見出し画像

今村翔吾『じんかん』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.04.18 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

歴史小説好きの事務所の同僚にすすめてもらった『じんかん』。戦国の梟雄として知られる松永久秀を主人公とした作品で、直木賞の候補作にもなった作品です。オビウラには、「仕えた主人を殺し、天下の将軍を暗殺し、東大寺の大仏殿を焼き尽くすーー。」という彼の悪行と、「民を想い、民を信じ、正義を貫こうとした青年武将は、なぜ稀代の悪人となったか?」との文言が並べて書かれています。

設定としておもしろいのは、久秀に二度も謀反を企てられたはずの織田信長自身が、新しい松永久秀像を語っていく点です。冒頭の信長の怒りを見せない態度から、読者はこれからどんな久秀が語られていくのか、興味津々で読み進めていくことになります。そして、物語の中に描き出されていく久秀像の新解釈は文句なしに面白かったのですが、読み終わってみると、個人的には『じんかん』に描きだされている思想の方に強く惹かれていました。

タイトルは、「人間」という字を、個人を指す「にんげん」でなく、「じんかん」と読んだもので、「人と人が織りなす間、この世」を指しています。「修羅が跋扈する」戦国時代にあって、「人は何故生まれ、何故死ぬのか」「人間(じんかん)の何たるかを知る」ために生きる主人公。「神仏」を「人の善なる心を煽る、そのためだけに創り出された紛い物だと思い定めている」久秀は、「人と言う生き物は変革を拒む。人はそれを神だの仏だののせいにして生きているだけなのです」と言い切る強さを持ち、「神仏に人の美しさを、人の強さを見せてやろう」と戦いを挑んでいくような、清々しいまでの理想を追い求める人物として描かれていきます。

迫って来る敵は(略)噎せ返るほどの業が渦巻く人間(じんかん)そのものである。

血なまぐさい戦国であろうと、平和な世の中であろうと、惑わされず自分自身であり続ける人の心の強さと美しさ……。現代の私たちの生き方も問われているような歴史小説でした。