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ハイスペは変人で面白い

私はチャランポランな人間である。
周りの人間が将来設計をきちんと見据えて行動する中、何も考えずに研究室に居座っていた。
運とタイミングが味方してくれたおかげで今はなぜか大学教員をしている。

最近はnoteでハイスペな人の記事を読むことにハマっている。

ハイスペな人が書く文章は魅力的で読みやすい。

そしてハイスペはもれなく変人(褒め言葉)なので読んでいて面白い。

変人度合いで言えば私もそれなりに張り合える部分はある。

だから大きく共感できることもあり余計に楽しくなる。

最近、そんなハイスペたちの共通点であることを見つけた。
それは他人の能力や言動、行動をあてにしていないことだ。

全て自分1人で完結可能な範囲で人生を楽しんでおり、そこに他人も加わってくれたらラッキーみたいなモチベーションの人が多いように思える。

私は過去に他人に期待してがっかりしたことがいくつもある。

好きなアーティストのライブの話題を出した時、友人が「行きたい」というのでワクワクして計画を練っていた。
しかし友人の言った「行きたい」は話の相槌としてのもので、実際には行く気はなかった。
ゴタゴタしているうちに機会を逃してしまった。

ある時は、友人と期間限定でしか見られない雲海の話で盛り上がった。
次の日は休日。
友人の予定もないことを確認済みだったので、「深夜に出発して突発で雲海と日の出を見に行こう!」と提案した。
「突然長旅に出かけられるほどフットワーク軽くないし、体力面でも不安がある。」と断られてしまった。

またある時は、大学にて自分が学生に与えた研究テーマで期待通りの結果が出始めていた。
「良い結果なので、学会誌の〇〇特集号に論文を投稿しよう!」と提案した。
しかし、それ以降、実験がもたついていたので何度か声を掛けたがダメだった。
学生自身はそこまでのやる気はなく、苦労せず卒業したいようだった。
結局、実験結果を精査しきる前に記事募集の締切が過ぎてしまった。

これらは全て他人が悪いわけではない。
人にはそれぞれペースがある。

みんながみんな、思い立ったらすぐ行動して、物事を進めるわけではない。
それなのに、他人も自分と同じペースでついてきてくれると思い込んでしまっていた。

実際のところ、自分自身は滅多に他人の誘いを拒否しない。
どんなに仕事が溜まっていても、疲れていても、興味があって面白そうと思ったら時間を無理矢理にでも作って他人の誘いに乗る。

そのせいで、沖縄旅行中に友人が隣で気持ち良さそうに寝ている中、夜な夜なひっそりと論文の査読をしていたこともあったが…。

それでもとても楽しかった。

ただ、noteを通じてバイタリティが高く行動力のある人ほど個人で生きているということに気付かされた。

ハイスペな人ほど他人に期待せず、打たれ強く、自分に厳しい・・・ように見える。

実際は、(1)自分を最も楽しませられる人は自分であることを理解して行動し、(2)苦を苦として受け止めず何事も楽しさに変換し、(3)面倒ごとには感情を殺して機械的になれる人がハイスペと呼ばれるのだ。

世間的に見れば変人だ。

私はそんな変人が大好きなので、ハイスペな人の記事に「スキ」をして回る。

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