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エツィオ・マンズィーニとは誰か?―参加型デザイン、ソーシャルイノベーション、そしてまちづくりへ

11月3日、森が翻訳に携わったエツィオ・マンズィーニ著「ここちよい近さがまちを変える:ケアとデジタルによる近接のデザイン(原著タイトル「Livable Proximity: Ideas for the City That Cares」)」が発売されました。

その発刊記念特集記事第二弾として、今回は「エツィオ・マンズィーニとは何者なのか?」というテーマで記事を書いてみたいと思います。特に本記事は、マンズィーニを説明する過程で、参加型デザイン、およびマンズィーニが確立した「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」について紹介することになります。

※この記事を書いている森自身について補足しておきます。本記事の筆者は、本著の翻訳(主に2章)に関わった森一貴です。エツィオ・マンズィーニの議論を下敷きに、わからなさを受け入れ耕すデザインの実践を探求しています。アールト大学デザイン修士。福井県鯖江市にてシェアハウス家主。福井県越前鯖江エリアで開催される産業観光イベント「RENEW」元事務局長。

エツィオ・マンズィーニとは何者なのか?

エツィオ・マンズィーニ(Ezio Manzini)はイタリアのデザイン研究者です。まずは以下に紹介文を抜粋しておきましょう。

イタリアのデザイン研究者であり、ソーシャル イノベーションとサステナビリティのためのデザインに関するリーダー。現在、ミラノ工科大学名誉教授、同済大学(上海)及び江南大学(無錫)客員教授。イノベーションとサスティナビリティのためのデザインに関する国際ネットワークであるDESIS の創設者。これまでに、エリサバ デザイン スクール アンド エンジニアリング(バルセロナ)やロンドン芸術大学(ロンドン)など世界各地の大学で教えてきた。代表的な著書は、「日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化」、「Design, When Everyone Designs」と最新著書として「Livable Proximity: Ideas for the City That Cares」など。

彼は近年のデザイン界におそろしく多大な貢献をしたデザイン研究者の一人です。例えばそのひとつを挙げれば、マンズィーニはサービスデザインの世界的な展開に寄与した人物のひとりです。水野大二郎らの「サービスデザインの系譜」に記されている通り、KISDのブリギット・マーガーにならび、マンズィーニはかなり初期の段階でサービスデザインに着目し、90年代にはミラノ工科大学にサービスデザインの修士プログラムを立ち上げています。

しかし、マンズィーニの(少なくとも私にとっての)最大の貢献は、参加型デザインとソーシャルイノベーションの交点として「ソーシャルイノベーションのためのデザイン(Design for Social Innovation。以下DfSI)」を確立したことにあります。彼が立ち上げた「DESIS」は、DfSIに取り組む世界中の研究者・実務家をつなぐネットワークです。このDfSIを基盤に2015年に執筆された著「Design, When Everybody Designs(「デザイン、誰もがデザインするとき」)は、新たなデザインの行く先を示す教科書として、今や世界中のデザインの大学で欠かせない一冊になっています。

DfSIにおける彼の主張の要点はなにか。それは端的に言えば「誰もがデザイナーなのであり、誰もが自分自身の暮らしたい社会を自分自身でデザインする能力(design capability)を持っているのだ」ということです。こうした主張を通じて彼は、「デザイン」という領域が世界的に大きく拡張する過程を後押ししてきたのといえます。

本記事では、このDfSI(ソーシャルイノベーションのためのデザイン)の立役者としてマンズィーニを捉え、そのDfSIを説明することによって、マンズィーニの主張を捉えてみたいと思います。

私とマンズィーニ

次の項に進む前に(一部の読者のために)なぜマンズィーニが「私にとって」重要なのかを簡単に説明しておきたいと思います。この項が本書や本記事、あるいは私自身の実践に興味を持ってくださる方々にとって、必ずしも蛇足にはならないと信じます。

私自身の文脈に引き寄せて彼のことを紹介すると、マンズィーニはローカルな〈私たち〉から立ち上がる社会変革(ソーシャルイノベーション)が、重要なデザインの実践のひとつなのだとして位置づけた人です。さらにそれに加えて、彼はデザイナーの役割とは、このように人々が関わりあい社会が変化する、それを後押ししていくことなのだと主張しました。

