直感と推論のあいだーー綿野恵太『みんな政治でバカになる』(晶文社)

ぱっと見て「冷笑的」「シニカル」なタイトルだと思うかもしれない。このタイトルにのみ釣られて、感情的な脊椎反射で、この本を批判したくなるかもしれない。(そうした人もいたような…)しかし、通読してわかるのは、直感・感情に開き直るのでもなく、いたずらに揚げ足取りだけに興じる冷笑主義でもなく、その両方を行ったり来たりするのが重要であり、そのために現実を数字で功利主義の視点で見つめるシニカル(時に冷笑主義とさえ言われるかもしれない)な態度は、必要なものだ。

カーネマンのファストー&フローのように、人間の認知は直感システムと推論システムの二層構造になっている。この二層構造は例えば大衆(直感)と知識人(推論)にも見られるし、大衆の生活に根差した欲望と国家的な利害調整機関としての国会(議会)という民主主義の選挙制度にも見られる。私たち人間にはさまざまな認知バイアスがあり、そもそも生得的に「バカ」に振る舞ってしまう。仲間を大事にし、敵には厳しい目を向ける。仲間内のフリーライダーは取り締まり、仲間内で信頼を高める言動は積極的に真似していく。認知バイアスの影響を強く受けた直感的なふるまいを、直感とは距離をとる(相対化、対象化する)推論システムや、推論システムが具現化した文化・慣習が、ほどよく直感を制御してきた(はずだ)。それがいまや、インターネット/SNSの登場により、私たちの直感が、推論システムが機能するはずの社会的領域にしみこんできた。透明なアルゴリズムを開発することで、「民意」を直接に政治に反映させよう、と主張するものもいるが(成田悠輔)、SNSにダダ漏れる「直感」は果たして「民意」なのか、という問題は棚上げされている。

さて筆者が認知バイアスに加えて指摘するもう一つの「バカ」は環境によるものだ。社会の複雑化、政治の専門化、投票行動の無力感などの環境要因が、人々を政治的無知(バカ)にとめおく。2種類の「バカ」がくみあわさって「みんな政治でバカになる」のだ。

どうしたら良いのか? 直感システムと推論システムのバランスを意識することだろう。さいきん「ドーパミン」という言葉が人文業界でも聞くようになったが、要は人間の脳をどうしたら効率よく刺激できるか、という工学的な文脈で使われる。推論システムによって直感システムをハッキングしている、とでも言えば良いか。そのような状況下で、いまいちど、直感システム/推論システムの関係(距離感)を検証するのだ。直感システムを操作する推論システムをメタ認知する、とでもなるか。

もう一つは、他者とのコミュニケーションである。オンラインではなく。ハーバーマスとジョセフ・ヒースを参照しつつ筆者が説くのは「コミュニケーション的合理性」の大切さだ。人間のはどうしても「手前味噌」(認知バイアス)だ。ほうっておくと自分の考えがどこまでも正しく思える。ので、自分の考えをさらに正しくするためには、絶対的に他者の視点が必要となる(このへん、J・S・ミルっぽいかも)。筆者ははっきり書いていないが、このコミュニケーションは、オンライン/SNSでは無理ではなかろうか。あまりに直感システムに支配されているプラットフォームなので。

たぶん「良いシニカル」と「悪いシニカル」がある。他者と自分の関係を繋ぎ直すシニカルさが、求められているのだろう。筆者は呉智英の「ドジ」と「バカ」という言葉の使い方を、文芸批評的に読む。この読みが、面白い。直感と推論のあいだをつなぐのは人間で、だから文芸と批評は必要とされるのではないか(話がでかくなったぞ)。

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