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嵐と私

 「嵐?あ〜ジャニーズのね?イヤそんな詳しく知らないけど、あの曲は知ってるよ…ドラマ観てたからさ」「てかなんか仲良さそうだよね。…この5人だったら?私は…」

 そうやってオタクではない人々にも「共通言語」としてグループ名が使われる、子どもから大人まで広い世代から支持される、国民的アイドルグループ、嵐。現在20代の私は御多分に洩れず、嵐がいる生活を送ってきた。

 私が嵐を追い始めたのは、10周年を迎えたすぐ後くらいだった。当時の私は小学生。その時点で既に、5人のうち誰かしらをテレビで見ない日はないというくらい、大きなグループだった。これだけ聞けば時代の波に飲み込まれるようにしてハマったミーハーとしか思われないであろうタイミングだ。

 知った時期が同じであろうと、「嵐と私」というテーマで語ろうとした時、一つとして同じものはないはずだ。それぞれに出会いの経緯があって、思い出があると思う。
 私にとってはいくら語っても語り尽くせないほどたくさんの思い出があって、嵐にはとにかく感謝している。
 だから私にとっての、「嵐と私」の話をしてみようと思う。嵐というアイドルに支えられた人間が、ここに存在していた記録を残すために。


というわけで過去の記憶を掘り起こして書いている沼落ちブログ(今回それだけじゃなくなったけど)(早速タイトルがシリーズ化できてないけど)、嵐編です。
先に言っておきますが
・めちゃくちゃ長いです。1万文字は超えている。
・一瞬、出戻りしたくだりがあります。
・年齢的に仕方ないのですが活動歴の半分程度しか追えてないいわゆる「永遠の新規」というやつがなんか語ってるだけです。
・読み返しは何度かしたけど最後、アイドルとはみたいな話もしたくて書き足したから何か破綻しているかもしれない。

 嵐を語るということ、それは私にとって、自分自身の人生を語るということに他ならないのではないかと思う。何しろ出会ってから10年以上の付き合いになるし、人生において嵐がいたから起きたことが数えきれないほどあるからだ。

嵐。

 それは人生で初めて、あれだけの期間とあれだけの熱量で、熱狂したものだ。嵐にハマる以前の記憶があまりないくらい、学生時代の記憶の大半は嵐で埋め尽くされている。

 私という人間をここまでに連れてきてくれたのは、嵐だ。好きになったことで巡り巡っていろいろな宝物を授けてくれたのは、嵐だ。大袈裟かもしれないが、私はそうだと思っている。


 元々子どもの頃の私は、友達を積極的に作ろうとするような人間ではなかった。話す子は学年に一人か二人いればいいと思っていた(本当に)。人間不信になるきっかけ等は特にない。驚くなかれシンプルに「人と話すこと」に価値を感じなかったからである。多分、周りにいる人間に興味がなかった。それに一人で絵を描いてたって本を読んでたって楽しかった。そこに時間を割こうという気持ちが起こらなかっただけのことだから安心してほしい(?)。

 けれどそんな私が嵐を知って、嵐の話がしたかったから「誰かと話したい」という感情を持った。その前なら話しかけるなんて考えられなかったような人―いわゆるスクールカースト上位の(※中でも嵐が好きと言ってる)人―にも、話しかけることができた。そもそも自分から他人に話しかけるということをしなかった私が、その勇気を持てたのは嵐のおかげだ。もちろん共通の話題は嵐のことしかなく、そもそも会話が下手すぎてその時の会話は全く続かなかったし、特別仲良くもならなかったのだが。
「人と会話をすることの楽しさ」を教えてくれたのは、きっと嵐だった。


 嵐を知って、日常的に彼らのを聴くようになった。これっぽっちも興味のなかった音楽に、興味をもった。教育番組の曲は覚えているがあくまで「毎日聴いてたら覚えてしまった」「知識として感」がある私に、文字通り音楽の楽しさを教えてくれた(余談だがいまだに山手線の歌は歌える)。合唱をやっていてピアノを持っている祖母に、どちらかだけでも習わないかと言われるような環境があってもなお、全く首を縦に振らなかった私に、である。
 ピアノで嵐の曲を弾けるようになりたいと思って、楽譜を買ったことすらある。ギターも、弾けたらかっこいいなと思った。結局どちらも弾けるようにはなっていないのだが(なんなん)。
 自分はレパートリーもないし音痴だから行きたいという感情すら湧いたことのなかった学生定番の遊び場カラオケに、「行きたい」と思うようになった。ヘタクソかもしれないけど、いやヘタとか考える前に「嵐の曲を歌いたい」と思った
 おかげで、3拍子とか4拍子とかいった「リズム」という概念をなんとなく理解した。裏拍とかいうのまで分かるようになった。嵐の曲を聴いていなかったら、習得に倍の時間がかかった自信がある。