私はこれまで福井県鯖江市をフィールドに、シェアハウスをやったり、産業観光イベントRENEWの創設に関わったりしてきました。こうした取り組みは特定の場/集団に関わっていることから、私自身、私はなんとなく「まちづくり」や「コミュニティ」といった言葉のそばに自分がいると感じてきましたし、実際日本において私は長らくそう位置づけられてきました。

しかし実際のところよく考えてみれば、私は「まち」をつくっているわけでも、「コミュニティ」をつくっているわけでもない。私がやってきたことは、人々が出会い、関わりあい、何かが生まれる環境を整えることです

さらにいえば、私が取り組んできた実践は、学問領域においては残念ながら周縁的で、特定の居場所を持つことに難儀するものでもあります。それを都市計画、建築、農村振興の領域に置くこともできれば、応用的な社会学や教育学として捉えることも容易ですし、ウェルビーイングや孤独という課題を設定すれば福祉的なものとして捉えることも可能です。しかし、そのいずれもが実践の総体を記述することが困難な、息苦しい枠組みでもありました(もちろん、私自身も鶴見和子「内発的発展論」などの系譜を受け継いだ議論のなかに私自身を位置づけようとしたりもしているのですが)。

こうした私の考えや実践―さらに言えば広く日本で「まちづくり」という領域に分類される無数の実践―について、それを中心に据えて語るための学問領域の基盤を与えてくれたのがエツィオ・マンズィーニであり、そして彼が貢献してきた参加型デザイン(コ・デザイン)やソーシャルイノベーションのためのデザインだったのです。

参加型デザインとは?

マンズィーニが確立したDfSIは、参加型デザイン(CoDesign)とソーシャルイノベーションとが交わって生み出された潮流です。そこで、そのうちのひとつの潮流となった参加型デザインについて、ここでは振り返っておくことにします。

参加型デザインは、1960/70年代に北欧で生まれたひとつのデザインの潮流です(参加型デザインにはいくつかの系譜がありますが、そのうちでも有力なうちのひとつの流れが北欧型参加型デザインです)。この考え方を端的に表現すればそれは、デザインプロセスに、そのデザインの影響を受ける人間・非人間を巻き込み、「ともにつくる・ともにデザインする」実践だということができます(Robertson & Simonsen, 2012)。

この考え方はユーザー中心デザインやマーケティングといった考え方と合流しながら産業界に取り入れられる過程で、丁寧にヒアリングをしたり、ワークショップでユーザの意見を聞いたりすることで、よりよいサービスやプロダクトを作る有用な手段として広く認識・採用されていくことになりました。しかしマンズィーニは、このような考え方、つまり四方が壁に囲まれたオフィスで「他の関係者に意見や希望を聞き、それを小さな紙に書いて壁に貼る」ような参加型デザインのことを「ポストイットデザイン」と呼んで痛烈に批判しています(Manzini, 2015, p64)。このような参加型デザインは結局のところ、サービスや製品をつくるデザイナーの権力はそのままです。つまり、どんな人がプロセスに参加するのか、デザインプロセスにどんな意見を取り入れるのかを、結局デザイナーが決めることができてしまう。このときユーザーは、よりよいものをつくるためだけのリソースとして消費・略奪される存在でしかないとマンズィーニは批判しました。

マルメリビングラボと環境/関係を整えるものとしてのデザイン

元々の参加型デザインの略歴を振り返れば、参加型デザインはもともと、北欧の労働争議からはじまったものでした。つまり参加型デザインは根っこのところから、権力者=資本家に対して、被抑圧者=労働者の側にたち、私たち自身の権利を取り戻す、民主主義へのプロセスを支える実践としてはじまったものだったのです。もっと噛み砕いていうならば、参加型デザインは、〈私たち〉が自分自身で立ち上がり、自分の暮らしたい未来を自分たちでつくっていける世界を中心に据えつつ、それを実現させる(enabling)デザインであり続けてきたし、そしてそうであるべきなのです。

こうした意味での民主主義を目指す参加型デザインを強固に確立したのが、ペレ・エーンをはじめとする北欧、より具体的にはスウェーデン・マルメ大学のデザイン研究者たちでした。ペレ・エーンは影響力のある論文(Ehn 2008)において、ブルーノ・ラトゥールやジョン・デューイといった先人たちを引きながら、参加型デザインを、デザイナーが中心となって、特定の最終プロダクトを目指す実践ではなく、多様な関心の問題がつどう「闘争的 agonistic」なものだと位置づけました。つまり、人々はそれぞれの関心を持ち寄ってある問題のまわりに集まるのであり、それを交渉しあいながら、物事は決められていく、進んでいく、こんな風にして参加型デザインは進んでいくのだとしたのです。

