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三千世界への旅 魔術/創造/変革56  ハイデガーとナチスとハンナ・アレント3

屈折したハイデガー批判と擁護


ハイデガーとの関係について、アレントの中にはとても複雑な思いがあったようで、彼女の発言を必ずしもそのまま受け取れないところもあります。

第二次世界大戦後にヤスパースと交わした手紙の中で、ヤスパースが率直にハイデガーの思想を根本から批判しているのに対して、彼女はそれに賛同するような反応を示しながら、少しずつ表現をずらし、結局ハイデガーを擁護しているように見えるからです。

たとえばヤスパースがハイデガーに「不純な」ものを見ていたのに対して、彼女はハイデガーの特徴を世間知らず、そのために生まれる「無性格」ととらえ、「嘘と臆病が支配的な」人間として語ってきたと中山元は言います。

「ハイデガーは政治的な意味での責任のとりかたを知らないし、政治の意味も知らないと考えていたのである。」(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.394)

つまり、ハイデガーは政治的に幼稚で無邪気だから、そんなに悪気はないと擁護しているようにも見えます。

このハイデガーの幼稚さ、無邪気さについてはヤスパースも同意していて、ハイデガー当人への手紙に「あなたはナチズムの諸現象に対して、まるで子供のごとく振る舞ったように思えたわけです。その子供は、夢を見ていて、自分が何をしているのかが分からず、まるで盲目のように、また忘却しきっているかのように、企てに参加するのですが、その企てはその現実とは別様に彼の眼には映じており、そのためにそのあとでは彼はやがて瓦礫の山の前に途方に暮れてたたずみ、あとは流され続けるままになる、というわけです」と書いています。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.394)


批判の皮をかぶった擁護?


しかし、やがて時が経ち、ハイデガーが80歳になったとき、アレントはラジオ番組向けに行なった講演で、ハイデガーの行為を「彼の性格や責任のとり方の問題ではなく、哲学に固有の問題とみなそうと」したと中山は言います。そして、これは「ハイデガーの問題を、ハイデガーの個人的な問題ではなく、哲学と政治の問題として考えようとするということ」であり、「ある意味では問題をすり替えて、ハイデガーをその犯した過ちから救済することである」。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.394-395)

また、ハイデガーの「弁明」が雑誌『シュピーゲル』に掲載されたとき、アレントはヤスパース宛ての書簡で「『シュピーゲル』のハイデガー=ルポルタージュをどうお思いですか? 私はまったく気に入りません」と言いつつ、「彼のことはそうっと放っておくべきです」と語っています。

これも、ハイデガーに対して否定的な立場をとるように見せつつ、彼をかばうアレントの態度のひとつと言えるかもしれません。


問題のすり替え?


「これに対してヤスパースは強く反応した。『この場合には、ハイデガーを〈そっとしておく〉のは望ましいことではないと思いますよ。彼は一勢力であり、今日ではふたたびみんなにとって、彼を引き合いにだして自分自身のナチ関与を弁解できる存在なのです』」(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.395)

こんなふうに書いていくと、まるでアレントが女性としてかつての愛人をなんとか守ってやろうとしているような印象を与えるかもしれません。しかし、問題の核心はそういう個人的なことのさらに奥にあります。

彼女の女心について語るだけなら、こんなにくどくど書く価値もないわけですが、ハイデガーの思想は人類を、近代の非人間的で絶望的な状態から救いだすと同時に誤った方向へ導いていきかねない思想だからです。

しかもそれはナチスの思想とつながっているからとか、共通する部分があるからということではなく、近代の人間の誰もが陥っている状態においてどう生きるかということ、特に何か問題を解決するために、個人の中に引きこもるのではなく、集団としてまとまり、行動するときにどうするか、何が起きるか、そこに生まれる否定的なものをどう避けながら進むかといったことと関わっています。


