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令和3年も新春浅草歌舞伎はここにあり!―歌舞伎座・壽初春大歌舞伎第1部

 毎年花形独特の華やいだ雰囲気に魅せられる新春浅草歌舞伎。本年は、時勢に鑑みてやむなく中止。大変残念だけれど、歌舞伎座の幕開きは、浅草の花形メンバーで寿曽我対面をモチーフに取った柱建がかかるという、粋な計らい。しかも「壽浅草柱建」と銘打って、「浅草」を「はながたつどう」と読ませるのだから、心憎い。

國矢と橋吾、そして冒頭

 その冒頭、浅葱幕の前で、奴役は、國矢と橋吾。それぞれ、台詞に超歌舞伎やかぶき体操が盛り込まれており、拍手喝采。とても温かい雰囲気の幕開き。

 浅葱幕が振り落とされると、残念ながら体調不良で休演の莟玉以外の8人の出演者が一列に並び、割台詞で、いつもの浅草のメンバーで感染症の収束を願って演じますという趣旨の挨拶。一同勢揃いでとても華やかで、こんな時代でも気持ちが明るくなる演出。口火を切る歌昇は大変爽やかな工藤でまぶしいほど。座頭的な位置付けの松也は、声にひときわ張りがあって、よく響いて目立つ。

踊り巧者の巳之助と種之助、それぞれの世界観

 挨拶が済むと、種之助扮する珍斎が担いでいた柱を建て、それに続いて各自順番に踊りを披露していくという趣向。先入観に引っ張られているところもあるかもしれないが、それを差し引いても、巳之助と種之助は、やはり特に踊りが巧いと感じられる。巳之助は、身体の動きがとても柔らかくまろやかで、自身の周りだけを別の世界で包むような感じ。そこだけ流れる時間の速さが違うような。それに対して種之助は、自身の外側に広がる世界にアプローチしていくかのような印象。動きが柔らかいのは同じだが、印象が異なるのが面白い。

大きな米吉、松也の緊張感、隼人の口跡の成長、端正な新悟、台詞の鶴松

 米吉は、最近貫禄が付いてきたと思っていたが、南座の女大名に引き続き、今月もしかり。大磯の虎としての矜持を感じさせるような、落ち着いて堂々とした踊りぶりがとても心地よい。

 松也は、挨拶に続いて口跡が立派。おかげで五郎の威勢のよさが際立っていたし、祝宴とは一線を画した仇討ちの緊張感が瞬時に出て、大変刺激的だった。

 隼人の十郎は、予想以上の出来で満足。台詞の抑揚やリズムが耳にとても心地よく、かつ、十郎のたおやかなイメージにもぴったり合っていて、少し前まで口跡に物足りなさが残るなどと思っていたのが嘘のよう。

 新悟は、舞鶴という役のせいか目立ちはしなかったが、台詞も踊りもとても端正。鶴松も、この人数の中で見どころを作り出すのが難しい役どころではあったが、台詞の安定感は折り紙付きか。

そして、歌昇の「ひんやり」とした工藤の説得力

 歌昇の工藤は、身体が実際よりずっとずっと大きく見えるような押し出しの強さがあって、しっかり工藤祐経になっていたのが立派。大名としての包容力や余裕を感じさせるような大きな構えにも説得力があったし、曽我兄弟との対比において、周囲を俯瞰し、先を見通しているかのような冷静さも伝わってきて、非常にかっこよかった。ひとえに顔の表情を作るのが巧く、ひんやりとするような流し目には色気も感じられた。踊りは、丁寧な足さばきがよく見えて、眼福。

おめでたい幕切れ、浅草へのオマージュ

 幕切れは、狩場の切手の代わりに浅草寺のお札が工藤から曽我兄弟に与えられるという設定が粋。そこから宝船へと場面転換。8人の出演者がまるで七福神であるかのように宝船に乗り込み、舞台いっぱいに一列に並んでおめでたく華やかな幕切れ。浅草で乗合船がかかったこともあったなぁと思いだす。そんな浅草へのオマージュを含め、なんと幸福感の大きい幕だったことか。

 今年もたくさん良い舞台を観させてもらえますように。そう願わずにはいられない素敵な一幕だった。

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