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ヒトがヒトに求めるもの

あんたは会話型AIの進化がドンドコ進んでいっているのを実感しているかい?

俺自身は、このnoteでの記事だとかをAIにチェックしてもらって論理的に破綻しているところが無いかって確認するのに使っているくらいなんだけれどさ。

AIの指摘内容を読んでみると「確かに」って思うところが見つかるんだよね。
で、表現の調整を行って見るみたいな使い方ね。

で、最近CPT-4oの発表があったじゃんか。
こいつは、文字ベースじゃなくて、文字通り声でのやり取りをするAIなんだな。

なんでも話しかける声の分析をして、そのヒトがどんな感情を持っているかを判断するんだと。
ついでにカメラで表情も分析するんだと。

で、そのヒトが望んでいるであろう口調や抑揚で話を返してくれるんだそうだ。

要するに友達や家族と話すがごとくにAIが話し相手になってくれるってわけだ。

いやぁ。実におっかない話だ。
と、脊髄反射的に感じちまうんだけれど、そう話は単純じゃない気もする。

今回は「仕組み」と感情のやり取りをする意味を考えてみる回だ。

ちっと、俺たちにとってのヒトの意味みたいなものを考えてみようぜ。


友人に求めるもの

まずもってだよ。
あんたが友人や家族に何を求めているのかって話だよな。

例えば友人。
オッサンともなると、友人とのやり取りってのは少なくなりがちだとは思うけれど、たまに会って話たりすると、それだけでなんか嬉しかったりするもんだと思う。

で、会えないでも、「きっとやつも頑張っているよな」とか思うだけで、なんとなく自分も頑張らんとならん気になってくる。

張り合いってやつだな。

妻に求めるもの

例えば家族。
家族は友人とは違って毎日顔を合わせるってケースが多いと思う。
違うケースももちろんあるけれどね。

例えば妻との関係ってのは「愛している」というのを前提に運命共同体みたいなところがある。
必然的に身の回りにある課題についての会話が混ざり込んでくる。

この場合は、会話ってのは課題解決のための検討だ。
その課題はお互いが抱えている負の感情みたいなものを緩和するってことを含まれる。

負の感情の緩和に必要なものは共感。
そして、共感に必要なものは会話ってわけだ。

これは親との会話、子どもとの会話でも同じことが言えるような気がする。

兄弟姉妹に求めるもの

ただ、兄弟姉妹ってなると、ちっと違う気もするな。
どっちかって言うと友人よりの感覚になる気もするな。

だって、完璧に独立して「頑張っている」んだもんよ。

運命共同体というよりは「同志」なんだと思うんだ。
まあ、世の中には仲違いをしてしまった兄弟姉妹もいるとは思うけれどさ。
そもそも、気がついたら生き別れになっていたケースもある。

それを言ったら家族とは何かみたいな話になるから、今回はあくまで同居していた、もしくは同居している兄弟の話な。

会話に求めるもの

こんなふうに、俺たちが会話に求めているのは「存在感」なんだよな。

自分と同じ様に感情を持っていて、自分と同じ様に困っていて、自分と同じ様になんとかしている。

そんな物語。

それが大前提として会話ってのは成り立つんだと思うんだよな。
言い換えれば相手がヒトだってのが前提ってことだ。

ではAIとの会話はどうだ?

俺たちが相手がAIだと「知っている」前提で考えると、俺たちはその会話に「存在感」を疑ってしまうと思う。
何しろ相手はAIと言う仕組みそのものなんだから。

ただ、それがAIだと知らないとすればどうだ?

SNSのやり取りの中で。
オンラインでの会話の中で。

それが高度に調整された声色や表情で表現されている状況でだ。

俺たちはヒトよりも上手く寄り添ってくれるAIと言う仕組みに寄り添おうと考えてしまうんじゃないか?

何?物理的に会えないなら意味ないだろって?
いやいや、そいつはテクノロジーの問題だけだろ。

攻殻機動隊の様な世界観が実現出来ないなんて誰も証明できない。

なんなら、今俺たちが考えていることが、俺たちから生まれでたものだってどうやって証明する。どうやって、自分に納得させる事が出来る。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが会話に求めているモノを仕組みが提供し始めた時、俺たちはどこに向かって歩き始めると思う?

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