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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」006 ■■ 「12時45分の男」~スピナーズの最低音男パーヴィス・ジャクソン

■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」006 ■■ 「12時45分の男」~スピナーズの最低音男パーヴィス・ジャクソン

(トップ写真:上・左からボビー・スミス、ビリー・ヘンダーソン、パーヴィス・ジャクソン、下・左ヘンリー・ファンブロウ、下・右ジョン・エドワーズ)

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(本作・本文は約7000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、14分から7分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと23分くらいの至福のひと時です。お楽しみください)

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デトロイトのソウル・ヴォーカル・グループ、スピナーズは1970年代から1980年代にかけてたくさんのヒットを放った。一番有名なところは、その後多くのサンプリングなどで使われる「イッツ・ア・シェーム」あたりだが、ほかにも、実にいい曲がたくさんある。「アイル・ビー・アラウンド」、「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」、「ワン・オブ・ア・カインド」、「ゲトー・チャイルド」、「セイディー」、「ラバーバンド・マン」、日本のゴスペラーズもカヴァーした「ウォーキング・マイ・ウェイ・バック・トゥ・ユー」、サム・クックのカヴァー「キュービッド」などなど。そんな中でヴォーカル・グループとして様々な声を万華鏡のようにだす「ゲームス・ピープル・プレイ」はひときわ輝く名曲だ。その曲にスポットをあてた記事がこれだ。

そして、その後にスピナーズのリード・シンガー、ボビー・スミスの訃報と評伝も掲載した。

スピナーズはこれで、オリジナル・メンバーはヘンリー・ファンブロウだけになってしまった。いちおう途中参加のジョン・エドワーズも車椅子ながら健在だが。

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2003/01/18 (Sat)
Games People Play – Spinners : Mr. 12:45
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

バーバーショップ。

(註、2003年1月、元スピナーズのリード・シンガーでその後ソロに転じ、のちにボーイズ・トゥ・メンのカヴァーでもヒットする「イッツ・ソー・ハード・トゥ・セイ・グッドバイ」を歌ったGCキャメロンがコンサートで初来日。ライヴを行った)

12時45分。

GCキャメロンのライヴについての書き込み(ソウル・サーチン・ウェッブのBBS=掲示板、現在は廃止)をたくさんいただきました。ありがとうございます。というわけで、埼玉のウッチーさんが(アーティストの歌にあわせて)一緒に歌ったという「ゲームス・ピープル・プレイ(ゼイ・ジャスト・キャント・ストップ・イット)」を、1月26日放送分の「バーバーショップ」(DJ鈴木雅之:インターFM 76.1Mhz=午後4時から)でかけます。

1975年7月にリリースされ大ヒット、10月にソウル・チャート・ナンバーワン・ソングになりました。ゆったりしたミディアム調の佳曲です。この4分37秒の作品、ヴォーカル・グループらしくなかなか聞かせどころがあります。

Games People Play – The Spinners (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=plrsE-1dVxg

イントロからは通常どおり、リード・シンガーのひとりボビー・スミスが歌い始めますが、54秒あたりで珍しく女性シンガーがはいってきます。ほんの3行ほどの歌詞を歌います。これは、フィラデルフィアの名門スタジオ、シグマ・サウンド・スタジオのスタジオ・セッション・シンガーとして超有名なバーバラ・イングラムです。

バーバラは、カーラ・ベンソン、イヴェット・ベントンと3人で、フィラデルフィアのレコーディングの多くでバックコーラスを担当します。プロデューサーからは必ず3人まとまって呼ばれるので、彼女たちにはいつしか「スイートハーツ・オブ・シグマ」(シグマの恋人たち)というニックネームがつきます。ちょうど、このころ、「シグマ・スイートハーツ」などの愛称で呼ばれるようになったようです。(註、1975年リリースのブルー・マジックの『サーティーン・ブルー・マジック・レーン』ではこの名前があり、1975年くらいからこの名前が一気に広まったようだ)

このパートは、当初はスピナーズのメンバーのヘンリー・ファンブロウが歌う予定もあったらしいのですが、グループがイギリスにツアーに行ってしまったためか、あるいは、ここは女性の声が欲しかったためか、プロデューサーのトム・ベルはシグマのセッション・シンガー、バーバラに歌わせました。

そして、サビに進み、二番の冒頭(2分12秒あたり)で超低音の声が「トゥエルヴ・フォーティーファイヴ・・・」と歌います。これが、スピナーズの最低音男パーヴィス・ジャクソンです。この声があまりに印象的なために、パーヴィスには、「ミスター・トゥエルヴ・フォーティファイヴ(12:45)」というニックネームがつきました。そして、コーラスで別のリード、フィリッペ・ウィンが加わります。

おそらく日曜か休日に、気になる彼女とデートの約束をしていたのでしょう。しかし、彼は遅刻。待ち合わせ場所には彼女の姿はありませんでした。そして、12時45分。

「12時45分、僕は地下鉄の駅に向かった。とてもさびしかったので、ぶらぶらしていた。近くでおかしな声が聞こえた。見まわすと、彼女の顔がそこにあった。微笑みながら、僕の名前を呼んで、彼女が近づいてきた。行くべきところがその瞬間にわかった。この日を人生最良の日と呼ぼう」(「ゲームス・ピープル・プレイ」)

