人間はウソに弱い生き物であるーー石川幹人『だからフェイクにだまされる』(ちくま新書)

「だから」とタイトルにある。何に続く「だから」なのかといえば、人類がおよそ300万年前に始めてから進化によって獲得した心理的傾向(のまま)「だからフェイクにだまされる」のだ。「問題の根源は、人類の歴史で育まれた伝統的な心理構造が、比較的自由な現代の社会環境とミスマッチを起こしていることに人々が気づいていない点にある」と筆者はまとめている。進化心理学の見地から、生物種としての人間がもつ心理的傾向(バイアス)を説明し、現代のフェイク(ニュースのみならず、実体と離れた力の誇示ふくむ)がいかに人々の脳にハマってしまうのか、を解き明かす。フェイクにハマる脳の構造/傾向を明らかにすることで、フェイクへのカウンター(対抗)を目指すのだ。

狩猟採集生活時代に形成された人間の心理的傾向を抽出していこう。そもそも100〜150人規模の共同体で生活していた(ダンバー数)。この規模は、1人の人間が親族・知人としてつきあえる限界とされる。皆が親戚・知人である共同体では、嘘をつくことはない(しない・できない)。個人が嘘をつくと共同体の生存が脅かされるので、その個人の評判は下がりやがて共同体から放逐される。皆が協力して食糧を調達し、皆で分配する。嘘をつくインセンティブがあまりない。…ということで、狩猟採集時代の人間は嘘をつかれることに慣れていない。人間にはミラーニューロンが発達しているが、共感をベースに共同体を運営してきた結果でもある。

とはいえ、人間には言語運用能力や想像力が備わっている。チンパンジーに簡単な言語を教えられても、言葉で嘘をつけるようにはならない。ジェスチャーは「ある」ものは指せても、「ない」ものは示せない。言語という記号が生まれて初めて、想像力(物語)が人類にもたらされたのだろう。小規模な共同体から、大規模な共同体かつ親族ではなく個人ベースになる。社会は大規模・複雑になり、部族意識を高めるために、「ウソ活用社会」へと変貌をとげる。活用されるウソとは、神話や宗教のことだ。共同体が小規模であれば、「知人の評判(いわゆる、口コミ)」がその人の評判の保証となったが、共同体が大規模で流動性も高いと、お互い知らないもの同士でコミュニケーション(商売ふくむ)をやることになる。自分の信頼を保証してくれる人がいなければ、自分で評判を勝ち取るしかない。実力が本当にあるならば問題ないが、実力がない場合はフェイク(こけおどし、ディスプレイ行為)が合理的な選択肢として浮上する。取引が一回限りであるなら、自分の評判は盛り放題、である(もっとも、それが相手に信じられるかは別の話だが。)

本書を読んで考えたのは、インフルエンサーとははたして何者なのか、ということだ。インフルエンサーの役割は、評判を保証することだろう。インフルエンサーの保証力の源泉に何があるかというと、何もないのだが。あるとすれば、「インフルエンサーはインフルエンサーだからすごい」とでもいうべきトートロジーがあるだけだ。インフルエンサーには生まれながらのインフルエンサーと、自力でインフルエンサーになったものがいる。前者は、インフルエンサーの子供である。これはインフルエンサーとしての評判を、自分の親(インフルエンサー)から保証されている。インフルエンサーの子供がインフルエンサーなのは、親がインフルエンサーだからだ(親族ベース的保証)。他方、自力でインフルエンサーになったものもいる。この場合、有名になる過程は本人の努力(実力)が必要だったかもしれないが、ひとたびインフルエンサーに仲間入りすれば、トートロジーの世界を満喫できる、ということではないか。例えば、論破芸で評判になってしまえば、その後は、実際に論破できていなくても周囲からは論破だ論破だとチヤホヤされうるのだ。私たちは自分でそう思う以上に評判の世界に生きている。だからSNS/イイネが、どうしても気になってしまうのだ。

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