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「『言葉のズレと共感幻想』刊行記念トークイベント 細谷功×佐渡島庸平」(主催:二子玉川蔦屋家電、共催:dZERO)の一部

こんにちは。新人のHKです。

2月5日(土)の20:15~21:45に開催した「『言葉のズレと共感幻想』刊行記念トークイベント 細谷功×佐渡島庸平」(主催:二子玉川蔦屋家電、共催:dZERO)の一部を順不同でご紹介いたします。

お金という幻想

佐渡島 お金ってどれくらい触ります?

細谷 5年くらい触ってないですね。

佐渡島 僕もスマホにこれつけてカード一枚。

細谷 何かあったときのためにお札を一枚だけ挟んでありますけど、それ以外はほとんどないですね。

佐渡島 キャッシュレスでいろいろすませてるじゃないですか。そうするとお金ってものが本当に幻想感ハンパないんですよね。

実体があるようでないお金という概念がおもしろいです。お金という幻想を使って生活しているのが不思議です。

執着を捨てる

佐渡島 座禅は面白いですね。何一つ目的を持っちゃいけない。それによって自分が良くなると思ってやっている時点で、もう座禅じゃない。ただ座る。

細谷 究極のフロー的な価値観というのは、すべてが現在に集中していて、「『今』が終わったら現在のみ」という仏教の世界観に近いと思うんです。いろんな意味で持たない。

佐渡島 記憶も持たない。

細谷 執着をいっさい捨てる。

佐渡島 エゴを捨てる。コミュニケーションをしたいとか通じ合いたいとか思うのも執着。

佐渡島 どこにも家という感覚を持たない。東京で週三日、福岡で週四日過ごしてるんですけど、そうすると泊まっているという感じ。すべての移動をトートバッグだけでできるようにした方がいい。服とかパンツとか全部同じ種類のものにしたんで、むちゃくちゃ小さくできる。持ち物が恐ろしく減ったんですよね。

細谷 僕もそれに近いですね。そもそもほとんどスマホでできるから昔持っていたものがほとんどいらなくなった。そうなるとほぼ服だけなんですよね。いろんな意味で持たざる生活。物も持たず、煩悩も持たず、執着も持たず。

何も持たないというのならば、いずれ自我も持たないようになるのでしょうか? いずれ肉体も持たずにマトリックスの世界のような世界で私たちは暮らすようになるのかもしれないですね。

欲と資本主義

細谷 欲の定義がこの時代変わっていくというか、そうすると欲を一つの原動力としている資本主義が大きな影響を受けそうな気がします。

佐渡島 ドラクエの中の鉄の盾が欲しいって感覚と、コンビニでジュース飲みたいなって思う欲望の差ってなんなんだろう?

細谷 欲望ってメタの世界というか、バーチャルの世界のものの方が強くなってきているかもしれないですね。リアルの世界の物欲みたいなものがどんどんなくなってくるから。

佐渡島 そうなると限りなく、僕らが欲望とは具体的であると思っていたものが実は抽象的だった。

細谷 抽象に大きくフローとストックみたいなものがあるなと思っていて、ある意味常識というのも抽象が固着したものというか、ルールとか決まりとか常識とかが固着するとストックになる。そうするといろんな歪みが生じる。周りが変化しているのに抽象概念の方が固定しているので、そこにどんどん歪みが出て来る。

佐渡島 抽象概念をストックしだしちゃうと囚われだす。

細谷 莫大な負の遺産を抱えたというか、それでいろんな不幸が生まれた。人間のすごいところも不幸も全部、まずは物がストックになったことであり、知的なものがストックになったところが諸悪の根源であり、プラスでもある。

欲望というものが幻想なら、資本主義も幻想なのでしょう。まるで見えない怪物に急き立てられているかのようです。所有というものを捨てれば資本主義は瓦解するのでしょうか?

平和と幸福

細谷 バイアスというものはある意味、抽象のストックの最たるものなので、ストックというのはプラスの面とマイナスの面と両方完全に持つことになる。起業するなんて思い込みが強くないとできないですよね。根拠のない自信とかがないとできないけど、それってバイアスの塊なわけです。
 平和の定義っていうのは、平和とかどうかを考えなくてもいいというのが平和な状態じゃないかと思うんで、同じような話が幸福にも当てはまるかなと思っていて、幸せとは何とかというふうに考えなくてもいい状態が幸せなんじゃないかと思います。幸せとか不幸とか考えなくていい状態。

佐渡島 幸せって概念っていつぐらいに生まれて、いつぐらいからみんな考えるようになったんですかね。

細谷 歴史上でどういうところから出てきたんですかね。これも不幸な時代に生まれそうな気がしますけどね。戦争があるから平和をどう実現するかという平和論が盛り上がるわけです。

不幸があるから幸福があるというのは、幸福というものが幻想のように感じられます。マイナスの要因があるからこそ、プラスのものごとを考えるのは人間の抽象化思考をよく表していますね。プラスマイナスゼロになるから、人は無という概念を欲しがるものなのかもしれません。

書籍を編集する

細谷 多くの人に読んでいただくという喜びはありますけど、いっぱい売れて欲しいと思うのとちょっとまた感じが違う気がするんですよね。

佐渡島 編集するときも最近は作者の人とどうしたいのかを話しあう。売れたいのか、自分の思考を整理したいのか、その本をきっかけに社会を変えたいと思っているのか。

細谷 原稿を直すにしても、それを読者目線で分かりにくいという理由で直すかどうかってことですね。分かりにくいっていう理由で直すのはしょせん無駄だから。

佐渡島 一番何に悩んでいたかというと、原稿を直すべきか直さないべきかってことに究極に最後まで悩んじゃって。

細谷 具体的にすると本当に分かりやすいのだろうか。具体的にするということは、幻想を生みやすくするということをもって、具体的にするということなのかもしれませんけれどもね。

佐渡島 僕はdZEROという出版社があるのがおもしろいなというか、いいなと思うのが、日本中の本屋にあまり本を置いていないという点で、自分たちの本をスタートダッシュでしか売らないところには関わってなくて、常に長期的に売れる人のところに置いているから、本の寿命の長さもすごい。
   

お二人は『言葉のズレと共感幻想』の対談から、久しぶりの対談となりました。佐渡島さん、dZEROのことを取りあげてくださり、ありがとうございます。dZEROは取次会社を通さず、書店直取引を行っている小さな出版社です。

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