見出し画像

避けてきた「痛み」と向き合う時が来た

これまで、何かを決める時、自然とひとの意見や聞いたことを選んでしまっていた。だからこそ、うまういくこともあったけど、そうでないこともたくさんあった。人間の脳は自然とできるだけ楽をするように出来ているらしい。

うん、納得するところは沢山。
私の性格的に、’’なんとなく’’でいろいろな物事を成し遂げてきてしまったところがある。けど、これからはそうはいかないし、そうはしたくない。

私にも少なからずある。
頭を使った時のあの脳が重くなる感覚。
あの感覚が必要なのだ。考えることが好きだと思っていたが、どうやら好きな物事を考えるときだけだったらしい。
確かに、「痛み」には弱い。難しいことを考えるときのあの脳の痛みだけでなく、ショックなことを知った時のあの心の痛みも。だから、映画やドラマで悲しいものを見るのは好きではなかったんだ、と思う。

けど、今私に必要なのはその「痛み」である。避けてきたとはいけ、その痛みの先には痛みよりも遥かに素晴らしい学び、納得、需要、理解がある経験もあるからだ。

自ら挑戦し受けた痛みは決してネガティブなものではなく、ポジティブな、経験値としてやがて自分を大きくしてくれるものでもある。

いつも頭の先では理解していたけど、つい痛みでやめてしまっていたことも、この痛みの大切さを気づいた今は乗り越えていけるきがする。

いや、向き合ってしっかりと受容していかないといけない。

そんなときに大事なのは、パートナーにその現実を伝え、少しでも支えてもらうことなのかもしれない。人生においてより幸せに過ごす事は、よい関係を人間と、社会と、コミュニティと持つことであるときいた。一番コアなつながり、家族をまずは心から大切に、そして少しずつその環を広げていきたい。

さぁ、有限の人生をどこまで楽しめるか。
どこまでその痛みと近くなれるか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?