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おうちへ帰ろう(自分という "個" の尊重)2


スピ疲れの日々

スピリチュアルの世界に一瞬でも傾倒したことのある人にはわかると思うけれど、ジャンルが無数に存在し、しかも履修科目がべらぼうに多い。

辛酸なめ子さんの著書「スピリチュアル系のトリセツ」では、
スピリチュアル女子の分類として、「占い系、パワースポット系、白魔女系、ハワイ系、前世系、引き寄せ系、陰謀系、アセンション系、宇宙人系」などが紹介されている。(一部抜粋。まだまだある)
興味のある分野を一つ選べたとしても、学ぼう!極めよう!と思うと、えらい疲れる。しかも明確なゴールもないし、自分の “レベル” を証明するために、「◯◯認定講師」「◯◯上級マスター」とかの資格を取りたくなってくる。


やっていること自体はキラキラ女子に見えたかもしれないけど、
内心は、癒しとかヒーリングとかありのままの自分とか、それどころじゃなかった。
スピや、それ以外の自己啓発や代替療法に取り組んでも、
結局、わたしが最終的に求めていたのは、幸せの国への到達と、そこに至るまでのレースから決して脱落しないことだった。
万が一にも、「っていうかそもそもそんな国に行きたくない、そんなレースしたくない」なんてことは、考えなかったのだ。


最初の話に戻ろう。
「いつか幸せになりたい」のではなく、今、幸せでいたいと願うなら、まずは、幸せの国を目指す旅、それ自体をやめる必要がある。
この旅は、あなたを決して幸せにしないし、なんならめちゃめちゃお金がかかる。
「あなたにはこれが足りない、でもこのアイテムを買えば幸せになれますよ!」「あなたは十分じゃない!だからこれを学びなさい!」という広告が溢れていて、巷では「自分を高める」という名目で、たくさんの攻略アイテム、装備、近道マップみたいなものが売っている。そういうのを買い漁っていたら、すぐにすっからかんになる。


そんなこと言っても、実際に「幸せそうな人」は存在するわけで、その人たちはどうなんのよ? 幸せの国にゴールインした人じゃないの? と思うかもしれない。

ある人が、本当に「幸せ」なのであれば、
それはすなわち、その人はとっくに旅をやめているということだ。
「あ、この旅続けても何もないわ」と気づき、損切りをして、見切りをつけて、旅をおしまいにした。幸せの国に辿り着いて、豊かさや愛や宇宙のパワーを独占しているわけじゃないのだ。

じゃあ、その人たちは、どこに向かったのか?
あなたも、わたしも、旅をやめたとして、こに行けばいいのか?

帰る場所は、「自分」。


答えは簡単。「自分」という、ふるさとだ。

「よーい、どん!」の合図で、問答無用で立ち去らなければいけなかった、出発地点。
幼い頃、「そんな場所にとどまっちゃいけない。幸せの国を目指そう!」と言われて、
見捨てざるを得なかった、はじまりの場所。

わたしたち一人ひとりが、生まれた瞬間に、無限のレルムを与えられている。
(補足:わたしはゲーム・オブ・スローンズという海外ドラマが死ぬほど好きなので、その中で頻出する “realm(レルム)” という語が気に入っていてこだわりがある)

人生の本当の目的とは、そのふるさとを捨て去り、
社会が設定した「幸せの国」を目指すことではない。

むしろ、一生かかっても探検しきれない、自分という無限の地にとどまり、そこにあるものを見て、聞いて、味わい、そして大切な人を招いたり、そこで採れる資源を使って、貿易をしたりすることなんじゃないだろうか。

(わたしも含めて)生きるのが辛い人は、ふるさとから引き離されているんだと思う。
そしてそのことに気づいていないし、なんなら、ふるさとの存在を忘れてしまっている。
「幸せの国」に向かう旅をなんとか生き抜くのに、必死だからだ。
けれどそれ以外に生き方があるなんて知らないから、心と身体を壊しても、レースから身を引くことができない。生きづらいのは自分の問題だからと、スピや自己啓発とアイテムを使いながら、満身創痍のからだを引きずって歩く。

旅じまい≠幸せの放棄

旅をやめることは、幸せを諦めたり、放棄したりすることじゃない。
幸せの国でしか手に入らないと思っているたいていのものは、そもそも、自分という大地に自生している。わざわざ遠い国まで取りに行く必要はない。ふるさとでは、手付かずの自然と資源が待っている。

また、旅をやめることは、勉強したり、夢に向かって努力したりすることをやめるということでもない。ただ、目標を設定してその実現のために頑張るのは、自分のレルムの中でもできる。幸せランドに辿り着き、入国を許可してもらうために、あなたの才能や忍耐力を、切り売りする必要はない。


結局のところ、「自分(ふるさと)に帰る」って何?

