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櫻井翔さんの言葉の力

2023年4月某日。快晴。
私は六本木ミュージアムを訪れた。

櫻井翔 未来への言葉展 SHO SAKURAI:WORDS FOR THE FUTURE
を見に来たのである。

手始めに軽く自己紹介をば。
私、一応、小学校高学年から嵐のファンをやらせていただいております。
そして人生の半分程度を、櫻井翔担として過ごしております。
もはや嵐の存在が血となり肉となっている状態でございます。
お察しの通り、こうして推しの口調に寄せにいくタイプの、「推しになりたい」タイプのオタクでございます。以後お見知り置きを。

「この度は大変貴重な機会を賜りまして、誠にありがとうございます。
オタク、全身全霊で参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。」
という気持ちで、会場に足を踏み入れました。

オトノハ

基本的には部屋の中央にあるやぐらに貼ってある大きいのしか読めない。それでも十分、翔さんの歴史がわかる。
会場の壁際には所狭しと、過去のオトノハたちが印刷された紙が天井から吊り下げられており、みんな必死に読めるのを読んでいた。

頑張って読んだオトノハの中に、当然のように出てくる嵐メンバーの名前。何気ない日のエピソードから、嵐の歴史で語り継がれるべき日のことまで…
アニキ会でおなじみ上田君はじめ後輩の名前が出てくるものがあったり…
とにかくあの巻物たち、破棄されるくらいだったらランダムでもいいから一人一巻き、売ってくれんか?と思った。

…速報です。
今、教典(言葉展の箱に入ってる本)を確認してたら、このブースで最初に観ていたはずの動画の文字起こし(?)に、


「櫻井翔の言葉責め。」



とかいうとんでもない破壊力の文言が。

おいおいおい。そこまで真面目なこと書いてあったのに。

序盤から
    櫻井翔が
         つよすぎる
(図らずも 575を 詠んじゃった)


SHO ROOM

翔さんが大事にしてきた物たちのブース。

翔さん自身の歴史を感じたのはもちろんだけど、ガラケーとか、VHSとか、普遍的な時代の変化も感じる部屋だった。

何度も書き直して考えをまとめた、手書きのラップ作詞ノート。

こうやって翔さんは私たちに伝えるための言葉を用意してくれていたんだなあと思った。

断捨離とか、データ化とかが進む昨今ですが、形に残らない何か(ものを生み出すのにかけた時間とか思いとか)を象徴する物が、物として残ってるのって、いいなあ。大事にしたっていいんじゃないかな。


NO MORE WAR

 翔さんの祖父櫻井三男さん、戦死したその兄櫻井次男さんを通して見る、戦争について語られたブースだった。

 これは自分で展示を見て感じるべきだと思うので展示についてではなく個人的な話をするが、私の祖父も戦争体験者である。存命のうちに少しだけ、その当時の話を聞いたことがある。
 教科書にある通り、竹槍で敵を倒す訓練をさせられていたこと。あと数日終戦が遅かったら祖父も特攻に駆り出されていたであろうことなどを教えてくれた。
一番心に残っているエピソード。
飛行機を操縦する訓練で、出席番号順に飛行機に乗せられた。その中で、飛行機が横転して燃え、出席番号で言えば隣にあたる仲間が亡くなったことがあった。
もし、祖父が乗っている場所が違ったら。
そうなれば当然、父はいない。
私も、ここにいない。

あまりにも簡単に、「ただ運が良かった/悪かった」だけで、人の人生が左右されてしまうやりきれない時代だと思った。

彼は親族の戦争時代の体験を調べ上げて、まとめていた。そのために集められたあらゆる資料も展示されていた。
次男さんの経歴が書かれた一枚の紙。わずか数行しかないその紙の最後の行に、赤いハンコで押された、「戦死」の2文字。

ただ教科書で読んでいるだけではきっと、私も他人事のような感覚でいただろう。
やはり自分の祖父の話を聞いて戦争への感覚は変わったし、今回翔さんの話を聞いて改めて、繰り返してはいけない歴史だと思った。そして、そのことを次の世代に伝え続けていかなければならないのだと思った。

会場内では翔さんがNewsweekに寄稿した原稿の一部を、本人が読んでいる音声が流れていた。
彼の声で読み上げられるそれは、戦争の悲惨さをひしひしと感じさせた。

「戦没。」
最後のその2文字が、静かに、しかし深く、心にのしかかった。


サクラップサウナ


翔さんが作詞したラップの、Vo.櫻井翔音源を、聴けるブース。行く前から分かってたけど、そんなんヤバいやん。

説明を聞いた後周りを見るとブース内全員、本当のサウナみたいに座った所で一切動かず、目を閉じて、聴いている。

遊びじゃないねん、ガチやねん。
という気概を感じ、私も空いてる席を見つけ、ヘッドホンをセットして、再生開始する。

…うん、これは目つぶるわ。
一回しか聞けないから、全神経を聴覚に集中するのに目を閉じますわ。

すごいんだこれが。
立体的な音響、というのでしょうか。なんか、すごい。(乏しい語彙力ですまん)
爆音で、推しの声しか聞こえないってのもそうなんだが、「嵐はこれ聴いてレコーディングして、”嵐の曲”になったんだ…」というのを感じられた。

