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noteに記事を書くことが生き甲斐

私のしていることは意味があるのだろうか?

これでいいのだろうか?

時々宇宙に聞いて確かめたくなる。

私の見えている世界では、大人は誰もが仕事を持ち、誰かの役に立っている。

その対価としてお給料があり、それで安定した生活を営んでいる。

私は真面目な子どもだったから、成人すればどこかの企業に就職して働くのが当然だと思っていたし、政府が定めた法律を絶対守り、善良な市民として奈良で地道に生きようと思っていた。

ところが、結婚したあたりから、私の人生は狂い始めた。

世間のルールを頑なに守って生きてきた私は、夫の悪徳ぶりに恐怖さえおぼえた。

こんな人と結婚した私も既に悪に染まってしまったと感じた。

両親に申し訳なかった。

その頃から私は自分に自信が持てず、常に罪悪感を抱えて生きることになったのだ。

永遠に続く地獄に感じた結婚生活、突然流れが変わり、あっさり離婚することができた。

ところがそこからも私は苦しんだ。

最も私を打ちのめしたのは、自分の顔の変化だった。

離婚する前から私は前歯の大半を失い、私のプライドはズタズタだったからだ。

これでは外に出られない!もう社会に貢献する為に働くことはできない!と心を閉ざした。

その頃 宇宙の法則を知り、私は望みを託した。

離婚しても、目の前の楽しいことに没頭していれば、豊かさは宇宙銀行からやって来る、極端に私は解釈して実験することにした。

何とか母からの援助で新しい場所で楽しく生活してこれた。

でも私はいつも不安だった。

この暮らしは、母のおかげで成り立っている、決して自立したとは言えず、宇宙の法則で幸せになれたとは絶対言えない!と思った。

それが現実化して、数ヶ月前から両親がやって来て、散々私を責め立てた。

私の信じた宇宙の法則は、こんな結末に繋がっていたのかと心が折れた。

でもやっぱり諦められず、もっともっと自分の内側を見つめ、本当にしたいことは何なのかの答えを問い続けた。

そしてやっと覚悟を決めた。

私は自由の身で生きる、何処にも所属せず、お給料を受け取るのではなく、宇宙から豊かさを受け取る!と。

それは見えている現状では無謀な決意に感じた。

だからどうしても不安になる。

noteにこうして記すことで、何故か落ち着き、冷静に自分と向き合える気がする。

私は本当は役に立ちたかったのだ。

あなたのおかげで助かりました!と感謝されたかった。

沢山の人に喜んで欲しかった。

生まれてきたのは、みんなを助けて笑顔にする為だった!と手応えを感じたかった。

今ここに集中する為に、ゲームをしていると、こんなことをする為に私は生きているのか?と疑問に思う。

ゲームが生き甲斐という程には好きにはなれない。

本当はもっと私を表現して正々堂々と生きていることを実感したい。

それが私にとってはブログなのだ。

夜も寝る間を惜しんで書いていたいと思えるくらい、私はスマホで文章を綴っていたい。

その文章を読んでくださった誰かを勇気づけたり、希望を与えたり、元気になってもらいたい。

私は愛と光でここで輝いていたい。

その輝きを受けて、本当の自分を取り戻し、笑顔になっていただけることが、私の生き甲斐に繋がる。

だから私の記事を見てくださっている方がどんどん増えることを願ってしまう。

こんな生き方もあるんだと知っていただけることを望んでしまう。

私だけが存在する世界なら、それは可能ではないのか?

私に生き甲斐を与えてください。

宇宙にオーダーした。

noteに今の私をありのまま記す。

何も期待せず、何も心配せず、ただ浮かんだ文章を打ち込んでいく、そうして私から生まれた記事を読み返すと、私を客観的に見ることができて、頭がクリアになっている。

それだけで充分なのかもしれない。

脳というエゴは、成果を求めて発信後の反響を期待する。

でも私の魂は、それを望んではいない、ただ今の私を文章に表すことだけを望んでいるのかもしれない。

成果を出す私が素晴らしいのではなく、今ここに生きている私そのものが素晴らしい。

noteは素早く反応してくれている。

この反応が当たり前だとは思わない。

不具合を沢山経て、今があると私は知っている。

noteがスイスイ反応良く機能している今こそ、いっぱい自分を表現しよう。

ただそれだけで充分なのだから。

私はもう迷わず、どんどん今の私を表現し続ける。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️














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