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私は通常の学生時代から治療者としての専門教育を10年、臨床経験を30年ほど続け、その間、学生同士の交流や、治療院でのスタッフや患者さんとの出会い、さらにセミナー活動で多くの方々との向き合う機会をいただいた。その過程において、感謝しきれない素晴らしい出会いがあり、その一方で数えきれないほどの反省があった。

人間的に未熟な私にとって、「人間力」は大きな課題であり、今後もその課題に向き合っていかなくてはならないと思っている。私のような治療者に限らず、あらゆる職業において、「人間力」を高めることがその人の心を豊かにし、人生に充足感を与えてくれるのではなかろうか。また、その人が身につけた「人間力」に比例して幸福をもたらすといっても過言ではないと考えている。

では「人間力」を身につけるにはどうすれば良いのか?

言うまでもなく、それは短期的な学習で身につくことではない。

身体的な基礎体力を身につけるには、運動を継続することが必要であることは誰もが知っているだろう。それは、継続的に実践し続けることが一番の秘訣である。

では、「人間力」の基礎体力、「精神的基礎体力」は、どうすれば身につくのか?

知性を高めるために勉強が大切なのは当然であるが、それだけで本当の人間力、知性が身につくかどうかは疑問が残る。

様々な人間力に関する古典やスキル本を読み漁るのも良いかもしれない。

人間力を高めるため自己啓発のセミナーに参加するのも良いかもしれない。

でも、何かが足りない。

それは、実践の現場で人と真剣に向き合うことではないか?

治療者であれば、全力を尽くして一人一人の患者さんと真剣に向き合う、共に働くスタッフと真剣に向き合う、ミーティングで真剣に向き合う、というように実践的な人との関わり合いの中で「人間力の基礎体力」が段々と身についてくる。

一般論的には、ストレスがある人間関係は避けるというのが常套手段だろう。しかし、避けてばかりいると、人間社会における基礎体力は身に付かず、狭い閉鎖空間の中でしか生き残れなくなるかもしれない。それで本当に幸せを感じるのだろうか?

時には人間関係の問題で顔を背けたくなる時もあるだろう。その時に、避けるのか、向き合うのかは自分次第である。自分の人間力の基礎体力を身につけるために向き合う選択をすれば、それは自分の成長の糧となり、何らかの幸福が自分に注がれることになるだろう。

人間力の基礎体力は、数週間、数ヶ月で身につくものではない、本やセミナーで人間学を学んだだけでは本当の人間力は身につかない。人と人との関わりの中で揉まれながら、継続的に挑戦し壁を乗り越えて身についてくるものである。そのような人間力の基礎体力は、見方を変えれば、身体的な基礎体力を身につけるよりも、複雑で困難な挑戦かもしれない。

生物学的に考えると身体的な基礎体力は年齢に応じて段々と衰えていくことは自然の摂理、でも、人間力の基礎体力は、全力で頭を使い、人と向き合うことで高めていくことができる。DNAの二重螺旋構造ように、あるいは文武両道のように、学問と実践をバランスよく積み重ねることが大切である。このような人間力を高めるための基礎体力に挑戦し続けることこそが、本当の幸福をもたらしてくれるのではなかろうか。

実際に年齢を重ねても、目の前の課題に向き合い、懸命に生きている人は、輝き、美しく、魅力を感じさせてくれる。その一方で、様々な課題を避けて生きようとする人には、その輝きが見られなくなってくる。

よく聞く「年だから・・・」とう言い訳、「自己限定」はしない、いや、「人生100年時代」において、その言い訳は、自らの生命力を減退させ、衰えを加速させるということを認識すべきであり、自らを苦しめる言い訳はしないという覚悟をもつべきだろう。


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