ていうか、仮歌としてしまい込まれてきたこの音源を、嵐は聴いてたんだ~…

うらやましすぎる!!!!!(しゃあないやろ)(この度公開してくれて誠に感謝)


「はひょ~~…」と声が出そうになりながら余韻に浸りつつ、写真のスライドショーを見てました。オシャレだな、もう。

来年も再来年も

東日本大震災についての話。
翔さんが伝える者として、何度も被災地に足を運んだ記録。

あの日のことははっきりと覚えてはいるが、あえて書かないでおく。
私はその前にあった阪神淡路大震災の時、まだ生まれていなかった。そのため、「そっか~あの時まだ生まれてないのか~」と言われる側だった。
今や、あの震災を経験していない世代がすっかり小学生になっていて、今度は言う側になっている。そのことに驚く。

そして、年月がどれだけ経とうが、いつそんな日が来てもいいように備えることと、傷ついた人たちは今も癒えることのない傷と共に生きていることを忘れてはならないと思う。

今となっては当たり前に使われているSNSのLINEは、あの震災から生まれたものである。
当時私はケータイを持っていなかったが、大人たちはきっと電話もメールも回線がパンクして使えなくて、困った。だから開発された。
既読機能は、返事をできずとも「このメッセージを読めている」=「少なくとも命はある」と分かるように。
ひとこと機能は「無事です」「家にいます」など、一人一人に連絡をせずとも安否が伝わるように。
そうやって回線をパンクさせず、本当に緊急の連絡がとれるように。
…ということだと記憶してますが、なにか違ったらご教示ください。

そうか、あの時、LINEなかったんだよな、と時々思い出す。
誰のせいでもない災害に日常を奪われても、戻らないものがあるとしても、生きてさえいれば、そこから再生する力が、人間にはある。

僕です。


会場内の至るところに、付箋かメモのような形でひとことエピソードが置かれていた。
クスっと笑ってしまうようなものが、たくさんあった。

翔さんがご家族に大切に育てられてきたこと。

周りで誰もやってないことをやってやろうとヘソピ、日サロ、カラコンをはじめた野心。

旅行先やレストランでのちょっと残念なところ。

そして麻布やら六本木やらめっちゃんこ都会の地名ばっかり出てくるマジモン感。

色んな出来事の一つ一つが、今の翔さんをつくっているんだなあと思った。


ありがとうの交換。的な。

翔さんがストーリーを書いた、絵本のコーナー。
絵はご本人ではないです。理由はお察しください。

結論から言おう。不覚にも、私は泣いた。1人で泣いた。

1つ目の話も、いい話だった。

でもやっぱり、記憶に刻まれてるのは、『騒げば騒ぐほど』。

自分の父親の動向について「はっきりと否定したのに」何度も、何度も同じことをいろんな人に問われて。
そういった周囲の人の反応を「分かってはいた」、それでも。

ただ、何も言わない。何か「する」だけではなく、何も「しない」。いつも通り。そんな優しさがこの世界にはある。

彼のご家族は特殊な仕事をされていたから、もしかしなくても、彼自身がこういった仕事をしていなくても、同じような目線の向けられ方はしていたのかもしれない。そんな立場だから仕方ない、と押さえつけてしまいそうになる、有名税とも言われるであろう感情。

それをその部屋の中だけでも、あの4人は感じさせなかった。

彼をそんな風に支えてくれる、寄り添ってくれる仲間がいたことに、「よかった」と安心したのだ。私のようなただの人は、直接支えに行くことなんてできないから。

彼らの仕事は常に笑顔で愛想良くいなければならない。これまでにどれだけの感情を押し殺してきたのだろう…いや、どれだけのやりきれない感情を、抱え込むのではなく少しでも消化できるようにと、お互いに支えあっていたのだろう。そうやっていつも通りの姿を、私たちに見せてくれていた。


嵐、いいグループ過ぎる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、私は気が付いたら泣いていたのだった。

「騒げば騒ぐほど」。
そのタイトルと概要を聞いてから想像していたのは、もちろん彼ら5人のことだった。

しかしそれは彼ら自身が主語ではなかった。主語は外野だった。
外野が騒げば騒ぐほど、その仲間たちの温かさが鮮明になっていく。
どんな視線を向けられて、何を言われていようと、そんなの気にならないくらいに。


エッ



待って





が…

『外野の言葉はシカトする』じゃん!!?!!?!?!


