大嫌いだった人を想う
私は父方の祖母が大嫌いだった。
この祖母は、母方の祖母と比較して全くの正反対の人だ。
母方の祖母が菩薩様なら、父方の祖母は貧乏神と言い表せる。
私はこの記事を悪口を言いたくて書くのではない。
私の今の視点で大嫌いな人をどう捉えることができるか?を試してみたくなったのである。
祖母は幼い頃の私から見て、とても意地悪で邪気に満ちていて、側にいるだけで不快になる人だった。
それは、私の大好きな優しい祖父に対して、ちょっと気に入らないことがあるだけで罵倒して、物を投げつけ喚き散らす、祖父は黙って耐えていた、そんな祖父を見て、祖父の代わりに祖母を憎んでいたからだ。
又祖母は平気で嘘をつく、明らかにバレるのに嘘で塗り固め他人を貶めようとする。
更にはとてもケチでお客様に対して敬う気持ちなんてなく、恩着せがましく劣悪な物を差し出したりする。
母はそんな祖母を悪魔として敵対視して、事あるごとに私に言って聞かせ、私の祖母への嫌悪感は積み重なる一方だった。
母は自分の愛する子ども(双子の弟の一人)を、祖母の娘夫婦に養子に出すことになり、絶対に一生祖母を許さない!!と誓っていた。
私は幼い頃はそこまでの母の憎悪を理解してはいなかった、自分が母になって初めてどれ程の苦しみかを理解できたのだ。
今改めて祖母を想うと、確かに祖母は私の理想とは真逆の言動をして反面教師となり、愛とはどういうものかを示してくれたのだと分かる。
そしてもう一つ、ずっと認めたくはなかったけれど、祖母は私の闇の部分を表してくれていたとも言える。
私は嘘を嫌悪するわりに結構簡単に嘘をついてしまうところがある。
自分を正当化したり、自分を優位に立たせようとしたり、相手に責任を押し付ける為に嘘をつく。
そう!祖母とよく似ている。
私は変にケチ臭いところがある。
無駄を嫌い、どうせやるなら一石二鳥になるように画策する。
他人の為の労力を惜しみ、それなりの報酬を期待して、それが無いのなら冷酷に放置することもある。
私は祖母とは正反対で在りたかった。
祖母は誰からも嫌われていた。
厄介な人物として避けられ、陰で悪口を言われ、母からは恐ろしいくらいに恨まれていた祖母。
あんな人にはならない!!と強く思っていた。
でも本当は、祖母の一面に私そのものが映し出されていたのだと思う。
私は自分が大嫌いだった、無意識に祖母と自分を一体化させて嫌悪していたのかもしれない。
例えば、友達と身近な人の事で悪口大会になるとする、すると私の祖母的な一面が顔を出し、もっとターゲットの人を貶したい欲にかられる。
それでつい嘘をつき、その人の有ること無いことを面白おかしく語ってその場を盛り上げてしまうのだ。
一人になると、悪口を言いまくったことを激しく後悔して、自己嫌悪に陥ることが多かった。
元夫に対して、私はあの頃の祖母のように、ちょっと気に入らないことがあるだけで、激しい怒りをぶつけ、元夫を責め続けた。
その事から、幼い頃に見た祖母の姿は、未来の私を予告してくれていたことが分かる。
祖母の醜くなっていく容姿を、私は恐ろしく思いながら見つめていた。
鏡に映る今の私の容姿は、認めたくはないけれど、何処か祖母の面影がある。
祖母は私の未来を映し出してくれていたのだ。
だからと言って、私は絶望したりはしない。
祖母のキャラクターは強烈だったけど、それは私の為に演じてくれたのだと思えるから。
祖母は悪い人ではない、愛と勇気のある人だ。
愛があるから敢えて反面教師役を引き受けられる、嫌われて恨まれても役に立てるのなら!と悪役に徹する勇気が素晴らしい。
大嫌いな人は、私に多くの学びを与え、愛を示してくれる人なのだ。
もう私は自分と分離させて祖母を貶すことはない。
自分の半生を神様の視点で振り返ることができるようになってきた、その事が嬉しくてたまらない。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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