 それと嵐を通して、ダンスというか、運動というか、体を動かすことに抵抗がなくなった。運動は漠然と「自分には出来ない」と思って避けていたのかもしれない。もっと言えば「自分には”あの上手な子たちみたいには”できない(のを見られるのは恥ずかしいからやらない)」とも言えるかもしれない。
 どうしても、試合の場面では結果が求められるから。そこで自分は貢献できないから。個人競技だって成績をつけるために、出来を比べられるから。
 かといって、時間を割いて、誰かに積極的に教えてもらうこともなかった。出来ない自分を直視することになるのは惨めだから。部活に入るのだって、入る時点である程度できないといけないと思っていたから。だから、やらなかった。
 しかし運動神経なんてのは「経験があるかないか」にかなり左右されるものであり、「やってみなければ分からない」のだと知る。実際やってみると、一部だがなんとか形になる競技もあるのだと気付けた。

 何より嵐の曲の振付を覚えて一緒に踊りたいと思うようになり、不格好ながらもやっていくうちに、「音に合わせて体を動かすのって、もしかして、楽しいかも?」と思うようになり、「嵐のバックにつきたい!」という気持ちが芽生え(?)、ジャニーズジュニアに転生することを志し(現世では無理だと悟った結果、「来世でなりたい姿」の設定資料があるのでそれについてもまたいつか書けたら)、大学ではダンスをするサークルに入った程度である。嵐にハマる前の自分を考えたら、我ながら革命だ。ちょっと熱意がいきすぎた感も否めないが。


 …言っておきたいのだが別に、音楽や体育を全人類に好きになれと言いたいわけではない。ドルオタだからって全員が全員、両方好きなわけもない。ただ「苦手だなあ、イヤだなあ」と思いながらやる事は少しでも少ない方が生きやすいと思うだけで、そのきっかけがポジティブであればもっと良いだろうなと思うだけである。
 推しの曲を聴き、ペンライトを振ってただ楽しんでいたら、気が付いたら和解を諦めていたものをほんの少しずつでも好きになっていたなんて、そんなお得なことがあるだろうか。

 私の中に「自分は他人にどう見られているか」という意識が生まれたのもこの頃だったのかもしれない。と同時に、カラオケでも、ダンスでも、他人から見て下手だろうと「やってみたいならやってみればいいじゃない」と思えたのもこの頃だったと思う。相反しているようだがいつか持つことになるであろうこの意識、どちらもこの時に持てて良かったと思っている。


 何より私が嵐に感じたのは、「和やかさ」だった。
 簡単に言えば嵐というグループを表現するのによく使われる、「仲の良さ」みたいなもの。もちろん初めから言語化できていたわけではない。ただ嵐の持つ、その穏やかな雰囲気が、「なんか、いいなあ」と思ったのだ。

 ギスギスした感じも急かすようなかんじもなく、5人とも使う言葉に棘がない。私は「言葉は他人を傷つけないように大事に使うこと」に重きを置いて生きているので、それは大事な要素だった。(今はこうして言語化できているものの、当時は「俗にいうチクチク言葉がない空間、いいな~」くらい、かなり漠然としていた。子どもなのに「子どもらしい子ども」の配慮なんぞ知ったこっちゃないみたいな言葉遣いが苦手だった。)

 あるいはメンバー間に「多様性の尊重」を感じたともいえるかもしれない。誰かに窮屈な思いをさせることはせず、尊重しあっている。「どんなタイプの人間も除け者にされない空間」「自分と違う人を受け入れる力がすごい」というのが幼い私にとっても尊くて、心地よかったのだろう。

 各人のキャラクターを考えたら、学生時代に同じクラスにいたとてこの5人でこんなに仲良さげに生活しているとはおそらく思えない。
 せっかちな人もいればのんびりしている人もいる。几帳面さを人一倍持ってる人もいれば、それに対して「そこまでやる?」と引く人もいる。得意なことも、プライベートの過ごし方だって、聴いてる限り全然違う。