ちょっとふざけとかないと話進みませんでした。涙で。

台風の目というのは雨も降らなければ風も弱く、その周囲の暴風雨に対してとても穏やかだ。

どれだけ周りが騒がしかろうと、その中心は常に穏やかな、温かい空間であったのだろう。
もちろん、彼ら自身の不断の努力によって。
まさしく、嵐の名前の通りではないか。

4人に、翔さんが伝えられていない「ありがとう」を、私からも伝えたい。

香水


ド~ルチェア~ンドガッバ~ナ~の話ではありません。
翔さんが友達に「これめっちゃモテるよ!」と勧められたという、香水。
チラっと見たレポで「とても大人の香り」と知ってはいたので「一体どんな香りが…?」とワックワクでかぎにいった。
スタッフさんが案内してくれなかったら、もしくはそういうものがあると知らずに行っていたら、まじで見過ごしそうなとこにこっそり置いてあったのもよかった。
理科の実験よろしく、かいでみる。


大人だった。

若輩には何とも例えられぬ、大人な香りだった。
ていうか気合入れた時の櫻井翔、この香りするんだ…


ヤバすぎ。(なにも伝わらない)

オトノハみくじ

大人の香りを食らった余韻でポケ~っとしながらも、おみくじを引いた。
15番でした。
何番まであんねん、全部欲しいわ、と思いつつ。

ちなみにタクシー運転手さんとの会話が載ってました。
言い間違い、かわいい。(オタク、推しの挙動かわいいで済ませがち)

グッズ売り場

グッズ解禁された時から「これだけは買う」と決めていた「このスットコドッコイ。」マグネット。ステッカーだと思ってましたすまん。
「とんだメルヘン野郎~」のやつも買いました。おもろすぎる。LINEスタンプだったとして使いどころがなさすぎる。

値段高いしよく分かってなかった言葉の箱。見本を見て内容を理解し、「買うしかないのでは?」になった。

あれ~?こんなに?という金額の会計を済ませました。
だってここでしか買えないんだもの。

未来の自分に手紙を書こう


若干、照れくささもあり、ふざけたような気もしますが。
今の私が1年後の私を救うと信じて、少し彼の文体を真似しつつ書き終えました。



さて、名残惜しいが、あとは写真撮影だけ。

ポストは一応、会場の外に設置されている。

ん?はがき持ったまま写真…?
見回しても、そんな人はいない。

アレ?先写真だった?

小生、回る順番をミスった模様。しかし全く問題なかったのでしれ~っと投函してからフォトブースへ。

みんな並んでる時からとても楽しそうにしていた。
いよいよ自分の番が来て、全力の「我こそは櫻井翔御大の横に立つに相応しい者」のムーブをがんばった。猫背直すくらいのものですが。

出来上がった写真を見て、10秒しかなかった割には満足…していたのだが、後から「こういうポーズにしたらよかった!!」という気持ちが湧いてきた。
こういうイベントにおいて、ネタバレを見てもいいやと思っているなら、尚更イメトレは、大事ですな。


ふう…


櫻井翔のオタクでよかった~~~!!!!!!!!!!!!!!

という余韻を胸に、会場を後にしたのだった。
予想してた時間より1時間も長く居た。



到着時、実は。


時間は遡り、入場時の事。
麻布十番駅から坂を上って、会場に辿り着く頃には少し汗をかいていた。

写真撮影可の待機中、翔さんの写真を撮ってると、スタッフのお兄さんのアナウンスが聞こえてきた。
「お手元に身分証明書、ファンクラブ枠でご当選の方は会員証をご用意のうえ~」


…会員証、忘れた。
マジで忘れた。
嵐のFC会員証。

万が一にも奇跡が起こらないかと鞄を漁るが、ない。
だって入れた記憶も、ない。
しっかりと、大事に、会員証フォルダに入れて、引き出しにしまってある。

汗が引っ込んでいった。代わりに冷や汗が出てきた。
一旦近くにいたお兄さんに事情を説明し、「とりあえず進んでください」と言われた。

 実際問題、会員証の提示を求められる現場はほとんどないし(あくまでもほとんど)、その付近で行ってたのがジュニアの現場(=物理的な会員証がない)ばかりだったのもある。

…しかし。言い訳をすな。

ええ、その通りでございます。
今回は会員ページを提示して身分証明書と一致してたので何とか入れた。
窓口でスタッフのお姉さんに「今度から忘れないでくださいね!」って笑顔で言われた。
デジチケの詳細に書いてあったのに…ごめんなさい。

ってか関ジャニ∞のライブの時も一回忘れてパニクってめっちゃ早く入場したよな私??あの時は結局確認されなかったけど


この…

このスットコドッコイ!!!

