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【ショート】ポケットメイトの夏


 あれは小学校何年生の時だったろうか。いや、思い出したくない記憶だから出てこないのかもしれない。あの家を引っ越す前だから、小学生の前半のはずだけれど、やはり思い出せない。

 ど田舎に住んでいた僕は、当時、近所のずいぶんと年上の中学生を兄ちゃんと読んで慕っていた。兄ちゃんには色々遊んでもらっていたのでだが、夏休みだけはあまり遊んでもらえなかった。

 現在はタカラトミーになったトミー。トミーには当時、トミーといえばコレというコンパクトゲームのシリーズがあった。ポケットメイトだ。


 Wikipediaから引用すると「縦115mm×横70mm×厚さ17mmという服のポケットに入るサイズのプラスチックケースに数々のギミックを組み込んだミニゲーム」というもので、当時の子供は色々なスポーツとかボードゲームを表現した、その安価なゲームシリーズのどれかを手にして色々な所で遊んでいた。ELゲームとかゲームウオッチという電子ゲームが出て来るまでは、今でいうポータブルゲームの王様であったのだ。

 野球とかゴルフなどのポケットメイトを国鉄の列車内に持ち込んで、パチンパチンと音を出して大人に怒られた、そんな今は大人な子供たちも少なくないハズだ。


 兄ちゃんが夏休みに遊んでくれなくなる理由が「ポケットメイト01 野球ゲーム」だった。

 消える魔球で有名なエポック社の野球盤を、最小限まで小さくしたようなもので、銀の球をパチンコのように弾いて、上部のヒットとかホームランの穴に入れようとする装置、ポケットメイトシリーズの最初の作品にして代表作がその原因だった。


 夏の風物詩のひとつとして全国高等学校野球選手権大会を上げても文句のある人は少ないだろう。いわゆる夏の甲子園だ。兄ちゃんの部屋の壁には毎年、その年に全国高等学校野球選手権大会に出場する高校名が入ったトーナメント表が張られる。そして兄ちゃんは「ポケットメイト01 野球ゲーム」で自分だけの全国高等学校野球選手権大会を作り上げていたのだ。一打席一打席、一球一球、銀の球を弾いてスコアをつけ、勝敗を決め、トーナメント表に勝ち上がりの赤い線を入れる。それが兄ちゃんの夏の甲子園だった。


 遊んではくれなくても、僕が兄ちゃんの部屋でゴロゴロするのは許された。だが「ポケットメイト01 野球ゲーム」で兄ちゃんの代わりに打席を再現するコトは、いや、それどころか触ることさえもほとんど許されなかった。ただパチンパチンと銀の球を弾く兄ちゃん、ノートに書きこまれるスコア、赤い線の増えるトーナメント表を見守るだけだ。


 だけど、それが楽しかった。


 兄ちゃんが高校生になって、田舎を出て、下宿生活を始めた時には逆にその夏の時間が兄ちゃんとの接点となった。帰省してきた高校生の部屋に押し入る小学生だから、いよいよ邪魔な存在だっただろうけど、兄ちゃんの作る全国高等学校野球選手権大会が見たかったのだから仕方がない。

 そして三年後の春、兄ちゃんが高校を卒業したすぐ後に兄ちゃんとの別れがやってきた。高校を卒業する兄ちゃんと別れるのなんて当然あってもおかしくないコトだ。あたりまえのコトだ。


 でも、あたりまえのコトじゃなかった。


 兄ちゃんの家にいたのは「ポケットメイト01 野球ゲーム」で銀の球をパチンパチン弾く兄ちゃんではなく、白い布切れを顔に置いて身動きひとつしない兄ちゃんだった。


 交通事故だった。


 兄ちゃんの全国高等学校野球選手権大会を作る魔法の機械「ポケットメイト01 野球ゲーム」を形見に貰いたかったのだけど、口から言葉が出なかった。机の上には無かったので、引き出しの中にでもあったのだろうか。兄ちゃんが作っていた世界を自分が続けたかったけど、子供ながらに欲しいと言ってはいけないと思った。結局、あの兄ちゃんの魔法の機械はもう見るコトは無いものとなった。


 その後も野球ゲームは色々出て、僕も似たような野球ゲームを買ったりはしたが、安価にもかかわらず「ポケットメイト01 野球ゲーム」を買うコトはなかったし、別のゲームで自分の全国高等学校野球選手権大会の世界を作るコトもしなかった。自分は作ってはいけない世界、その世界を作るとそれで兄ちゃんの世界が消えてしまうと思っていたのかもしれない。

 その後、僕は兄ちゃんと同じ高校を自ら選んで進んだ。

 あの夏の日々、兄ちゃんが部屋に行っても怒らなかったのは。近所の子供だからという理由だけでなく、自分の作った全国高等学校野球選手権大会の世界の中で一喜一憂する認めてくれていたからだと良いのだけど。


 もうそれを確認する術はない。


~Fin~

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