「新しい支配」への抵抗は可能かーー木澤佐登志『闇の精神史』(ハヤカワ新書)評

本書は、第1章「ロシア宇宙主義」、第2章「アフロフューチャリズム、第3章「サイバースペース」と終章からなる。

3章のサイバースペースの議論は、私が3年前に書いた本『ポストヒューマン宣言』(小鳥遊書房)でうだうだと議論した論点を、すっきりスマートに整理されていて、その手際はさすがである。(脱帽している場合でもないか…)。私が「ポストヒューマンのパラドックス」や「ポストヒューマンの人間的葛藤」と呼んだものは、本書では〈不気味なもの〉や、単に〈もの〉と表現される。マトリックスより、ギブスンより、さかのぼって(東浩紀の議論を引き継ぎつつ)ディックにメタバース的可能性を読み込んだのは、興味深く読んだ。私も『SFマガジン』にディック論を寄せたことがあるが、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をテクストに、しかし映画版『ブレードランナー』ではオミットされているガジェット=共感ボックスを重要なものとして位置付けた。今思えば、共感ボックスはVR的ガジェットである。

カウンターカルチャーからサイバーカルチャーへと変容する過程で政治性が消えていったと、木澤は指摘する。街頭デモに集う身体は国家にとっての物理的=政治的脅威であったが、いまや人々の身体はデジタルに設計されたアーキテクチャによって徹底的に馴致される。規律訓練的な意味ではなく、環境管理的に。身体は外からも内からも抑圧されることなく、ただ環境の一部となり、資本=企業の設計対象となる。『マトリックス』の人間電池よろしく、身体はデジタルデバイスとSNSを通じ、情報の狩場となった。Apple社のマッキントッシュが1984年のビッグブラザー(IMBの比喩でもある)を打倒するファッショナブルなCMを作ったが、いまやGAFAが「新しい支配者」である。

情報産業は、古来から脱身体化の夢を追い求めるが、情報は何らかの物質を必要とする。橋本努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』や、ギヨーム・ピトロン『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』でも指摘されているが、脱身体(脱物質)は不可能だ。が、不可能だが可能だと信じたくなるのが、人間が生得的にもつ認知的バグなのだろう(ジョセフ・ヘンリック『WEIRD』)。人間を支配する中央集権的な存在としてとらえられていた巨大なコンピューターが、パーソナルでネットワーク的なものとなり、人々と機械(コンピューター)の融合を通じて(身体の)支配から解放する、ユートピアへの扉として認識されるようになった。サイボーグは、人間と機械のハイブリッド的存在だが、じつはサイボーグの可能性を指摘したダナ・ハラウェイは、機械の可能性と同時に人間身体の不可能性(身体は身体としてありつづける)、サイボーグが解放だけではなく隷属ももたらしうるという両義性に注目していたことは、もっと強調していいのではないか。

メタバースが、メタバース世界での身体的自由を約束する一方、メタバースに入るために「健常な身体」を要求している、という指摘は面白い。目が見えないひとにとってスマートフォンがまったくスマートでないのと似ている。テクノロジーは、私たちの身体的負担を軽減してくれるのは確かだが、その時に対象とされる「身体」はカッコつきのものでしかない。という意味で、私が『ポストヒューマン宣言』でティプトリー「接続された女」、ギブスン「冬のマーケット」を論じたのは、重要であったと再確認した(自画自賛!?)。自著ではうまく掘り下げられず軽くしか触れていないのだが、ギブスン原作の映画『JM』で、サイバースペースがどう表象されているのか、具体的には「見る」のか「入る」のかどちらなのか、はけっこう大事な論点ではないか。

最近、陰謀論についての本を読んでいて、アメリカでは「真実に目覚めさせる」という意味でred pillingという動詞が使われる。むろんこれは『マトリックス』由来のミームである。VRによって人間が飼い慣らされるディストピアを描いたSF映画が、脱政治化されたサイバースペースが政治化(特に保守・右傾化)する時に参照される、というのは興味深いというか、なんというか。マトリックスの悪夢が社会に実装された、ともいえる。筆者は「ネット=サイバースペースは今や、「ここではないどこか」ではなく、私たちを包囲して留め置くための「ここ」になった」という。「ここではないどこか」とはユートピアを踏まえての表現だが、私はSFは「現実を異化し、いま・ここではな世界」を描く文学ジャンルだと考えている。インターネットによる「新しい支配」が「いま・ここ」の物語でしかない時、SFが見せるビジョンはどんな可能性があるのか、と問わずにはいられない。

と3章について多くを書いてきたが、1章2章は知らないことも多く勉強になった。3章のあとに1章を読み直すと、輪が閉じる気がする。


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