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感動的な卒業式にモヤモヤ

私は大学で教員をしている。

卒業式という場にも何度も立ち会った。
そこで感じるモヤモヤ。

特に手がかかった学生が無事卒業する時になった時、目に涙を浮かべながら晴れやかな様子でお礼を伝えに来ることがある。

なぜか前面に「やり切った感」を出してくる。

そこで感じるのは喜びではない。

(君、ほとんど何もやっていないよね?)

呆れと私の手から離れたという安堵。

半ば強引に書かせた卒論。
内容がない虫食い状態の文章。
添削という建前のもと、ほとんど私が書いた。

本当は落として留年させたい。
しかし、その学生が留年すると、指導に時間がかかるのが目に見えている。
優秀な他の学生とディスカッションをする時間を削ってその学生の面倒を見たくない。

卒論が辛くて大学を辞めると申し出る学生も中にはいる。

しかし、大半は、出せばなんとかしてもらえる精神で文章もメチャクチャ、実験結果にも信憑性のない卒論を平気で出してくる。

卒業してくれてやっと平和になる。
そう思ってしまう。

教育者なのだからこんな考えは改めた方が良いかと考えたこともあったが、今はそうは思わない。

大学はそもそも義務教育ではない。

生徒ではなく学生だ。

自ら学ぶ意欲がない者に最大限厳しい評価を与えるのは当然と言える。

また今年も新学期が始まった。

今年こそは研究をやる気がない学生に当たらないでくれと真に願う。


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