という思いが少しずつ湧き上がってきた。音楽を止める決意をしてから5年以上の月日が経っていた。
 
改めて曲作りをするようになると、10年前の自分がいかに似非(えせ)シンガー・ソングライターだったかが、痛いほどわかった。10年間の経験が彼女にさまざまなことを教え、人間に深みを与えていたのだ。
 
2005年、もちろん3作目も出たらすぐ買った。エリックのことをいろいろ読んだ。すると、エリックの苦労と挫折に感動し、その人生が妙に自分と重なってきてしまった。『ハリケーン』のいくつかの曲の歌詞を読めば読むほど、エリックの気持ちがわかってきた。
 
Hurricane
エリック・ベネイ

 
エリックは最初の妻と死別していた。次の奥さん、ハリウッドの大女優ハル・ベリーとも離婚していた。自分には子供はいなかったが、同棲していた彼氏と別れていた。
 
人に惑わされずもう一度自分自身になる決意を表明する「ビー・マイセルフ・アゲイン」、ハリケーンしか痛みを洗い流す方法がないときもあるという「ハリケーン」、僕は愛されたいと懇願する「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド」・・・。いずれも、エリックが過去15年で経験してきたさまざまな出来事が投影されてきた作品だ。最初の妻の死、その忘れ形見インディア、そのインディアへの愛、親権をめぐる争い、新たな恋と別れ。個々の出来事が、それぞれの曲から実際には見てもいないのに、映画のワンシーンのように、フラッシュバックしてきた。そして、自分の10年を振り返ると、音楽での成功を夢見て東京にでてきたこと、しかし、いろいろあって音楽を止めたこと、まったくおもいがけず不倫をして、しかしそこから生きる糸口を見つけたこと、溺れかかったときに「生きたい」と強く感じたこと、同棲していた彼氏との別れなど、さまざまなシーンがリアルによみがえった。
 
彼女にとって、エリックの音楽は、自分の人生の節目節目に見事に現れてきた。自分の人生に迷いがあったとき、エリックの歌と声が、彼女にとっての漆黒の海原を照らす一筋の光を灯す灯台さながらとなっていたのだ。
 
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直撃。
 
3作目『ハリケーン』を買ってからまもなくエリック・ベネイが来日することを知った。とるものもとりあえず予約した。最初土曜日を予約した。しかし、何日かして土曜日一日だけでは十分ではないのではないかと思い、初日も追加で予約した。
 
初日当日、最初はブルーノートには2時くらいに来るつもりだった。だが、ちょっと寝坊して、4時くらいになってしまった。予約番号は60番台だった。本当は一番前で見たいと思っていたが、一人だったのでなんとか前から数列目に座ることができた。9時過ぎに席に座り、ジントニックをオーダーした。テーブルにはハンカチを置き、準備万端にした。始まるまでの間、彼女は『ハリケーン』のCDの解説書と歌詞の日本語訳を読んでいた。歌詞を徹底的に頭の中にいれようと思っていたのだ。「その歌が歌われたとき、内容がストレートに私の中にはいってくるようにと思って」彼女は歌詞を丹念に読んでいた。彼女は、横に座っていた男がその姿を見て、心の中で「この彼女は本当にエリックが好きなんだな。ハンカチをテーブルに置いてるということは、本気で泣く気だな」などと推理していたとは夢にも知らなかった。
 
9時半スタートの予定がなかなか始まらず、彼女はちょっといらいらしてきた。だが、あこがれのエリックのライヴがまもなく始まると思うと、いらいらよりも、どきどきのほうが高まってきた。彼女の向かいの席はひとつ空いていたが、両隣にはカップルが座っていた。彼女の隣に座っていた女の子が男性に「エリックっていくつくらいなのかしら」と尋ねていた。彼が「う~んと、1969年か68年くらいの生まれじゃなかったかなあ。36か37かな」と言っていた。「へえ、けっこういってるんだ~。でもかっこいいよね~」
 
彼女の耳はダンボになっていた。「ブルーノートのホームページちゃんと予習したよ。そこにはエリックは1969年の10月15日生まれだって書いてあるよ~~。私と誕生日2日しか違わないんだから、ちゃんと覚えてるよ」と心の中でつぶやいていた。「68年じゃないよ~~。しかもまだ誕生日前だから、35だよ」 思わずとなりの会話に口を挟もうかと思ったが、さすがにやめた。(註:この時点では1969年とされていたが、後年、正しくは1966年生まれであることが判明する)
 
観客席のライトが落ち、ミュージシャンたちがステージにあがってきた。もう興奮は最高潮だ。彼らが音を出し、エリックが楽屋からでてきたら、気持ちは最大限に爆発していた。一曲目から立ちあがりたかったが、ちょっとだけ我慢して、椅子に座りながら踊った。無意識のうちに激しく体が反応していた。エリックの年を聞いていた隣の女の子には少し迷惑になったかもしれない。
 
一曲目からはやくも放心状態だった。通路を歩いてきたそのスーツ姿のエリックを見ただけで来てよかったと思った。そして、マイクを握り、歌い始めた瞬間卒倒しそうになった。「やっぱり、あの声なのよ。すべての苦労があの声に入ってるのよ。だから、私のソウルに直撃なの」 彼女はそう思った。「インディア」では体が凍りついた。「ハリケーン」には涙があふれた。
 
さいごのアンコール曲ではもう会場も立ちあがっていたので、自分も立ちあがって踊った。エリックが後ろ側の通路を通ってステージに向かった時、思わず、小走りにエリックに向かって、ちょっとだけ触ってしまった。
 
自分の過去10年と、エリックの過去10年。もちろん、その10年は場所も、スケールも、人生の中身もすべて違うものだったが、このエリックのライヴ空間に来たことで、まったく歩みの違ったふたつの人生が一瞬交わったような気がした。彼女と同じように、ベネイの音楽に影響を受けた人もたくさんいるだろう。ベネイのように自身の人生を歌に託すシンガー・ソングライターには、男でも女でも共感者が多い。エリック・ベネイは、彼自身人生のいくつもの交差点を通り過ぎてきた男だが、彼はまた、さまざまな他の人たちの人生の交差点にも立つ男だ。
 
ライヴが終わると力が抜けて、彼女は魂の抜けたぬけ殻になっていた。ソウルなきボディーだ。すると、となりに座っていた彼が声をかけてきた。「エリック、相当お好きなんですね」 その日、ひとりで行動していてほとんどしゃべっていなかった彼女は、水道管の蛇口をひねったように、いっきにしゃべり始めた。今見たライヴの感動を語り合いたかった彼女は、それだけでなく、自分が札幌から歌手を目指してでてきたこと、エリックの音楽との出会い、そして、エリックと自分のことについてずっと話し続けた。ふと気付くと店内のBGMは消え、満員だった席には彼女らしか残っていなかった・・・。
 
ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric
 
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エリックと初来日時(1997年)


エリック・エリックを持つ (2023年) 「僕のカヴァー・ストーリー、スマホに翻訳機があるから、それで読むよ」


 
 
ENT>RADIO>Radio Disco>Disco Searchin>benet, eric

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