2024年1月16日 「ダメ日」

あ〜〜〜久々に何もしたくない感じになっている。

朝からやばかった。顔を洗うのも面倒で水で寝癖だけ直した。水は冷たくてイライラしたけどドライヤーはすぐあったかくて素敵だった。

ウォン・カーウァイの『欲望の翼』を観た。詳細はそのうち映画日記に。

一人カラオケ。序盤にミッシェルの「世界の終わり」を全力で歌ったせいでその後喉が残念な感じだった。あの曲はどうも全力でしか歌えない。つまり最高の曲ってことなんだろう。藤井隆の「ナンダカンダ」と矢島美容室の「ニホンノミカタ─ネバダカラキマシタ─」はいい感じだった。

夜。何をしても気分が晴れない。そういうときはタスクをこなして心配事を無くせば良いのだが、そうもいかない。自分の心は自分の言うことを聞かない。ぶどうジュースが飲みたい。プレーンな豆乳が飲みたい。でも家にないのでお茶ばかりがばがば飲んでいる。今週末までに読んで返したい漫画があるのに、どうも手をつける気分になれない。ちょっと前までは一日一個タスクをこなせば無理なく生活ができると意気込んでいたのに、そのメンタルも賞味期限が切れてしまった。

本日の引用。

 ルールというのは融通が利かなくて初めて意味をなす。杓子定規な手続きを頑なに守り通すことを「お役所仕事」と揶揄するけれども、臨機応変に対応してくれる柔軟な「お役所」ほど恐ろしいものはないと僕は思う。柔軟性に欠けた愚直さは、人びとを抑圧するためにあるのではなく、むしろ、恣意的に人々を支配しようとする権力の暴走を防ぐためにこそ必要だからだ。そう思っているからこそ、この数年の政治が目的達成のためには手続き上の瑕疵は問題にならないというモーレツ社員的な、およそ近代国家の洗練からはかけ離れた世界観で駆動しているようでひどく恐ろしい。ビジネスマン感覚の権力者にアジャイルでエンハンスされる世の中が、いいものになるとは思えない。自社や自部門の利益を最大限追求することや、ステークホルダーのニーズに素早く応えることは、それこそ私企業の仕事であって、政治家のやることではない。

柿内正午『プルーストを読む生活』、p.475-476

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