 そんな人たちがステージの上で、ライブという一つの「作品」を完成させるにあたり、考え方の違いも乗り越えて、団結して成し遂げている。バラエティ番組のような場面でも、ボケたりツッコんだりと、フォローしあって、観ているこちらを楽しませようとしてくれている。時に周りの事などそっちのけの勢いで、楽しそうに喋っている。
 似たところのある人としか仲良くなれない私にとってはそれが不思議でもあり、羨ましくもあった。

 元々、自主的に他人と関わらなかった。でももしかしたら、「この人は”違う”から」「関わったところで何が生まれるの?」と始めから関わることを諦めるのではなくて、(気が向いたら)関わってみてもいいかもしれない。

 私も嵐のメンバー同士の関係までいかなくても、私を必要としてくれる人、いや、いないよりはいてくれたらいいと思ってくれる人がいるかもしれない。

 私も人との関わりの中に、この社会という空間に、まだ見ぬ居場所があるかもしれない。

それってもしかしたら、楽しいことなのかもしれない。

そう思えるようになったのが、大きな変化だった。



 嵐にハマってすぐの私は、当時で最新(だったはずの)5×10のライブDVDをずっと見ていた。それだけを数か月間、時間さえあれば見ていた。セトリ順を覚えるくらい見た。MCの内容はもちろん口調まで昔のホットペッパーのCMばりにマネてアフレコできるくらい見た。今もやれと言われれば多分出来るシーンはある。おつり2円足りない二宮さんとか、3人でシャワー浴びたってもはや浴びれてないよね翔さん?なくだりとか。なぜそんなに狂ったように1つだけを見ていたのかは今や謎だ。
 その後「もっと昔のDVDがあるのでは?観てみたい!」とやっと気づいた私は、母の財力も借りてより深い沼にハマっていくのだった。

そう、

 このという人物こそ、私が嵐にハマるきっかけをつくった張本人である。それも御多分に洩れず、あの嵐本人たちもヒットのきっかけと認める国民的大ヒットドラマ、「花男」だ。道明寺司というキャラクターを演じた松本潤。その人に、母は見事に引っかかった。

 当時の母は私よりさらに小さい弟もいて残念ながらリアタイ放送時間に観れるような生活ではなく、夕方の再放送を観ていた。同時にそのタイミングは、私の帰宅時間でもあった。家に帰ると必ず母が観ているドラマでやたら気が強そうな黒くねくね髪の男の人、道明寺。演じている「まつじゅん」はどうやら人気者らしい。

ふーん…

 そうやって、それまで芸能人というものに、役者の「中の人」に、一切興味のなかった娘の私も乗っかって、何故か「まつじゅん」が出ている歌番組やバラエティ番組を見始め、気が付くと彼の所属するグループである「嵐」に親子そろってハマっていたのだ。

 ちなみにどれくらい芸能人に興味がなかったかというと、
・好きなドラマに出てる俳優さん、女優さんの顔はなんとなくわかる。長瀬智也とか。(既にジャニオタの土台を感じる)でも髪型変えられると全然わかんない。
嵐の初期の認識
・大野さん:金髪の前髪あげてる人
・相葉ちゃん:明るい髪色で前髪がある人
・松潤:花男の人。黒髪で前髪あげてる人
・櫻井さんと二宮さん:黒髪で前髪がある人、2人の区別つかない。
…という、顔を見分けられないため髪型のみでの認識。しかもなんと後に殿堂入り自担となる櫻井翔を、ニノと識別できないレベルである。自分に直接かかわらない人間の見分けに引くほど関心がなかったのだ、というか周りの人間についても危うかった。今思うとなかなか…である。

 振り返れば、母は嵐を追いかけ始める前よりも、明らかに今のほうが(10は歳をとったのに)生き生きしているし、今や他グループも一緒に推しており、遠征すら一緒に行ってくれる。当時まだ小さかった私と弟の育児疲れはもちろんあっただろうけど、手がかからなくなってきてからパートを始めて、推し活資金も稼いで(※働いてるほうがいいという自分の意志で)、明らかに今のほうが健康的だ。