この頃(2012年前後)、マルメ大学においては「マルメリビングラボ」を舞台にした彼ら自身による参加型デザインの実践・研究が盛んで、いまのマンズィーニ/DfSIの議論に連なる実践がすでに顕現しています。例えばそのうちのひとつが、スウェーデン・マルメ郊外に住む移民一世・二世を主なメンバーとする草の根ヒップホップ青年組織RGRAとのプロジェクトです(Björgvinsson et al., 2012)。マルメリビングラボには文化プロデューサー、草の根組織、IT・メディア企業など多様なアクターが集いましたが、このネットワークからRGRAとの接点といくつかのプロジェクトが生まれました。例えば、RGRAのメンバーはマルメ大学の学生と協力して、商品のバーコードをスキャンするとヒップホップのループを生成する「バーコードビート」という楽器を開発し、地元の食料品店でバーコードスキャンのジャムセッションを開催したりしています。さらに、都市におけるRGRAの存在を正統化・可視化するために、Bluetooth開発者、バス会社、研究者などのアクターを集め、バスにBluetooth発信機を設置するプロジェクトも行われました。こうしたプロジェクトは、RGRAのメンバーが移民として、マルメというまちのなかで、「仲間になるためにちゃんと振る舞わなければならない」と感じている周縁化・抑圧化された集団なのだ、という状況のなかで捉えられる必要があります。つまりこのプロジェクトは、RGRAという、都市のなかで抑圧された人々が、多様な人々とつながりあいながら、自分たちの表現したい姿を、まちのなかに顕現させていく活動だったのです。

ここでデザイナーは、多様な参加者のあいだで「出会い」を設計し、こうした人々の関係性を常に耕しつづけながら、協働を支える役割を担っていました。さらに重要なことは、こうした動きが、単なる「彼らは排斥されているから助けてやらねばならない」という「上から」の動きではない、という点です。RGRAのプロジェクトは、はじめから協働する相手・やるべき内容が決まっていたのではなく、ひらかれた空間のなかから、デザイナーが環境をささえ、多様な人々が関わりあうなかで、わからなさのなかから立ち上がってきたものでした。ここでデザイナーは、環境と関係性を整えることで、不確実な変容の可能性を育む役割を担っています(Binder et al., 2011; Björgvinsson et al., 2012)。そしてもちろん冒頭で述べたように、このデザインは何より「イノベーションの民主化」、つまり〈私たち〉が自分自身で、暮らしたい未来をつくっていくプロセスを後押しするものでもありました。

ペレ・エーンとマルメのデザイン研究者らはこのようにして、北欧型参加型デザインのかたち、参加型デザイナーの役割に関する議論を確立してきました。彼ら北欧型参加型デザインの議論は、マンズィーニの議論に、そしてまた私自身の議論にも、深く影響を与えるものになりました。

マンズィーニによる「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」

こうした議論を引き受けてマンズィーニが確立したのが「ソーシャルイノベーションのためのデザイン(Design for Social Innovation)」です。

マンズィーニがこうした参加型デザインの議論や、同僚たちとの議論から蓄積してきた示唆は、1) 参加型デザインは多様な関心が集い交渉される場であるということ、2) デザイナーはここで、参加者とともにこの「集まり」を構築する役割を担うということでした。そしてここまで言及しなかった、しかし何より重要だったことは、ここで「参加者」に関する大きな視点の変化が起きたことです。つまり、参加者は、解決しなければならない問題やニーズを抱えている「ユーザー」ではなく、それぞれの人生の専門家として、特定の知識や能力、アイデアをもたらす「アクター(行為者)」として読み替えられることになったのです(Manzini & Rizzo, 2011)。

このとき、ソーシャルイノベーションで議論されてきたボトムアップ的な事例、つまり「祭りを企画したり、道路の手入れをしたりする隣人たち、カープールを始める通勤客、同じ地域に住むことを決め、サービスを共有し、互いに助け合う家族......」(Manzini & Rizzo, 2011)は、参加型デザインの一形態として参加型デザインと重なりあうことになります。つまり、このようにして見れば誰もが「デザイン能力」を持つ〈非専門家デザイナー〉として、ソーシャルイノベーションを起こす能力を持っています。そして、ここに〈専門家デザイナー〉がタッグを組むことで、すでにマルメリビングラボで見てきたように、より力強いソーシャルイノベーションを生み出すことができる。

