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豊かさの等高線

阪神間には東西に阪神・JR・阪急の3本の電車が平行して通っている。海岸線を縫うように走っているのが阪神電車。国道2号線の山側あたりがJR。山手の住宅街を突き抜けて走るのが阪急電車である。小生の暮らす青木は下町情緒溢れる阪神沿線にあり、JR・阪急と比べて駅間が狭く駅の数がやたらと多いのが特徴だ。

地元で暮らしている分には気にならないが、エリア外に出るようになると他人の評価が気になってくることは往々にしてある。「どちらにお住まいですか?」と聞かれると少しばかり良く見せたくなるのが人情だ。実は小生も最寄り駅を知名度の低い「青木」ではなく「摂津本山」や全国的に人気の「岡本」と答える場面もあった。若気の至りということで反省。まさにどうでもいいような小さな話だ。

さて、高校は卒業した小生であるが大学受験には失敗し、浪人というかフリーター暮らしをしていた。農学部を目指していたことから言い訳のようにJR摂津本山の駅前にある二楽園という総合園芸店でバイトをするようになる。そこはいわゆる若者に人気の岡本界隈。街のムードは青木とはかなり違って学生街として賑わっていた。

店で扱う品物はデンドロビューム、シンビジューム、胡蝶蘭など高級な鉢物が多く、お届け先の多くが芦屋周辺であった。バイトの身としては「数万円もするような花をプレゼントするなんて…」と不思議に思っていたが、あまり頻繁に注文が入るので次第に慣れっこになっていった。お客の中には「ウチに来た蘭だけど、悪いけど宛名を変えて○○さんへ送ってくれる?」と理不尽な依頼もあったが、考えてみればリサイクルという点では相手にバレさえしなければ合理的だ。お金持ちさんにもそれぞれに事情があるのだろう。

しばらくして仕事の段取りが見えてくると岡本界隈を探索するようになり、昼食後にシックで落ち着いたムードの「五圓釣」という喫茶店へ通うようになる。珈琲一杯が395円だから5円のおつりで五圓釣というわけだ。ちょうどバイトの時間給ぐらいだ。ちなみにお向かいのコンパスという喫茶店は180円だったような記憶があるが、これは少し安すぎた感じもした。五圓釣はカウンターだけのお店で常連が多く最初は居づらい感じだったが、気を遣ってくれるママさんと話すようになってからは常連の仲間入りをするようになった。

カセットテープでかけるBGMは、基本はジャズ系だがあまり聞いたことのない石川セリ、南佳孝などのニューミュージック系も多かった。まあ、単純にバイトのアヤちゃんの好みだったのかもしれない。特に石川セリの「朝焼けが消える前に」や「ときどき私は…」、そして「ムーンライトサーファー」は耳タコものだった。

彼女たちの話題の大半は遊びや友人関係のことでその内容に小生は多少なりとも違和感を感じる。なにが?それは何気にハイソな感じがして正直ついて行けない内容であった。「ワタシね、来年アメリカに留学するのよ」「あっ、じゃあ向こうに友だちがいるから紹介するわ」てな感じである。令和の今ならそれほど違和感はないが、1970年代の後半ではそこそこレアな話題だった。

岡本界隈ではもう一軒「エリート」という喫茶店でバイトをした。そこはご夫婦で経営しているアットホームなお店。こちらもまた常連さんで賑わっていて、山手幹線を挟んだ南側に10台分ほどの専用駐車場を持っていた。それが強味なのかご夫婦の人柄かは分からないが、お店はコンスタントに回っていた。

珈琲はネルのフィルターで30杯分ぐらいを大量にドロップ。それをオーダーが通れば手鍋で温め直すという今では考えられないことをしていたのも懐かしい。それが当時の喫茶店ではごく普通のことだった。はたしてあの頃の珈琲は美味しかったのだろうか。いや、きっと酸味と苦味が強くてそれをたっぷりのフレッシュと砂糖でごまかしていたんじゃないかと思う。

エリートの客層は甲南大学出身のマスターだけに常連さんも甲南グループの人が多く、経営や投資などの華やかな話題が多かった。また、駐車場が広いということで甲南女子のお嬢さんグループも来ていたのだが、一人一台で乗り付ける感じは当時としては珍しく、レジでの支払いもそれぞれが一万円札を出すのでおつりが足りなくなることもままあった。正直に言うとお嬢様の対応は面倒くさかった。

小生はバイトが終わると原チャリで等高線を下るように帰宅する。愛車はバイトで稼いで買ったヤマハのベルーガ。それはそれで自慢だったのだが、マイカーでウロウロする学生にはかなわない。当時はクルマで裕福さの度合いを推し量るような風潮があり、特に女子を誘うためには安物の中古車でもマストアイテムだった。それだけに大学生が新車のAUDIやBMWなんかを転がしていると、羨ましさを通り越して逆に煙たい存在だった。話が合わないのだ。しかしそう言いながらも岡本界隈には学生街としての魅力が詰まっていた。等高線の上部の人には分からない下町ならではの複雑な気持ちである。









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