この推しにしてこの担当あり


櫻井翔音声生配信#3を聴いて

そう、この謎タイミングで4月のことを書いてるのは、音声生配信で言葉展の続編開催とも言える発表があったからである。リアタイで聴いててよかった。

私は翔さんの言葉のなにが好きなんだろうか、と改めて考える。

あの「どうも。僕です。櫻井翔です。」に始まる、本人の声で聞こえてきそうな語り口調。
少しチョケてしまう照れ隠し。
(根本陽キャのはずなのに私らみたいな口調で)時々入る心の声ツッコミ。
真面目な話をする時には特に、誰かが傷つくことがないように、誤解がないように、と考えに考え抜いて書いてくれているであろう文章の一つ一つ。

彼が紡ぐ言葉が、何度私を救ってくれたことか。


あと、声が好きなんです。
落ち着いた声が。豪快な笑い声が。
だからこそ言葉責めとかいう語彙はやばい。ちなみに細かいこと言うけど漢字変換「攻め」じゃないんだね?
だからアイドルで、歌っていてくれてよかったとも思う。「伝える」という事について色んな表現の手段があるということでもあるから。


1年後、というか約半年後には、私のもとに私から手紙が届く。
私が私に宛てた言葉が届く。
それまでに少しは、心穏やかに過ごせる世界になっていますように。私も翔さんも、その周りの皆さんも。
言葉の力を信じているから、祈りを込めて書き残しておきたい。



PS.

このブログを清書するにあたり、教典(※言葉展グッズのあの箱に入ってた本)をちょっと読み直したんですけど。翔さんの「伝える」という行為に対する矜持が書いてあって、知ることができてよかったと思った。↓に一部引用してるけどダメそうだったら教えてほしい。

「僕なんかじゃ、伝えられないことがたくさんあります。
僕なんかじゃ、届けられない方々がたくさんいらっしゃると思っています。
それは年々強く感じています。

でも
僕じゃないと、伝えられないことがある。
僕じゃないと、届けられない方々がいる。
(中略)
だから僕は、伝えていきたいと思います。

櫻井翔 ことばの箱 SHO SAKURAI:WORDS BOX FOR THE FUTURE 
p13 オトノハ2017/9/15 Vol.166 伝える
コメント原案 【伝える】 より


…ちょっと待ってくださいね。

先日人生最初の推しである嵐に感謝を捧げるブログを書いたのですが、これの初稿(※最初に書いた箇条書きメモ)から、他の部分と被るからのちに消した部分があります。
嵐と私が出会った意味について。
ひいては、アイドルがアイドルとしてなにかを発信する意味について。

「彼らが発してくれたからこそ届く言葉があり、
彼らが発してくれたからこそ届く人がいる。」


…初稿書いたのって、嵐20周年の年なんです。教典が世に出るより先なんです(信じてくれなくてもいいんですけど、ほんまに)。

運命じゃん?????


え~~~もう推しの考えが魂に刻まれてるじゃん~~~~~???????

だって私はこのオトノハを、投稿された当時、残念ながら読めていない。
この言葉展がなかったら、彼がこういう考えで報道の場にいることを、「伝える」という仕事に携わっていることを、知らなかった。

翔さんへ 
あなたの言いたいこと、考え、どんな思いでいるか、ちゃんと伝わってるよ。
また言葉展をやることにしてくれてありがとう。
自分のファンに一番に伝えてくれてありがとう。
「伝える」ということを大事にしてくれてありがとう。

ファンは勝手に、一方的に、アイドルの言葉を信じているだけ。
でもそれは、その人の言葉を信じたいと思わせるだけの人柄があってのこと。
だからこそそんな人で居続けていてくれることを、尊敬しています。
彼の「My life is my message」という言葉に嘘はない。


ということで。おしまい。





さてXにブログを共有…しようとしたところ。

衝撃の事実が目に飛び込んでまいりました。

おしまい、撤回させていただきます。


今日(10月22日)、入所日なん!??!


すいません今となっては事務所の推したくさんいるオタクだけど、入所日までは誰のも覚えてないタイプなんです。

”アイドル 櫻井翔”さんの誕生日じゃありませんか。

おめでとうございます。
そして重ね重ね、アイドルでいてくれて、伝える事を続けてくれて、ありがとうございます。
これからもご活躍をお祈り申し上げます。

今度こそ本当に、このブログはおわりでございます。
お読みいただきありがとうございました。

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