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国司の愛したオオタカ

皆さん、夢は見ますか?めでたい夢は一富士二鷹三茄子と言われますが、どれもそんなに都合良く登場してくれる物ではありませんね。(特に茄子)。
ちなみに私は夢を見るのをやめました。
しかし今から約千三百年前、鷹を愛しすぎるあまりに、鷹にまつわる夢を見てしまった人が富山にいるのです。
誰あろうそれは越中国司、大伴家持です。今回はそんな猛禽好きな家持さんの足跡と、異常なまでのタカ愛 を、万葉集から探ってみました。

家持さんが鷹狩りを楽しみだしたのは 746 年、29 歳で越中国司として富山に赴任してからのようです。国司といえば地方の行政長官ですが、現在で言うと県知事と議長と裁判所長と警察本部長を兼ねているような役職ですので、20代で越中国の国司となるのは大抜擢です。多分浮かれる家持さん。多くの歌を越中で読みます。

越中国司跡(現・勝興寺)

家持さんのタカの歌7首は、全て越中で詠まれています。また、万葉集で鷹の歌を詠んだのは家持さんだけです。鷹を飼い始めた理由は万葉集によれば「奈良の都を離れて、知人も少なくて寂しいから、気が紛れるかと思って」。今も昔も寂しい転勤族は妙な趣味に没頭しがちです。

部下の山田史君麻呂(やまだの ふひときみまろ)が氷見で捕獲してきた家持さんのオオタカは、矢形尾(やかたお)と言って、尾羽 のまだら模様が矢のように尖る特徴を持っていました。それが自慢の種だったらしく、家持さんは 寝室の中にまで止まり木を設置して可愛がり、頻繁に歌に詠みます。 マニアの趣向は一般人には理解できません。

自室に据えたお気に入りの鷹を 撫で眺めながら「ああ、やっぱり俺の矢形尾の鷹、カッコイイよなあ」と一人悦に入る家持さん。きっと奥様や部下は眉間に皺を寄せながら微妙な笑顔で応じたことでしょう。

家持さんお気に入りの狩場は 石瀬野(国道8号線の庄川西岸)や三島野(同東岸)です。大黒(おおぐろ)と名付けた愛鷹が華麗に狩ったカモやキジを手にして「俺のタカ最高!」とご機嫌になっている家持さんが詠んだのが下の和歌です。ただの無邪気な男子です。

ところがある日、山田君が勝手に大黒を三島野に持ち出し、逃がしてしまいます。家持さん怒ります!犯人の山田君を「狂った醜い老人」と呼ぶ恐ろしさです。「無断で持ち出しやがって…しかも 雨の日だってのに…」とネチネチと綴った上、この個人的な事件を自分で万葉集に入れてしまいます。 現代なら匿名でネット掲示板に書き込むような行為です。

飛び去った方向の二上山を眺め「俺の大事な大黒 …無事に帰ってくるだろうか…」と心を痛める家持さん。ついには「夢で若い娘が『鷹は氷見の 海岸で元気にしていますよ』とお告げした」と言い出します。もうほとんどノイローゼです。国司の仕事どころではありません。

大黒が帰ってきた! という歌を残せぬまま、我らが愛すべき家持さんは751年に越中を去ります。楽しかった狩場を、遠ざかる二上山を、馬の背から何度も何度も振り返ったことでしょう。

家持が愛した石瀬野、三島野付近の庄川河畔は、今でも様々な冬の渡り鳥が群れ集まる探鳥スポットです。堤防の上から水鳥を眺めていて、もし、カモ を狙って二上山方面からオオタカが出現したら、その尾羽の文様に注目してください。ひょっとしたら、 家持が愛して止まなかった大黒の子孫かもしれませんよ…?

(関係資料は高岡市万葉歴史館で閲覧できます。)


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