読書記録:死にたがりのシャノン ドラゴンに食べられてみた (角川スニーカー文庫) 著 五月蒼
【それは終わりに向けた壮大な旅、その為に今を前向きに生きる】
不慮の事故で悠久の時を生きる不死身の魔女は、死ぬ方法を探す旅に出る物語。
人は誰しも死を恐れる物である。
しかし、かといって終わる事の無い無限の時間を与えられる事はもっと怖い。
大切な人達が、先に逝ってしまうのを見つめてしまうから。
それでも、この魔女、シャノンは底抜けの明るさを伴って、来る日も素敵な死に方を模索する。
旅の行く先々で、人々の営みを眺めながら、期せずして問題から救う。
前向きに生きる事が素敵な死に繋がるのだと愚直に信じ続ける。
人はいつか必ず死ぬからこそ、老いもせず死にもしない不老不死という存在に憧れる節がある。
永遠の時を手に出来れば、好きな事に何でも挑戦出来るし、失敗する事も恐れなくなる。
しかし、不老不死となるのは人の世の輪廻から外れるという事であり。
それはきっと、どこまでも孤独であるはずだろう。
シャノンは、少なく見積もっても二百年以上、生きているが、不老不死となった理由は、とある不慮の事故による。
だからこそ、終わりに向けた死ぬ方法を探す。
あっけらかんと笑いながら、少しでも死ぬ方法の匂いを感じ取れば、そこに積極的に首を突っ込む形で関わっていく中で、人々の悲喜こもごもとした営みを目撃していく。
二百年前はなかった村に立ち寄り、村の者達と交流しながら、襲来したドラゴンに食べられる為に無謀にも会いに行ったり。
豊穣祭に賑わう街を訪ねてみたら、幼馴染を冒す不治の病を治療する薬を作ろうと実権を続ける人と出会って、期待を抱いて、わざわざ不治の病に感染してまで治験の実験台となってみたり。
致死率百パーセントの迷宮の近くの街、心が折れた者達の集まる街で、迷宮に消えた息子の遺品を探す老爺に出会い、必殺の罠に死を求めて、一緒に迷宮に挑んだり。
辺境の街を目指す中で、新米魔法使いの少女と出逢ったかと思えば、不老不死を求める悪党に捕まってみたり。
そんな人々の酸いも甘いも噛み分けて感じた事は、人々は命が限られているからこそ、その瞬間を濃密に生きようとする事。
そうやって生きようとするからこそ、魂が光り輝くのだと。
そんな者達にどこか羨望の眼差しを向けながら。
それでも、自分は決して同じように生きれないという現実を諦観しながら、受け入れる。
そんな寂しさを明るさの仮面で押し隠す。
そんな彼女を眺めていると死とは冷たい物ではなく、温かい物だと思えてくる。
死を肯定する訳ではないが、死ぬ事で世俗の煩悩から開放されて、あらゆるしがらみから自由になれる。
そんな彼女の生き様に引き寄せられる旅先の人々。
ある種、社会との接点を絶っている彼女は、様々な些事に困り果てている人達にフラットな視点で寄り添う事が出来る。
傍観者のような立ち位置でも、シャノンに救われた人々は、決して彼女の事を忘れない。
人々の心の中でシャノンは永劫に生き続ける。
もちろん、どんなに親しくなっても、自分より先に逝ってしまう現実を考えれば、死ねない悲しみと永遠に生き永らえる辛さは付きまとう。
世界が息絶えたとしても、自分だけが生き残る、果てしない孤独もある。
悠久の時を生きてきたからこそ、達観した精神が備わって、周りと見えている景色がまったく異なる。
たった一人で、周囲と違う時間を生きてきた切なさをずっと抱え続けてきた。
それでも、千年以上の旅路の中でも彼女は優しさを忘れていなかった。
ひたむきに、営みの輝きの中に死に様を求めて。
計り知れない寂しさを、あっけらかんとした天真爛漫さで覆い隠して。
簡単には死にきれず、どこまで逝っても生き返る。
根無し草のように当てもなく旅路を進める中で、人々の輝きの営みを目の当たりにしていくシャノンは、素敵に死ぬ為のヒントと鍵を見つけ出せるのか?
いつかちゃんと終わる日が来る事を願う、不老不死の少女が報われる時が来るのだろうか?
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