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ドラマ「雑居時代」が描く人生観

1973年10月から1974年3月まで放送された「雑居時代」は、DVDとして蘇るほどファン層が多い名作ドラマである。大まかなストーリーとしては、集合住宅で庶民的な暮らしをしていた父と娘5人の家族が、父(大坂志郎)の友人が大使として海外に赴任することをきっかけにその大使の豪邸に一家で引っ越すことにはじまる。だが、一つだけ条件としてカメラマンをしている大使の息子(石立鉄男)も同居するという設定である。それはまさに小生の地元と芦屋のような関係である。

最初は一家が暮らしたことのない豪邸での体験が話題となるが、焦点は次第に人間関係へと移り、大使の息子と家族との人情味溢れる複雑な人間関係が主要なテーマとなる。ドラマの中で小生が注目したのは主役である石立鉄男と大原麗子とのやりとりだ。意地っ張りで変骨な二人がさまざまな出来事を経て結ばれるという展開なのだが、最後の最後までヤキモキさせられるところに魅力があった。ことに大原麗子の美しさは格別で、その表情やちょっとハスキーな声のトーンは、思春期の小生にとっては心くすぐられる理想的な大人の女性そのものであった。今でもたまにDVDで観て悦に浸っているお気に入りのドラマだ。

さて、いろいろと事情があって野球部を3年生になる前に退部した小生は、勉強に打ち込むこともなく、気の合う仲間と出歩く怠惰な日々を過ごす。坊主頭から髪の毛も少し長くなりかけていた頃、神戸高校へ進学した秀才の田中君が「中学のときの志万子先生のところに遊びに行かないか?」と誘ってきた。暇にしていた小生としては別に断る理由もないのでOKとする。

志万子先生のご自宅は芦屋の山手の洒落たマンション。「いらっしゃーい。」と玄関で迎えてくれた先生は、本庄中学の担任のときと何ら変わりはないのだが、芦屋の住宅街の雰囲気がなぜか先生をゴージャスに見せるのである。落ち着いた感じのリビングルームに案内されると先客として女子が数名来ていた。

そのうちの一人は前述の山本(仮称)さんだった。「あっ、そうか山本さんは芦屋の子だったな」と思い出す。そんなことは予想をしていなかっただけに血圧は急上昇。せっかくの出合いにも関わらず言葉を交わすこともなく、先に来ていた彼女たちは暫くして入れ替わるように帰ってしまった。まあ、高校生なんてのはそんなものだ。

小生は照れ隠しというかテーブルに用意されたカナッペやお菓子をひたすら食べていた。しかしどれもこれもが初体験のご馳走ばかり。芦屋の暮らしはやっぱり洒落ているなぁと感心する。あのクオリティは多分いかりスーパーの食材だったはず。

田中君はというと淡々と先生に現状を報告している。「そうか田中君は大阪大学を目指してるの、あんたやったら大丈夫や。頑張りなぁ〜。で、君はどうするの?」と話を振られるが、とくに何も考えていなかった小生は「へへへ・・」とごまかすのであった。やっぱり中途半端な人間はダメだ。

話は急に現代と飛ぶが、その田中君は大阪大学の大学院を卒業後にサントリーに就職して、なんと世界で初めて青いバラを開発するという快挙をやってのけるのである。ただ小学校時代から一緒とはいえ、なぜ彼は小生を友人と認識しているのかが謎である。それは今でも続いており、最近になって久々に青木で想い出めぐりをしてみたが、震災の影響もあってさすがに50年前の残像はなかった。

雑居時代の最終回のエンディングは、10年後に石立鉄男と大原麗子がめでたく夫婦となり、姉妹全員が子沢山の一族となって件の邸宅で賑やかに暮らすというシーンで締められていた。当時は10年後がものすごく先のことに感じていたのだろう。なぜか胸が締め付けられる思いがしたものだ。今となっては懐かしい。







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