好きになった人をあきらめようかと思っていた男が、ついに12時45分に地下鉄の駅でその彼女から声をかけられるというストーリーです。パーヴィスの人生はこの「トゥエルヴ・フォーティーファイヴ」の一言で劇的に変わったそうです。縁の下の力持ちから、いきなり、脚光を浴びるフロントマンになったからです。

ボビー、バーバラ、パーヴィス、フィリッペ、そして、グループのコーラス。プロデューサーのトム・ベルはこう語っています。「(この曲では)各メンバーにいろいろなパートを少しずつ歌ってもらいたかったんだ。特にベースはなかなかスポットがあたらないだろう。つまり、僕はこの曲で古いバーバーショップ・スタイルのハーモニーを作りたかったんだ」

「バーバーショップ」でかけるには完璧な一曲です。

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追記:

ここで歌っていた女性シンガー、バーバラ・イングラムはこの記事を最初に書いた時点で亡くなっていました。1994年10月20日、全身性エリテマトーデスと癌のため。46歳という若さで死去。

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その後、スピナーズのメンバーもビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)はスピナーズを脱退後、ジョージ・クリントンのバンドに参加、ソロ・アルバムもだすが大きなヒットには恵まれず1984年7月14日、43歳で死去している。そして、ボビー・スミス(1936年4月10日生まれ)が2013年3月16日76歳で死去、オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)だけが健在だ。

パーヴィス・ジャクソン訃報
Pervis Jackson
Bass singer with the Detroit Spinners for more than 50 years (Tue 16 Sep 2008 BST)
https://www.theguardian.com/music/2008/sep/16/1

ニュースは1か月ほど経ってやっと出たほど。

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また、この曲は当初は「Games People Play」だったが、ジョー・サウスのヒットに同名のものがあり、著作権料の分配のときにわかりにくいので、スピナーズのものは「(They Just Can’t Stop) Games People Play」と表記されるようになった。

また、グループ名表記は世界的に一般的にはスピナーズだが、イギリスだけは同名の白人グループが先にいたために、「デトロイト・スピナーズ」と表記されている。

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●ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去
2013年03月19日(火) 00時01分00秒

【Bobby Smith Dies At 76】

訃報。

デトロイトの高校時代の同級生で結成したR&Bヴォーカル・グループ、スピナーズのリード・シンガーだったボビー・スミスが2013年3月16日、フロリダ州オーランドーで死去した。76歳。しばらくN1H1ウィルス(インフルエンザ)に感染しており、肺炎を併発した。また、スミスは昨年11月、肺がんになっていた。死去は16日午後1時55分のこと。家族が確認した。死去に関してはニューヨークのブラック専門放送局WBLSやデトロイトのMix92.3局が報じた。ボビー・スミスのスペルは Bobby Smith, Bobbie Smith どちらもある。

スピナーズの主要メンバーでは、ビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)が1984年7月14日、43歳で死去している。オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)が健在だ。またフィリッペの後任として参加し30年以上スピナーズの一員だったジョン・エドワーズも車椅子ながら健在。

スピナーズはデトロイトのグループで当初モータウンで「イッツ・ア・シェーム」などをヒットさせたが、その後1972年にアトランティックに移籍。フィラデルフィアでトム・ベルのプロデュースの元「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」などの「フィラデルフィア・ソウル」で大ヒットを多数放ち人気ヴォーカル・グループとなった。

ボビーは多くのヒットのリードを取ったいわばスピナーズの顔ともいうべき存在。1970年代の一時期、ソフトなヴォーカルを聴かせるフィリッペ・ウィンとともにツー・トップのリード・シンガーとなった。

彼らはデトロイトのグループだが、大ヒットした作品の多くがいわゆる「フィリー・サウンド」だったために、フィラデルフィアのグループと思われることもあったが、ソウル史上に残る名ヴォーカル・グループであることはまちがいない。

(なお、Philippéは、eの上に「´」アキュート・アクセント・マークがついているが、これによりフィリップではなくフィリッペと発音・表記する)

評伝。

ボビー・スミスは1936年4月10日デトロイト生まれ。高校時代に学校の仲間とR&Bヴォーカル・グループ、ドミンゴスを結成。当初は遊び半分でパーティーや街角でドゥーワップを歌っていたが、徐々に本気になり、1960年、ベリー・ゴーディーの姉グエンを通じて当時人気のドゥーワップ・グループ、ムーングロウズのリーダー、ハーヴィー・フークワと出会う。ハーヴィーが彼らのことを気に入り、彼のレーベル、トライファイと契約。それまでドミンゴスと名乗っていたが、このときにスピナーズと改名。「ザッツ・ホワット・ア・ガールズ・アー・メイド・フォー」を1961年にリリース。リード・シンガーはボビー・スミス。以後、基本的にはずっとリードはボビーとなった。これが見事にヒット。またこの曲では当時新生ムーングロウズの一員となっていたハーヴィーにあこがれていたマーヴィン・ゲイがドラムスを叩いている。この当時のメンバーは、ボビー・スミス、ビリー・ヘンダーソン、ヘンリー・ファンブロウ、パーヴィス・ジャクソン、エドガー・チコ・エドワーズ。