アレントとハイデガーの相違点


中山元の『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』によると、アレントは学生時代からハイデガーの圧倒的な影響下に入ったものの、恩師の考え方を批判し、そこから抜け出すことで、自分の考え方を創造してきたのだそうです。その努力は彼女がハイデルベルク大学でヤスパースの指導の下に博士論文『アウグスティヌスの愛の概念』を書いたときにはすでに始まっていました。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.372)

アレントがハイデガーを批判した重要なポイントのひとつは、彼が人間の本質を「死すべき者」、人生を「死への先駆」としたことです。

人間は永遠ではなくいずれ死すべき者であり、いずれやってくる死という未来を予期しながら生きるしかないとハイデガーは考えたのですが、アレントはもっと肯定的に人間という存在をとらえます。

「死という最終的な境界に向かって生きながらも、究極の起源に向かって生きることができるのは人間だけである。人間の存在の時間的な構造は、ハイデガーのように未来への予期だけで構成されるのではなく、何よりもまず過去についての記憶によって構成されるとアレントは考える。起源としての創造者の神学的な思想が、存在の時間構造として人間学的にも考えられているのである」(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.376)

とてもニヒルなハイデガーの深い哲学批判から学びながら、なんとか人間を肯定的な存在としてとらえようとしたのが、アレントの生涯にわたる努力だったのかもしれません。


ハイデガーの怒り


しかし、これはハイデガーにとって認めがたいことだったでしょう。

先に紹介した、アレントが『人間の条件』を出版するにあたって、「あらゆる点でほとんどすべてをあなたに負うている」のだから、ハイデガーに献辞つまり、この本を彼に献げるという一文を載せるべきだったけどできなかったと釈明の手紙を送ったとき、ハイデガーは激怒して、しばらく文通が途絶えたと言います。これはただ献辞を載せなかったことに対する怒りではなく、『人間の条件』という本の内容そのものに対する怒りだったと中山元は推測しています。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.391)

この本においても、アレントはハイデガーから思想の土台を受け継いでいながら、人間の本質を真逆にとらえているからです。

ハイデガーが哲学に与えたインパクトが、ニヒリズムにどっぷり浸かりながら、それでも生きなければならない人間という存在を提示したことにあるとしたら、アレントはそこに人間の肯定的な豊かさ、価値を見出そうとしています。

彼女が第二次世界大戦後の世界で評価され、人気を博している理由はそういう肯定的な姿勢にあるのかもしれません。しかし、ハイデガーにとってそれは自分の思想を活用しながら真逆の方向へ人を誘導しようとするまやかし、裏切りと見えたでしょう。

ハイデガーにとって、そうした肯定的な姿勢は、イギリスやアメリカの資本主義や自由主義の根底にある弱肉強食による支配や、それによって可能になった支配を正当化してしまう合理主義を擁護するものだからです。


アレントの姿勢


科学や経済のシステムを活用して、近代の先進国は人類史上類を見ない豊かさ、繁栄を実現したわけですが、このシステムが人間を虚無的な状態に落とし込んでしまうことを、ニーチェやハイデガーは正面から受け止め、そうした状態で生きることはどういうことなのかを徹底的に考えました。

一方、イギリスやアメリカなど先進国で、資本主義や自由主義を信奉する人たちは、知識人も一般人も含めて、近代の科学・経済のシステムを肯定的に受け入れようとしていました。

そのポジティブな姿勢こそが、先進国を近代的な自由競争の勝者にしたとも言えますから、肯定的であるのは当たり前と言えるかもしれません。

アレントはハイデガーの哲学の主要な部分を活用しながら、人間がニヒリズムに陥ることを防ぐような、肯定的なビジョンを示すことで、彼とナチスを乗り越えようとしたと考えることもできます。

しかし、ハイデガーとしてはそれで自分が示した徹底的なニヒリズムを、アレントが乗り越えたとは思えなかったでしょう。それは結局のところ、彼の思想の否定でしかないからです。

自分の思想の土台を利用して、自分の思想を否定するアレントのやり方を彼は許すことができなかったでしょう。

アレントのファンは、彼女の肯定的な姿勢を高く評価するでしょうし、ハイデガーはナチ党員という前科を持っているんだから、ニヒリズム的な哲学もどうせロクなものじゃないと考えるかもしれませんが、問題はそういう表面的なことではありません。

