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私は女性らしくありたい

「私の通う女子大の子はK大の男の子と付き合うの。あなたの大学の男の子とは付き合わない」

大学に入って間もない頃、某女子大に通う子から突然、そんなことを言われた。私は別に誰かを紹介するとは言ってない。本当に突然のことだった。

彼女はK大のサークルに参加し、会うたびにサークルの話をしてくれたが、彼女の話に私はだんだんと違和感を抱く。
彼女が好きな人の話を全くせず、ひたすら男性からの行動を待っていたからだ。
積極的なのか消極的なのか、いまいちよくわからない子だなと思いながら私はモヤモヤした。

母に何度も「誰か凜ちゃんのこと好きって言ってこないの?」ときかれてモヤモヤした。
なぜ母は、私に「好きな人いないの?」ときかないんだろう。

彼女の行動や母の言葉の裏にある「女は男に選ばれるもの」という意識が気持ち悪かった。
そして彼女たちが、そのことに全く気がついていないことが怖かった。

そのころ、女性誌の表紙に「愛され○○」とあるのがやたらに目につくようになった。
愛されメイク、愛され顔、愛され体質……。

ある女流作家さんがエッセイでこんなことを書いていた。

「昨今、世の中に溢れる『愛される』という言葉が嫌いだ。私は絶対、愛されてなんかやらない」

男尊女卑というと、男性優位の社会に女性が虐げられる図を想い描く人が多い。確かにそれもある。
だが、女性の立場を貶めているのは男性以上に女性なのかもしれないと思うようになった。
友人が「女の幸せはレベルの高い男に愛されること」と恥ずかし気もなく言ってしまうこと、母が父の無茶な言動に逆らいもせず、いつも父が機嫌よく過ごせるように尽くすこと。

でも、ここで私は立ち止まってしまう。

私の大学の友人は、そんな女性たちとは真逆の立場にいたが、彼女にも私はモヤモヤしてしまったからだ。

「一度だけ飲み会で帰りが遅くなった母に父が怒ったことがあるの。父はそんなことしょっちゅうなのに、同じことを女の母がすると許せないなんておかしい。男は勝手すぎる」

英会話の講義で、授業に参加しない男子学生に「私たちは学びたくてここにいる。勉強するつもりがないなら出ていけ」と教授をさしおいて一喝した彼女。職場でも同じようなことが繰り広げられているんだろう。

「馬鹿な男はよく怒鳴る。こっちが論理で攻めると頭がついていかなくなるんでしょ。大きな声を出せば女は黙ると思ってんのよ」

わかる。
母がいつも父に逆らわずにいた理由の一つが「怒らせて大きな声を出されるのが嫌」だったからだ。私や弟が怖がるから。

確かに男性の大きな声は怖い。
父の怒鳴り声は本当に怖かった。耳に入るというより体に響く。まさに声に殴られる感じだ。

この声は女性には出せないと、つくづく思う。
男性はこの効果をわかっていて、怒鳴る手段に出るんだろう。論理的でない男ほど、この武器をさっさと出す。

彼女のことは大好きだし、かっこいいと思う。
でも私は彼女のようになれない。
男性に対して戦いを挑む気になれないし、勝とうとなると首をかしげる。そもそも男性と女性って戦うものなのか?

就職活動中、女性の管理職の方々に会った。
面接官は9割は男性だったが、たまに女性の面接官がいた。

美しい女性たちだった。でも私の理想とする女性の姿はそこにはなかった。
冷たくて、まるで武装しているような、慇懃無礼でさりげなく上から目線で、クールビューティーを演出しているつもりなんだろうけどあからさまで不自然だ。要はあまり印象がよくなかった。
こんな姿になって戦わなければ、女性は社会でやっていけないのかと学生だった私は落胆した。

私は自分が女であることが好きだ。
子供の頃、女であることで損をすることはあったかもしれないが、それでも私は自分が女であることが嬉しい。
せっかく女性に生まれたのに……そんな歯がゆい気持ちになるのだ。

結婚して間もない頃、テレビで某国の首相を見た。
サミットのニュースだった。

思わず笑ってしまった。

「どうしたの?」と不思議そうな夫。

「彼女を前にすると、他の国の男性たちがみんな子供みたいな表情するのがおかしい。サミットが幼稚園みたいになってる。さしずめ彼女は幼稚園の先生ね」

そう言って笑う私に、夫の返してきた言葉が忘れられない。

「そうだな。○○に男はこういう顔はしないだろうな」

伏字にしたが、〇〇は某国初の女性大統領になるかもと言われた女性だ。結局、ガラスの天井は破られなかったけど。

確かに〇〇に男性はああいう顔はしないだろう。
私と女性面接官が、お互いに固い表情を崩すことがなかったように。

あえてこの言葉を使うが、サミットの彼女は非常に女性らしかった。
少なくとも、私の理想とする女性らしさが彼女にあった。
それは男性にとって都合のいいものでも、心地よいものでもない。男性が「自分たちにはないもの」として敬意と畏怖を抱く女性らしさだ。

でも、今もその「女性らしさ」について、私は言葉にできないでいる。

そして、そのよくわからない「女性らしさ」について私は今も考える。

私は彼女のような女性らしい女性でいたいから。