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まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ~2024年9月1日OPEN

2024年9月1日 起業する。

といっても、スタートは個人事業で小さく、小さく。小さく始める。

個人事業なのに「起業」という言葉をあえて使うのは、おおげさである。「開業」というのが正しいのだろうだけれど、それでもわざと「起業」と言い続ける。

志だけはでっかい事業を起こすのだから、「起業」って呼んでいいだろうと。

屋号は、

eager souls 

と決めた。そこのメイン事業が「まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ~」というオンライン塾の運営である。

他にはWebコンテンツの制作、配信、販売を行う。既にAmazon限定で電子書籍を何冊か出版しているが、これも軸のひとつになる。

個人事業は学生時代からやっていた。山あり谷ありだったが、2016年に一度、人生が破綻する程失敗して、終わった。今回、再チャレンジだ。

屋号「eager souls」の由来

屋号である「eager souls」 は、日本語になおすと、どうしても陳腐な言葉になってしまう。「熱心な魂たち」なんて直訳すると、何だか違う。ここでいうsoulsは「人々」を指す。だから「熱心な人々」と訳すこともできるが、少し違うのだ。だから英語のままで用いる。

出典は、
Stanley Baldwin 『On England and other addresses』の一節より。

著者は元イングランド首相。

優し過ぎて周囲に気を遣い過ぎ、人に命令するのが誰よりも苦手な首相・・・それだけで愛着が沸く。

ただ彼の思想信条に共感したというよりは、本書で出会った「eager souls」という言葉に、その表現に、発想に、胸打たれた。日本語でうまく表現できるようになりたい。

その過程で生まれたのが「志道正宗」という四文字だった。

「志道正宗(まめじい)」の表記の意味

通称「まめじぃ」の私は、ペンネーム・ビジネスネームとして「志道正宗」とも名乗っている。「志道正宗」の四文字はeager soulsに通じる。特別に想いのこもった造語でもある。

なぜ本名を名乗らないかというと、理由はたくさんあるのだけれど、要するに、知られたくないからだ。

先ほど少し触れたが、私は、過去に人生がひっくり返るような大きな失敗をしてしまった。結果として、事業はぜんぶダメになった。預金通帳の残高がマイナスになった。家族が離散してしまった。たくさんの方にとんでもないご迷惑をおかけしてしまった。

ご迷惑をおかけした方々に申し訳なさすぎて、本名を名乗るのは憚られるのだ。

「まめじゅく」とは?

通称「まめじぃ」の塾だから「まめじゅく」というだけである。

で、結局、一体何をやろうとしているのか

正直、ここが漠然としていて、すべてを言語化できないのに、もう開業しようとしている。

私と同じように(オマエと一緒にするなと思われるかも知れないが)、人生につまずき、どう生きていけばよいかわからず、苦しくて、誰にも相談できなくて、どうしよう、何とかしたい、そんな風に生きづらさを抱えている人たちと、一緒に生きていく会社をつくりたいと考えたのだ。

まずは個人事業から。ゆくゆくは法人化。

ただ私には何もない。ほんとうに何もない。あるのは、あと何年生きられるかわからない命と、ブレブレにブレまくってすっころびそうになりながらも、何とかかんとかくすぶっている「志」だけだ。

もう、死ぬことばっかり毎日考えていた男が、人生をやり直そうと動きだしているだけでも、それだけでも、まあよし、なのであるが、

同じように(一緒にされたくないかもしれないけれど)、苦しんでいる人たちの背中を押せるようなことは、何でもしたいと思っている。

なぜ会社がいいかというと、NPO法人だと、やることが制限されてしまって、活動の自由さが失われてしまうのではないかと考えている。

要するに事業のテーマとしては、

人生は何度でもやり直せる。もう大丈夫。ワシもついとる。

これは仮のスローガン。もうちょっと改良したい。

という事なのだ。そのテーマに関することを何でもできる器(=ハコ)を作りたいのだ。

「eager souls」のメイン事業である「まめじゅく~人生七転び八起リベンジャーズ」という名称も、要するに単に英語や数学や国語を教える塾、というわけではなく(いや教えるけれども)、人生をやり直すのに必要なことは全部ここで教わることができる、というのを目指している。

もちろんこんなの、私ひとりで成し得ることではないのだけれど、いまのところ誰も仲間がいない(古くからの親友たちは大出世して雲の上)ので、ひとりで始める。死ぬまでひとりかも知れないけれど、それはそれで、いい。

ただ最近、自分に無いものを全部持っている人と出会ってしまって。

この人と仲間になりたい、と心から思った。いやもう既に、一緒に働く仲間なんだけれど、出会ってまだ1年も経っていないし、そもそも起業の話はまだしていない。

センスとか、見ている世界とか、同じものを見ていても、感じるものが全然ちがうというか。その感性を、素晴らしいと思った。

イラストが激うまなので、出版部門でイラストのご協力をお願いしたいと模索中である。声もとびきり素敵だから音声コンテンツの配信も提案してみたい。あくまで可能性として。

相手にも人生がある。人生の貴重な時間を無駄にさせるわけにいかない。しっかり相談しながら、お互いにプラスになるような道が拓けたらうれしい。

やりたいことは「人助け」なのか?

私がやりたいことは、結局、ビジネスにしなくても良いことなのではないか?

単に「人助け」がやりたいだけなら、ボランティア団体で活動すればいい。わざわざ私ごときが、新しく事業を立ち上げなければいけない事なのか?