問題は、科学と経済の時代に世界を支配するシステムが、物質的な豊かさと引き換えに、いかに徹底的に人間から自由や尊厳を奪うかというところにあるわけで、それに徹底して向き合って生まれたのがニーチェやハイデガーの考え方です。

表面上陽気だったり陰気だったりするといった違いはあるにしても、彼らのニヒリズム、根本的なネガティブさは、科学と経済のゲームが勝敗や支配を決める時代が続くかぎり、意味のあるものであり続けるでしょう。

彼らの思想の土台を借用しておいて、人間の生き方や社会の在り方をポジティブにとらえようとするアレントの姿勢には、意外と本質的な矛盾、欠陥があるように思えます。

彼女が戦後にハイデガーを批判しつつ擁護するという、矛盾した態度をとったのも、単なる男女関係や師弟関係ではなく、もっと思想的な根幹からきたものだったのでしょう。


ハイデガーの反省と転回


ハイデガーの80歳を祝う講演をラジオで行ったときも、アレントは単なるお祝いではなく、ハイデガーへの批判をさらに深めたかたちで展開していますが、この批判は結局、ハイデガーを大きな意味で擁護するところへ落ち着いていきます。

ハイデガーは戦後かなり経った1976年に雑誌『シュピーゲル』での対談で、テクノロジーの巨大な影響力について語り、これをどう活用・制御するかが重要であること、特にそれを行う「政治的組織」が重要であると語っています。ナチスはこのような役割を果たす政治的な組織ではありえなかったという悔いと批判が、そこには込められていると中山元は言います。

ハイデガーは『ニーチェ』で「超人」をこうしたテクノロジーを活用・制御する能力を持った者としてとらえているわけですが、第一巻でそれを肯定的に紹介しながら、第二巻で批判しているのは、中山元によると「第一巻ではニーチェにナチズムのもっていた可能性(とハイデガーが考えるもの)を代表させ、第二巻ではニーチェにナチズムの欠陥を代表させる。第二巻のニーチェ批判の要点は、近代技術が自然の破壊をもたらしたことの対比において、ニーチェの意志の概念が自然にとって破壊的なものであることを指摘することにある」(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.406)からです。


ナチスの欠陥の本質


これに対して「アレントは、意志がこのようなものになったとき、あらゆる客体は『主体によって征服されるためにある。〈力への意志〉は、近代的主体化の原点であり、人間の能力の一切は、意志の命令の下に立つ』ことを指摘する。その時、意志は『否定、破壊、荒廃を意志すること』になるのである。このように意志が破壊的になると、意志は自然を技術によって支配し、破壊する意志になる」と指摘する。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.407)

アレントによると、後期のハイデガーが批判した意志とは、このように自然や人間すべてを支配し破壊しようとする意志のことであり、ハイデガーの思想的な転回はこの破壊性に対してのことであるということになります。

つまり、ハイデガーはニーチェを通じて第二次世界大戦中に立場を変え、ナチスから距離を置いて、ナチス批判を行っていたということです。

前にも言ったように一般人にとってわかりにくい著作の中でインテリが何を言おうと、ナチス党員も一般のドイツ国民も気づきませんから、ハイデガーの政治的な弁解にはなんの役にも立ちませんが、それでも彼女は、ハイデガーのナチス支持という過去は批判しながら、なんとか彼の思想の重要な部分を救出しようとしているように見えます。

彼女が自分の思想の土台を借用しているハイデガーが、ナチス批判によって思想的な根幹まで否定されてしまうのは、どうしても避けたかったのでしょう。

戦後何十年も経った時点で、ハイデガーがこうした自己批判的な弁明をしていることや、アレントが彼とナチスの関係に批判的な立場をとりつつ、彼の過ちの範囲を限定して、他の部分を救済しようとしているところにも、この問題の根深さが表れているような気がします。

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