私に与えられた試練という名のギフト
人は皆孤独なのだと思う。
ニコニコ笑顔の裏側で、深刻な悩みを抱え心で泣いていたりもする。
私はそんなふうにこの世の人々を捉えてきた。
それは私自身が体験していたから。
私は幼い頃既に虫歯になりやすい体質で、歯並びも美しくはなかった、20代から急激に歯の調子が悪くなり、歯科に行っては、ホルモンバランスが崩れていて歯にまで影響が出ている、と言われていた。
結婚して間もなくして、10代の頃治療した歯の詰め物が取れ、嫌で嫌でたまらなかった歯科に行って、前歯にも虫歯が広がっていることが判明して、治療の為に半年も通った。
そこの歯科医は容赦なく毒舌を吐く人で、私は散々嫌味を言われ、歯のことを貶され、その上乱暴な治療の仕方で、とても恐い思いをして、もう二度と治療は受けたくない!とトラウマになった。
この時、もっと優しい丁寧な治療の歯科医に出会っていたなら、私の運命は全く違った展開になっただろう、だからある意味この粗野な歯科医との出会いが、今の私に繋がったとも言えるのである。
私は治療が全て完了しても、なんだか心は晴れず、自分のコンプレックスは間違いなく歯だ!と印象付けられた気がして、悩みの種になっていた。
そして出産を経て、怒涛の育児に追われ、自分の歯をケアする余裕もなく、どんどん歯を失う要素を作っていった。
長男の幼稚園の友達が遊びに来た時、その子に言われた「どうしておばさんの歯はそんなに黄色いの?」と、私はその子に自虐的に答えた「歯をちゃんと磨かなくて虫歯になったからこんな歯になっちゃった、だからおばちゃんみたいになりたくなければ、しっかり歯を磨いて守ってね」と。
でも純粋な子どもに面と向かって言われたことで、私の歯に対する強烈な劣等感に磨きがかかり、ニコニコ笑顔の裏側で泣いている私が確立していったのだった。
それでも幾ら歯が白くなくても、幾ら歯並びが悪くても、ちゃんと生え揃っていれば私は我慢して、この世の中のシステムに合わせようと頑張って真面目な私を演じ続けたはずだ。
私は本気で歯と向き合い、きっちり治療して今度こそコンプレックスを克服しよう!と決意して、家の近くの歯科で治療を受けて、そこでも粗野な歯科医によって その決意を覆され、私は総入れ歯の可能性を示唆された、まだ30代後半の頃だった私は、もう絶対に歯科には行かない!と強く決意したのである。
どんなに努力して自分なりに歯の為に良いと思うことを施しても、私の歯はみるみるうちにボロボロになり、遂に抜け始めた。
抜ける度にお金が手に入る現象が起こり、私は苦しい生活から解放されたくて、歯が抜けてもいい!とどこかで思っているフシがあった。
そして最悪な事態が待っていた。
私のプライドを何とか保つ役割りであった前歯が抜けたのだ。
このことにより、私は完全に世間から逸脱する道を選ぶことになる。
もうこの時点では歯科に行く選択肢は皆無だった、私はすっかり歯科への嫌悪感や恐怖感が増幅していたからだ。
それに総入れ歯になることが決定しているのに、なんでわざわざ痛い思いや恐い思いをして、治療を受けなければならないのだろう?私にとって歯科は拷問する場所としか思えなかった。
私は今も時々想いを馳せる。
もしも私に歯が美しく生え揃っていたなら、今どうしていただろうか?と。
私は間違いなくこの世界のカラクリに気づくことなく、宇宙の法則なんて及びもつかず、常識の世界にどっぷり浸かり、感謝する心も育てず、目の前の競争に勝とうとあくせくとして生きているだろう。
結局 歯以外の欠点を挙げ連ね、私はだからダメなんだと落ち込み、嫌な世界を創造していたかもしれない。
私の魂の成長の為には、どうしても歯を失うシチュエーションは必要だったのだ。
私は前歯が抜けた時点で、完全に切り換えた。
もう私には宇宙の法則しかない!!と。
だって私は希望を失いたくなかったから。
いつもどんな時も、私にはこれがある!とお守りを必要とする性質だ。
私は絶望の中でも光を見つけようとする。
宇宙の法則は教えてくれる。
見えている世界は 自分の思い込みが映像化した鏡の世界で、全てが自作自演の一人芝居なのだと。
ハッキリした答えはまだわからないけれど、私に与えられた試練は、必ず私の気づきに繋がっていて、私を成長させてくれる大切なギフトだという気がしている。
だから私は今ここで、宇宙を信頼して、全部が必然で順調に進んでいることに、安心していようと思う。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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