そんな風に、いつもブレてしまう。

人助けを「偽善」で「自己満足」だととらえるなら、無償で、ボランティアだけをしていれば、それでいいのだと言われても仕方ない。

でも、私は、ビジネスとしてやりたい。なぜなら、稼いだお金で、やりたいことがあるからだ。

何をやりたいかというと、

大人も子どもも誰でもいつでも来られる、「時々授業もやる自学スペース完備」の子ども食堂&cafe。

[教育サービス]×[飲食]ビジネスだ。

子ども食堂によくある、寄付金頼みの常に資金難にあえぐような、脆弱なボランティア活動ではなくて、ちゃんと収益化できるようなところ。

・学びたい人が、学びたいことを、学びたいだけ学べる場所づくり。
・居場所のない子どもも、大人も、ここに来れば安心できる場所づくり。
・学びたくない人が、ここに来るとなぜか学びたくなる場所づくり。
・生きていくのがしんどかった人が、ここに来るとなぜか、生きようと思える場所づくり。

人生につまずき失敗ばかりでも、ここに来れば、またがんばるぞと思えるそんな場所。「塾」であり「学び場」であり「生きる場」であるので、勉強も食事もできるところでなければいけない。「道場」と呼んでも差し支えないかも。元空手道場経営者だし。

ああ、もう完全に、志というより夢想ではないかとも思えてきた。

でも、きっと自分はこういうことを夢見ながら、もがいてもがいて動いていないと、生きられない性分なのだと思う。

誰に何と言われてもいい。偽善だと笑ってもらっていい。それでも、私は、誰かが笑顔になってくれるなら、誰かの夢を応援できるなら、嬉しいし、楽しい。

何でこんな風に育ったのか知らないが、小さい頃から、誰かを応援しているときが、いちばん幸せなのだから。

自己満足のため、と言われたらそうなんだろうけれど。

私も人生やり直している途中。自己満足で誰かの人生が救われ、私の人生も救われるなら、いいじゃないか、と開きなおることにしている。

看護学校受験対策専門塾「なすらぼonline」は、夢への第一歩。

2022年にスタートした「看護専門学校・准看護学校受験対策専門塾なすらぼonline」は、私の夢への第一歩なのだ。

看護師になりたい人を応援したい。

かつて、お世話になった看護師さんの過労死に、震えるくらいのショックを受けた。優秀な人材をもっと現場に、と心から思った。自分は到底なれるとは思わなかった。だって血、怖いもん。

進学塾を営んでいた頃、シングルマザーのご家庭で、安くない月謝を遅延なく毎月支払って下さるご家庭は、「経営者」と「看護師」のご家庭だけだった。

あるとき、保護者でシングルマザーで、病院の売店でレジ打ちのバイトをしていた方に、看護学校にチャレンジしたいと相談された。

「せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです」

これは度肝を抜かれた。患者様の身になって、とか、医療に人生を捧げたいとか、そういうのじゃなくて、経済的に自立するために、看護師はコスパ最強なんだ、という主張。確かにそうだと思っちゃった。

だって、病院にもよるけれど、卒業後、指定の病院に就職して3年勤務してくれるなら、学費全部出すって制度、これはすごいと思った。

そうまでして、人材が必要な業界なんだと。

今でこそ、かつてのような深刻な看護師不足というのは、「全体的には」改善されつつあるとは思う。それは看護学校の倍率が、年々下落し続けていることからもいえる。

それでも、母子家庭で、収入の少なさにあえいでいても、年齢に関係なく国家資格を目指せて、お金を県や病院が支援してくれるなんて、そりゃあ「人生逆転」やんか(三重弁)!本人はもちろん、そのお子さんも救えるんやで(三重弁)!(エセ関西弁って言わないで)

だから「まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ」を名乗るまえに、「なすらぼonline」を先に立ち上げた。オンライン塾だから全国どこの誰でも出会うことができる。

こういうことを、わたしの人生をかけて、死ぬまでやっていたいんだ。

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儲かるかどうかじゃない。これはもう、心の底から沸いてくる衝動だ。

これからも「なすらぼonline」は、「まめじゅく」の柱になる。

まだまだ生徒数は少ないが、かつて人生につまずき、一歩も外に出られず死にたい死にたいと震えていた人間が、また教え子に恵まれ、受講生全員合格という記録を出せているのは、よくやってる方だと思うぞ、と自分に言い聞かせている。

次の柱は「高卒認定」

私が「なすらぼonline」と並行しつつ、「まめじゅく」のコンテンツとして、これから取り組もうとしているのは「高卒認定」である。

中卒だという、たったそれだけの理由で、看護専門学校は入れない。准看護師は目指せるものの、その後、正看護師にステップアップしようとすると、やっぱり高卒以上でないといけない。

看護師に限ったことではなく、将来の進路を考えるとき、学歴が問題にされることは多い。

専門学校で学びたい、大学で学びたいと思っても、高卒以上でないと、そもそも受験資格さえないケースが多い。差別かよ。

だから、高卒認定にチャレンジするということは、その人にとって大きな「人生逆転」の第一歩になると信じて疑わない。

これは自分に宛てた未完成原稿でもある

読者を想定せずに、思うがままに書きなぐった。まだ未完成原稿である。それでも公開してしまう。

それは、ブレてブレまくって、すっころびそうになる自分の志を、なんとか支えるためである。

誰にも読まれなくてもいい(ほんとか?)。

共感してもらえなくていい(かなり強がっている)。

たとえ、それが妄想や幻想なのだとしても、生きる意味が欲しいのだ。

自分なんかが、生きていていいと、思える理由が欲しいのだ。

だったら、一番得意なことで、一番大好きなことで、事業を起こすのだ。

あなたを応援したい。

あなたを笑顔にしたい。

あなたが夢を叶える瞬間に、私も立ち会いたい。

この世に生まれてきてよかったと思ってもらいたい。

こんな自分でも生きていてよかったと私も思いたい。

一緒にかみしめたいのだ。

何度でも見直すんだぞ、じぶん。

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