こうして参加型デザインとソーシャルイノベーションの交点に生まれたのが、「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」でした。

ソーシャルイノベーションのためのデザインとはすでに述べたように、人々がソーシャルイノベーションを生み出す、その過程を支える専門家デザインの実践のことです。マンズィーニはそれを彼自身の言葉で、以下のように語っています。

したがって、専門家デザイナーの役割は、人々や彼らが参加する社会集団が、自分たちが持つ特別なスキルや能力、そして自分の特別な文化や世界観をもって、なりたい自分になり、したいことをする可能性を高める、そんな行動基盤や感覚システムの構築に参加することです。言い換えれば専門家デザイナーの役割は、人々が自分の人生のプロジェクトを定義し、実践する(あるいは少なくとも実践しようとする)可能性を高め、それを積極的かつ協力的に行うことができるようにすることなのです。(Manzini, 2015, p.98)

「デザイン、誰もがデザインするとき(Design, When Everybody Designs)」は、このDfSIの考えを中心にマンズィーニによって執筆され、2015年に出版されたものです。

この本は「誰もがデザイン能力を持っていること」を印象付け、かつ非専門家デザインと専門家デザインが接近し流動化していることを指摘しました。また、(専門家)デザインは、自分たちが暮らしたい世界を自分たち自身で生み出す、そのプロセスを後押しする実践なのだという理解を確立しました。この本は既存のプロダクトやサービスを生み出すものとしてのデザインを揺さぶり、デザインの領域の広がりを強烈に印象付けたという点で、デザインの潮流において強烈なインパクトを持った本でした(この他にも本書は、問題解決のデザインに対して意味形成のデザインが生じていることや、デザインの時間軸が拡張していること、コスモポリタンローカリズム、ローカリティの重要性、そして当然のことながら具体的なデザインの手法などについても書かれており、いずれも見逃せない示唆を含んでいます)。

デザインという学問領域に閉じた議論を超えて、マンズィーニが「デザイン、誰もがデザインするとき」で描こうとした理想形は、誰もがなりたい自分になり、したいことをする、そんな世界を射程に捉えています。そしてそのために彼は「社会全体が実験室(ibid., p.161)」であるような、プラグマティックなプロジェクト型民主主義を主張しました。そしてまたここには、多様なものたちが参加し交渉しあう過程だからこそ生まれる、わからなさ、その偶発性や創発性への抱擁をも含まれています。

こうしたデザインという学問領域に閉じてしまうことへの抗いが、彼を次作「日々の政治」、そして今作「ここちよい近さがまちを変える」へと駆り立てたのではないかと私は思います。「日々の政治」はその意味で、デザイナーよりもむしろ〈私たち〉自身に向けて、私たちが持つデザイン能力を信じるよう後押ししてくれるような本でした。そして「ここちよい近さがまちを変える」は、都市というより具体的な焦点を持つことで、まさにマンズィーニの議論の近接領域である、(日本語でいう)コミュニティやまちづくりといった領域に彼の議論を共振させようとした一冊だと言えるのではないでしょうか。

こうして、改めて今作「ここちよい近さがまちを変える」のほうへと目を向ければ、そこには通奏低音のように、まちに暮らす〈私たち〉への視座が常に流れていることに気が付きます。「ここちよい近さがまちを変える」では、その政治的観点や、〈私たち〉が主役となってイノベーションを起こすのだ、といった観点は確かに鳴りを潜めています。しかし本書でもやはり、それが機能的介入であれ関係的介入であれ、その先に〈私たち〉が関係しあい協働することが目指されており、そしてそうした環境を生み出すものとしてのデザイナー(や都市計画家や行政や…)という構造を見出すことができるでしょう。

おわりに

さて、ここまで本記事では「マンズィーニとは誰か」という問いを出発点に、マンズィーニが確立した「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」への軌跡をたどることで、彼が重要視する対象を描き出してきました。彼が見据えているのは〈私たち〉が自分自身で立ち上がり、自分の暮らしたい未来を自分たちでつくっていくという状況であり、そして彼は、〈私たち〉にはみなその能力があるとします。そうでありながら、彼はそれでも専門家デザイナーにそれを支える力があるとし、そのデザインを「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」と呼んだのでした。