抽象的なメタファーを使ってきたけれど、
「自分に帰る」とはつまり、
イエや社会や国、その他あらゆる集団に属するために、踏みつけ、蔑ろにしてきた「"個"としての自分」の尊厳を取り戻すということだと思う。

そのためには、二つのアプローチが必要だ。

その1:内側(自己)に対するアプローチ


一つ目は、トラウマケアや、(過度に商業主義的ではない)スピリチュアルな側面の癒しを通じて、「自分は大切な存在だ」ということを思い出すこと。自分が人として、いのちとして、尊重される。
それは「有り難いこと」ではない。
「宇宙、神、なんちゃらパワーのおかげ」でもない。
当然のことだ。時間をかけて、そういうふうに思えるようになること。

その2:外側(世界)に対するアプローチ


二つ目は、社会のあり方にちゃんと疑問を呈すること。
そもそも、「受け入れてもらうためには、自分を踏みつけ、蔑ろにしなきゃいけない」ということ自体がおかしいのだと気づくこと。
「"個"としての自分」の尊厳を取り戻すというのは、集団なんかに頼らず自分一人で生きよう!というわけじゃない。大きな集団に属したい、つながりを持ちたい、というのは人間として自然な欲求だ。
あなたが属したいと願う集団が、そのままのあなたを当然のように尊重する場であってほしい。そうじゃないなら、それを良しとしている社会通念やルールに疑問を呈してほしい。
ちなみに、わたしはフェミニズムを学び始めてものすごくラクになった。たくさんのスピジプシー女性は、「一つ目」で書いたこと(自分自身のトラウマケアやヒーリング)はめちゃめちゃ頑張るけれど、一歩間違えると、問題は自分の内面や心にだけ存在するのだと勘違いしてしまう。でも、そんわなわけない。
あなたが、わたしが、生きづらいのは、私たちだけのせいじゃない。
ジェンダーギャップ指数125位(G7諸国の中では最下位)の国に住んでいるということを忘れてはいけない。
フェミニズム関連でおすすめの本はアルテイシアさんの著書全部。中でも現時点での最新刊はとても面白かったのでぜひ読んでほしい。
※誤解されがちですが、フェミニズム=いわゆる "女性らしい"服やメイク、美容を楽しむことを否定するものでは決してありません。過激な"男嫌い"でもありません。

"フェミニズムは個人の生き方や選択を否定するものではありません。むしろ真逆で、個人の選択を尊重しようという考え方なんです"

"フェミニズムは弱い立場の人が弱いままで尊重されることを求める思想だ。強者になりたい人はなればいいけど、無理に強者を目指さなくていいし、強者だからといって弱者を差別してはいけない"

ヘルジャパンを女が自由に楽しく生き延びる方法(著:アルテイシアさん)

(↑アフィリエイトじゃないよ)

終わりに

人生はゲームかもしれないけれど、最初に選ぶソフトが違っていた。
わたしがプレイしたいのは、相手を出し抜いて、できるだけ早く幸せの国に到達することを目指す、レーシングゲームじゃなかった。
自分という大地を、生涯をかけてくまなく探索する、自由度MAXのRPGのほうだったのだ。旅をするんだったら、遠い国を目指すんじゃなく、無限の、この地の中で十分だ。
選ぶソフトが違ったということに気づかず、違和感を抱えたままだと、どんどん苦しくなってくる。レースを有利にするアイテムをいくら手に入れても、虚無感は消えないし、渇きは癒えない。

これを読んでくれている人へ。
スピリチュアルや自己啓発で一生懸命自分を高めることに、疲れていないだろうか。
高めようと頑張るほどに、今の自分は「低い」ところにいるのだと、責められているような気分になっていないだろうか。
今は辛いけれど、ポジティブで前向きでいなければいけないと思い込んで、苦しみや生きづらさを自分の中に抑圧していないだろうか。
問題は全部自分の内面に存在しているのだと思って、「自分を直す」アプローチばかりに気を取られ、結果的に自責思考になっていないだろうか。

もしも、ほんの少しでも心当たりがあるのなら、
遅すぎることなんてない。旅を終わりにしよう。

暗くなる前に。自分がわからなくなる前に。
疲れ果てて、旅の途中で、倒れる前に。



ドリゼラ


お読みいただき、ありがとうございました。わたしという大地で収穫した「ことばや絵」というヘンテコな農産物🍎🍏をこれからも出荷していきます。サポートという形で貿易をしてくれる方がいれば、とても嬉しいです。