ミスがゼロになる魔法

 職場で別の支店で起きたミスでも情報を共有して、同じミスが起こることを減らそうという動きが数年前に始まった。私は嫌な予感しかしていなかった。
 暫くして「ミスを減らそう」という目的から「ミスをゼロにしよう」という目的に変わってしまった。狂気の沙汰である。だが、狂気の渦中にいるものは決してそれに気がつかない。法人であるが故に病院すら勧められない悲しみがそこにある。ミスがゼロでなければならない狭い社会では、当然、ミスをした者は百叩きに合ってしまう。そのために一部の者はミスをゼロにする魔法を生み出した。
 ミスをゼロにすることは簡単だ。何もしなければいいのである。最早、仕事にすらならない。ナンセンスこの上ないが、まかり通る場所が存在するのだ。少しでも真っ当な人間ならば、こんなことをいちいち書くまでもなく思う事だが、魔法を作り出す人間は魔法にするほどだから質が悪い。「何もしなければいい」という閃きに至らず、成り行きでそうなっていく。自分が失敗しそうなことや失敗したことを他人に押しつけるようになったのだ。己の失敗を他人のせいにしたのである。
 この魔法の成功には職階が上の者が頷かねばならない。
 己の保身に必死な魔法使いは上の者に必死にせまり、遂に頷かせてしまった。押しつけられた他人はたまったものではない。更にはボーナスで魔法使いが褒められ、彼らは貶められてしまった。責任者も見る目がなかったのだ。
 この循環でとある場所は今、負の連鎖が膨れあがっている。絵に描いたような憎しみの集合だ。いずれ起きるであろう不満の爆発と、そこから起こる魔女狩りは止められないだろう。私は幸い、ただの見物人になった。当時は現場にいて、責任者の言葉に腸が煮えくり返ったものだ。
「○○たちが頑張ってくれたから、この点数が高かった。よくやってくれた。逆にこの点数が低かったのは貴様らがくそったれだからだ。皆のボーナスを下げたがったのは貴様らのせいだ」
 今でもあの光景が目に浮かぶ。
「復讐という名の料理は冷ましてから食せ」
 見物人といいつつ、背後に握りしめた拳の中には石が入っている。

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