その意味で彼の議論は、当初より人々のうちから立ち上がる、自分たちのローカリティに根ざす実践そのものを議論し続けてきたのであり、そしてこうしたローカルな実践をエンパワーし続けてきました。「ここちよい近さがまちを変える」は、そのひとつのあらわれであり、その背後にはいまも、マンズィーニらしい、そのまちに暮らす人々へのマクロな視座を見出すことができるはずです。

もちろん、ここにはマンズィーニと長年議論をともにしてきたAnna Meroni、Daniela Sangiorgi、François Jégou、Francesca Rizzoといった数々の論者たちの議論に触れられていませんし、その意味でマンズィーニの著作だけを説明して「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」というものを説明できた気になるのも片手落ちでしょう。

特に本書との関係においては、メローニとサンジョルジは2016年に「Design for Service」という著作を執筆しており(その序文はマンズィーニによるものです)、本書でも重要な位置を占めるサービス、より具体的には「コラボレーションサービス」についての議論を展開しています。また、「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」の震源地であり続けてきたミラノ工科大学を中心に近年では形のない、プロセスとしてのデザインの関与について場づくりのためのデザイン(design for placemaking)に関するワーキンググループが動いており、この議論も「ここちよい近さがまちを変える」で見てきたようなまちやコモンズへの関与しようとするものです。マンズィーニの最新作は実はすでに「Livable Proximity」ではなく、Albert FusterとRoger Paezとの共著によるPlug-insです。私はこの本はなの未読ですが、この本はバルセロナにおける「まちづくりのためのデザイン(Design for City Making)」について書かれた本とのこと。

私は先に、私の実践に対して、マンズィーニがデザインという学問領域に足がかりをくれたという話をしました。一方でマンズィーニは、日本において「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」にほとんど元気がないことを嘆いてもいます(その理由の3割は「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」という表現が長すぎるからだと私は思いますが)。しかし一方で、こうしたマンズィーニやミラノ工科大学の動きは、着実に日本におけるまちづくりや地域活性化と呼ばれる領域の実践に接近しており、このラインズが交錯するのも遠い話ではないように私には感じられます。

今後の出版イベントの告知

さて、ここまで読んでいただきありがとうございました。こうした記述も踏まえ、改めて本書を楽しんでいただけたら幸いに思います。さて、2023年12月5日現在、Amazonでは注文していただいたにも関わらず、注文がキャンセルされる事態が生じているようです。また各書店でも売切となっているよう。在庫が入るまで、しばらくお待ちいただけると幸いです。

もし特に私に住所等を知られることに抵抗がなければ、私にDMで連絡していただければ、私から直接お送りすることも可能です。一応、本屋さん「森の本屋」もひっそりと運営しています。購入希望の方はぜひご連絡いただければ幸いです。

参考文献

  • Binder, T., Brandt, E., Halse, J., Foverskov, M., Olander, S., & Yndigegn, S. (2011). Living the (Co-Design) Lab. Nordes, 4.

  • Björgvinsson, E., Ehn, P., & Hillgren, P.-A. (2012). Agonistic participatory design: working with marginalised social movements. CoDesign, 8(2-3), 127–144.

  • Ehn, P. (2008). Participation in design things. In Participatory Design Conference (PDC), Bloomington, Indiana, USA (2008) (pp. 92-101). ACM Digital Library.

  • Manzini, E. (2015). Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation. MIT Press.

  • Manzini, E. (2019). Politics of the Everyday. Bloomsbury Visual Arts.

  • Manzini, E. (2022). Livable Proximity: Ideas for the City that Cares. EGEA spa.

  • Manzini, E., Fuster, A., & Paez, R. (2022). Plug-Ins. Design for City Making in Barcelona. New York: Actar.

  • Manzini, E., & Rizzo, F. (2011). Small projects/large changes: Participatory design as an open participated process. CoDesign, 7(3-4), 199–215.

  • Meroni, A., & Sangiorgi, D. (2016). Design for services. Routledge.

  • Simonsen, J., & Robertson, T. (Eds.). (2012). Routledge international handbook of participatory design. Routledge.


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