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~ある女の子の被爆体験記14/50~    現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。 “アメリカ兵”

森重昭さん、被曝したアメリカ人を調べた人生

2015年にオバマ大統領が広島を来訪した際、森さんとオバマ大統領がハグをした姿が世界中の注目を浴びました。

森重昭さんは、アメリカ人の被爆者について、生涯をかけて調べた方です。森さん自身も爆心地から2.5kmの己斐で被曝した被爆者であり、8月6日、爆風で川の中へ飛ばされ、頭上のキノコ雲を見たのです。

戦後、森さんは、被爆者の描いた2000点の原爆の絵の中に、アメリカ人の絵を14点みつけました。ほとんどが相生橋の東で目撃されましたが、西側にも目撃証言がありました。私の伯母のノブコが見たアメリカ兵は、八丁堀でしばられていたとのことでした。

自らも被爆者である森さんは、アメリカ人の方がどのように亡くなられたか、それから、人生をかけて調べはじめました。

相生橋、その周辺でもアメリカ兵を見た証言

原爆の絵には、相生橋のたもとで折れ曲がった電柱に縛り付けられたアメリカ兵の姿が描かれています。上半身は裸で、うつぶせに倒れています。

「相生橋の東側の欄干に、アメリカ兵が鎖で縛り付けられていた」

森さんの調査では、広島で被爆したであろうアメリカ兵は12名いました。 7月28日に行われた呉沖の海空戦で飛行機が墜落し、捕虜となった方々です。この海空戦では、日本の艦隊はほぼ全滅しました。

/////被曝して亡くなられたアメリカ兵は12名

陸軍 B24 ロンサムレディー号、9人の乗組員のうち6人が被曝死

陸軍 B24 タロア号、11人中3人が被曝死

海軍 SB2C ヘルダイバー、乗員 2 人全員被爆死

海軍 グラマン F6F 戦闘機、乗員1人被爆死

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墜落時に脱出し、パラシュートで降りた場所でとらえられ、別々の場所で収容されていた彼らは、広島の爆心地から400mの至近距離にあった中国憲兵隊司令部へ連れてこられた。7月28日から30日にかけて15人が連れてこられた。このうち3人は、原爆投下の前日である8月5日に東京へ連行された。パラシュートでおりたときに民間人を銃で撃った人と、機長は、連行して話を聞くことになっていたようである。このとき連行された2人は、実際には予定された人物ではなく、人間違いで、TBMに乗っていた2人が連行されたのではないかと、森さんは分析している。

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