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人の心を診る

私は今内科医をしていますが、医学生の頃は精神科医になりたいと考えていて、3ターム選べる選択実習で精神科を2回取ったりしていました。人の意識や心に興味があったのです。
でも学生実習で患者さんと接しているうちに、正常な心ってなんだろうか、心を治すってなんだろうか、そもそも自分の心は正常なのだろうか、と悩んでしまいました。
今から思えばそれは自分の勘違いというか、ある意味では思い上がりのようなものだったと思います。それは後で書きますが、とにかくその当時は、正常な心が分からない自分が、心の病気を良くすることは出来ないと考えて、精神科を諦めたのでした。そして病気と正常が比較的客観的に分かりやすい内科を選びました。
今から思えば、精神科の仕事を深く理解していませんでした。たしかに幻覚幻聴など明らかにおかしい状態に対して、それを投薬で改善するという内科的な面もあります。しかし、臨床の現場で精神科の先生の仕事を拝見すると、患者さんや家族が困っていることに対して話を聞き、サポートしていくという面が大きいと感じます。心が正常が否かではなく、困っているかどうかで介入を決めて、その人が暮らしやすくなるようサポートしているように思います。心がおかしい患者を医者が治す、というような一方的な医療ではないのです。
一方で、内科で患者さんを診ていても、身体だけではなく心も診なくてはなりません。身体と心は切り離せないのです。いわゆる心身症というような、ストレスが身体症状に出てくる病気の患者は内科を受診します。その場合、心の問題に気付けないと検査ばかりしてしまい異常を見つけられません。そこで何となく悩みやストレスを聞いて当たりをつけていけるのが良い診療だと思います。
また、深刻な病気の場合はそれ自体が患者さんの心を脅かし、ひどい場合はうつ状態を引き起こします。それを表情や態度などで察してひどくなる前に掬い上げる必要があります。
あとは最近考える事として、大人であっても心は成長、変化していくという事です。特に終末期医療で死に向かう人と接していると、自分の人生を振り返り悟ったかのように落ち着く方もいらっしゃいます。またお年寄りでも超然として落ち着いた仙人のような方がいます。そのような方々は自分自身の生死を超越した落ち着いた世界に生きていらっしゃると感じます。
老年的超越というものなのだと思います。人生の最後にも心の成長が起こるのです。これは非常に興味深く、患者さんに学ばせてもらっています。
老年的超越

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