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私がクリスチャンになった訳[第1章:小さな迫害者]

   私の両親は幼少の頃離婚し、私は母方の家族に育てられた。シングルマザーとして忙しく働かなければならなかった母に代わって私を育ててくれたのは祖父母であった。祖父母は熱心な新宗教信者で、特に祖母は布教師であったため、母親代わりであった祖母から受けた精神的、道徳的、思想的影響は私にとってかなり強いものとなった。祖母からは「あなたのお父さんだった人はあなたを棄てた悪い人だから、迎えに来てもついて行ってはいけない。大人になっても探してはいけない。あなたを一人で育ててくれるお母さんに親孝行をしなければいけない」と幼い時から繰り返し聞かされてきた。この祖母の言葉は呪文のように私の心に刻まれ、つい最近まで疑うことなく信じ切っていた。又、祖母からは「あなたが今生父親のいない家に生まれてきたのは因縁によるもので、前生の行いが関わっているから、今生は精一杯人を助け信仰をしていると来生は父親のある家に生まれてくることができる」とも言い聞かされてきた。私はこの「因縁」の教えを真剣に信じ、祖母のような人を導き助ける布教師になって、社会の弱者のために貢献できるような人となろうと考えるようになっていった。
  私は英語が大変好きであったため、地元で英語の教師をする傍ら祖母が会長を勤める新宗教の教会を継ぎ、現代日本社会で苦悩する人々の力になれるような布教師として生き、祖母たちに親孝行できるような人間になりたいという夢を持ち始めるようになっていた。その夢を叶えるため、新宗教本部に併設された大学へ進学し英語を学んだ。英語を学びながら、その新宗教の教学コースも積極的に受講し、他宗教比較論や深層心理学関係の文献などを好んで読んでいた。特に松本滋氏の『父性的宗教 母性的宗教』や、彼の影響を受けたとされる河合隼雄氏の本などを読んでいた。大学の講義で、松本氏の教学について以下のようなことを聞かされたのを覚えている。「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の父性的宗教とは異なり、私たちの信仰する神は両性具有の “親神”であり、父性的側面も母性的側面ももつこの教えこそ世界を救う真の教えなのである。ただ、この教えは日本で生まれた宗教のため母性的側面がやや強い。これを宗教心理学の観点から理論づけたのが、松本滋先生なのである」といった内容であった。教団の中には、大まかに言って保守派と革新派があり、私は革新派の先生方が学問を通して教義を世界に広めようとされていることに感銘し、団体が主催するシンポジウムに参加したり、学術文献を読み、この教えがいつか世界宗教になると確信していたし、自分もそのことに貢献したいと思っていた。特に教祖の女性解放思想にも感銘を受けていた私は、フェミニストとしての教祖を内在的立場から研究するとともに、キリスト教にはない両性具有といった神格について研究し、その教学理論を武器に海外布教をしたいといった夢も次第に抱くようになった。
  大学で学ぶうちに海外在住の思いが強くなり信仰心も一層増し、海外布教師になりたいと思うようになっていった。ただそれでは祖母や母を見捨てることになってしまうので、その夢を限定的に叶えられないものかと思い、とりあえず大学卒業後はヨーロッパへ留学する道を選んだ。シングルマザーであった母はバブル時代の追い風も受け、水商売に成功し、私はこのような良い教育の機会を与えられたので、これについては大いに感謝をしなければならないと思っている。しかし私は姉妹のようであった姉と母とは違って、母とはどうしても馬が合わず良い関係を築いて来れなかった。最近、奇遇にも半世紀生き別れていた父と奇跡的に繋がり、死んだも同然かのように同居家族から教えられていた父が実は陰で私のためにずっと送金していてくれたことや、私が高校生の頃、富豪になり母に復縁を求めていたことなど、全て母に隠されていたことが分かり、昔からどうしても好きになれなかった母に対し一層憎悪の気持ちが強くなってしまっている。
   23歳の時初めて長期滞在のために海外へ渡った日、私の心の中には海外布教という闘志の思いがあった。それと同時に失った父性を探し求めるということもこの新たな旅の目的であると心の奥底では気づいていたように思う。私はキリスト教文化の中で新宗教を広めるためにはまずキリスト教を知り尽くすことが大事であると思い、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の精神で渡欧した。私はイエスと闘う小さな迫害者だったのだ。心の拠り所として持って行った新宗教の教典が数年後の帰国の際に聖書と入れ替わってしまうとはあの時は思いもしなかった。(続く)

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