以後、ハーヴィーは彼らをマネージ。トライファイがモータウンに買収されその傘下になったため、彼らもモータウン契約アーティストに。1967年、チコ・エドワーズにかわりGCキャメロンが参加。ここで「イッツ・ア・シェーム」(スティーヴィー・ワンダー作品)などのヒットが生まれた。しかし、モータウンでは他に多くの男性R&Bヴォーカル・グループ(テンプテーションズ、フォートップス、ミラクルズ等)がいたことから、なかなか重要視されず、売れなかった。メンバーは一時期はベリー・ゴーディーの運転手やモータウンの他のアーティストの運転手、雑用などもしていたという。

その後1972年、アリーサ・フランクリンの推薦でアトランティックに移籍。このときGCはモータウンとの契約があったこと、またGCがベリー・ゴーディーの姉グエンとつきあっていたことから、アトランティックに移籍せず、GCのいとこフィリッペ・ウィンを推薦、フィリッペがスピナーズ入り。アトランティック移籍後、スピナーズは次々とヒットを放ち、70年代を代表するアメリカのソウル・ヴォーカル・グループとなった。

ボビー・スミスがリードを取る「アイル・ビー・アラウンド」がミリオン・セラーとなり、スピナーズは人気グループに。1973年の「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」(ボビー・スミス・リード)、「ワン・オブ・ア・カインド」(フィリッペ・リード)など多数のヒットが生まれる。

Spinners - I'll Be Around (1973)
軽快にリードを取るのがボビー・スミス
https://www.youtube.com/watch?v=KOLQNv_BfD0


The spinners - could it be i'm falling in love
http://youtu.be/7DbcOUEgHso

フィリッペのヴォーカルはソフトで甘い感じだが、ボビーはパンチのあるソウルフルな歌声で対照的。とはいうものの、声質はよく似ているので区別をつけ辛い。

ゴムバンドを使って遊びながら歌う「ラバーバンド・マン」のリードをフィリッペが初めて全面にでてリードを取り、これが大ヒット。

1977年、リードを取り人気が上がってきたフィリッペが自身の名前をグループ名(フィリッペ&スピナーズなど)につけるよう要求、認められず脱退、ジョン・エドワーズに交代。リードはボビーとジョンの二人体制になった。フィリッペはその後、スピナーズ参加以前に知己を得ていたPファンク(ジョージ・クリントン)に戻り、ソロ・アルバムもリリースしたがスピナーズ時代ほどの成功は得られなかった。フィリッペのスピナーズ在籍期間はしたがって1972年から1977年初頭まで約5年ということになる。

1977年5月、スピナーズはジョン・エドワーズを含んで初来日。(フィリッペは帯同せず)来日は1990年代にもあるがそのときはボビーは病気のため帯同していなかった。

ジョン・エドワーズがスタジオでサム・クックの曲を遊びで歌っていたら、周囲から「すごくいい」と言われ、サム・クックの「キューピッド」を録音。ヒットに。

スピナーズは1999年、ヴォーカル・グループ殿堂入り。

2000年頃、ジョン・エドワーズが発作のため車椅子状態になったため、2000年から2002年にかけてGCキャメロンが復帰。

2004年、ビリー・ヘンダーソンが脱退、ハロルド・ボンハートへ交代。ヘンダーソンは2007年2月2日、糖尿病が元で67歳で死去。初期メンバーのCPスペンサーも2004年10月20日、心臓発作で死去。一時期メンバーになっていたというジョージ・ディクソンも2005年に死去。オリジナル・メンバー、パーヴィス・ジャクソンは2008年8月18日癌のため死去。初期オリジナル・メンバー、エドガー・チコ・エドワーズも2011年12月3日死去。その後はジェシー・ロバート・ペック、マーヴィン・テイラー、ハロルド・スパイク・ボンハート(1961年生まれ)、フランク・ワシントン、チャールトン・ワシントンなどの新メンバーを加え活動を続けていた。

2011年9月、スピナーズはロックンロール殿堂にノミネートされた。

■ 過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200611/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

Unsung (Documentary) - The Spinners... (約40分)(2011年6月13日放送)
https://www.dailymotion.com/video/x6ggkpv

これを見ると最後にでてくるジョン・エドワーズのコメントに泣けてくる。彼がスピナーズ入りしたときは、それまでにアトランタのアウェアから出していたソロ・アルバムがものすごくよかったので、日本の熱心なソウル・ファンが狂喜乱舞したものだった。しかしそのソロはアメリカではほとんど売れておらず、ジョン本人はスピナーズという大グループの一員であることをずっと誇りに思っていた。1977年にスピナーズに入って以来30年以上、スピナーズの一員なのだから自身の人生はほとんどスピナーズとともにあったと言っていいだろう。

■ スピナーズ・アトランティック時代作品、

The Very Best of Spinners インポート
スピナーズ
https://amzn.to/3c2ZTNT

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

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