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児童虐待を考える

あんたは児童虐待について考えることがあるかい?

この間見に行った「龍とそばかすの姫」で扱われていたテーマの一つに児童虐待があったんだ。

俺としては、あの作品での児童虐待への対応方法は非常にカタルシスがない表現だったので、その点はスゲー不満だったんだよね。

で、改めて考える。
んなこといっても、児童虐待ってどういう状況なのかって調べたことないよなってさ。

今回は児童虐待の状況について改めて調べてみる回だ。

どうすれば良いのか。
ちっと一緒に考えてみようぜ。

児童虐待の件数

まずは児童虐待がどのくらい起きているのかって件数からだよな。

結果から言うと年間約15万件ほどの通報があるんだそうだ。

しかも、この数字は増加傾向にあるらしい。

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出典:上記サイト

ちょっと増え方がえげつないよな。

ちなみに14歳以下のいわゆる児童の人口がざっくり1500万人だから通報されている件数だけでも1%程度の児童が虐待を受けているって計算になる。

出典:統計局

この1%って数字。
エグいよな。

しかも通報があった数字でしかないから、実際にはその数倍に及んでいるんじゃないかって思っちまう。

しかも、1万2千件もの通報について48時間以内に対応できていない。
48時間って時間も緊急性を伴うものに対応出来ないような時間だと思うんだけれども、そもそもそれを守れない状況ってわけだ。

どうも、通報件数に対して対処する人員が圧倒的に足りていないらしい。

児童虐待の理由

そもそも児童虐待はなぜ起きてしまうのか?

ちっと調べてみるものの、その理由は複雑怪奇で「こうすれば無くなる」ってものはないらしい。

親がダメだから起きるってもんじゃないし、経済的に満たされていれば起きないってものでもないらしい。

これって何気におっかなくねぇか?
いつ何時、俺たち自身が児童虐待をしてもおかしくないって話だもんよ。

ヒトって生き物が感情を持っている以上、その感情に振り回されてしまうことは避けようがない。
自制心をもって感情に対応することを心がけたとしても、完全に感情を制御することはヒトという生き物の性質上難しいってことなんだろうな。

児童虐待への対応

ヒトが児童虐待を一定数は起こしてしまう生き物だという前提で考えると、いかにしてその起きてしまう事象に対応していくのかってシステムの問題になってくるよな。

シンプルに考えれば児童相談所の体制強化って話になるけれども、こいつが実に難しい。

政治を動かすことで児童相談所の強化ってのは理論上は可能だけれども、そもそもこの問題を最優先で考えている政治家って聞いたことがないし、俺たち有権者もこの問題で投票先を考えていないじゃんか。

仮にそれが出来たとしても、それによって出来上がるのは「親が虐待していないか」を監視し合う監視社会だ。

多分、その社会は幸せな家族なんて生み出さないと思うんだよな。

ならどうすれば良いのか?

きっとだけれども、親と子ども各々が世間とつながり続けるってことなんじゃないだろうか?

親は子育てって言う正解のない行為を続けて、それを褒めてもらうこともなく、時には子どもが過ちを犯してしまったりして自分を責めるようなことも普通に起きる。

多くの親がもっと褒めてもらえるような環境が生まれれば児童虐待は起きにくくなる気がするよな。

子どもは子どもで自分が置かれている環境が周囲と比べてどうなのかってことを把握するのが大切な気がする。
何しろ、子どもにとっては親が作っている家庭が世界のすべてになりがちだ。

周りの子どもとコミュニケーションを取ることで、自分の家庭の様子が他の家庭の様子とどう違うのかってことを感じることができると思うんだよ。

違いを感じることができればそのことを親に伝えることができるし、場合によれば祖父母に訴えることができるかもしれない。

確かに親が子どもに自分自身の過ちを周囲に訴えるように子どもに教育するってのは難しいと思う。

でも子どもがコミュニケーションすることによって自立心は育つと思うんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは児童虐待にどう対処していけば良いんだろうか?

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