 当時、私の嵐に対しての熱量は、それはそれはすごかった。お金はもちろんほとんど使えなかったけれど、テレビが毎週楽しみでしょうがなかったし、少しずつ増えていく円盤を見るのに必死だったし、クラスの友達と学校への行き帰りも休み時間も嵐の話で盛り上がっていたし、非オタの友達にも語ってたし(ごめん)、授業中も頭の片隅で嵐が歌っているし(集中せえ)、ノートに歌詞とか多分書いてたし(学生オタクやりがち)、高校生でTwitterをこっそり始めた時には顔も知らない仲間ともより交流できるようになって、インターネット上で情報も追っかけられて、とにかく加速する一方だった。そのころ仲良くなったフォロワーのことはとても記憶に残っている。アカウント消して去られたのですが、ご機嫌いかがですか、元気にしてますか?私はまだ名前もアカウントも変えずにここにいます。


 初めてライブが当たった時は悲鳴上げて喜んだし(自宅なので許してほしい)、当たらなくて不貞腐れててもあっという間に何かしら供給はあるし、新曲解禁日が台風で休校になった日はめちゃくちゃ喜んだし、本屋で雑誌を厳選して買ってたし(この時買ったポポロは家宝)、休みの日に友人と渋谷のジャニショまで行ったのは中学生にとっては冒険のようでワクワクした。初めてライブ会場で観た嵐は国立の2階からで、遠くて超小さかったけど、それでもやっと画面の向こうでなく、ライブで嵐に会えたことがとにかく嬉しかった。
「なんかもうアンタ、嵐のことしか考えてないね?てか楽しそうね?昔の本しか友達いない様なアンタはどこ行きました?」って具合に生きていた。
同時に、「自分って、こんなに一個のものに情熱を注げるんだ…!?!」と驚いた。自分のことなのに。(熱血!情熱!根性!友情!努力!勝利!みたいなものに無縁の性格してるもんで…)

(小学6年生の時の担任へ
なんか私のその後の人生を心配されてたようですが、なんやかんやで元気にオタクやって生きてます。安心してください。人とも多少は関わって必要最低限は喋るようになりました。心配してたの社交性の部分だけじゃなかったら教えてください。
私より)

 今は無料で閲覧できるSNSも解禁され、お金も自由になるけれど、あの時の高揚感は今後何者も越えられないだろうと思っている。

 そんな、熱意をもって一心不乱に追い続けてきた嵐から、私は一時期気持ちが離れたことがある。大前提としてこの時のことを決して嵐のせいにはしたくない、勝手に私の気持ちが変わっただけである。
 私は自分がそれまであんなに長い間一途だったものに対する自分の冷め方が、自分のことなのに怖かった。あれほど熱狂したのもそこから冷めたのも初めてのことで、ただただ戸惑った。
 この一件で私は、「この世界には絶対も永遠もない」ということを身をもって実感してしまった。
 その後ハマったグループにも色々あって「絶対も永遠もない」、ということはその度に思い知らされるのだけれど、あれ以上の強さで実感を持ったことは正直に言って、なかった。
 自分じゃない他人の決断や行動ならば、自分には何も出来ない。言うなれば「去る者追わず」、諦めて受け入れるしかないというのが持論だ。やはり自分自身が証明してしまったという衝撃には替えられなかった。「絶対も永遠もない」ということを。

 そして、何よりもその数年後、私がかつて「絶対で永遠」だと思っていた嵐は、その本人側から、「絶対も永遠もない」ことを突き付けてきたのである。

 「絶対も永遠もない」からこそ他に出会えたこと、ものはたくさんある。けれどどうしたって、自分が熱をあげて好きなものにはそうあってほしいと願ってしまうことがあるのも事実だし、根拠もなくそう信じてしまう時もある。
 出戻ったすぐ後に休止をしてしまうのに、なぜ少しの間でも離れてしまったのだろう、何故追い続けなかったのだろうと思わずにはいられなかった。でもこの時のことを私は、大事にしたいと思うものがあるうちは、絶対で永遠のものなどないのだから、その時できる方法でただただ大事にしていくしかないのだと学ぶための期間だったと捉えることにしている。そうでないと、自分のことを受け入れられなかった。

 私の気持ちが離れていた時期、というのは高校3年生の初めから大学1年の冬までの間である。受験だけがきっかけではないのだが、とにかくそれまでと同じ熱量を嵐に注げなくなってしまった時期だった。テレビも観れる時しか観なかった。この期間中にFCの更新のタイミングがあったのだが、放棄するくらいだった。
 私はこのまま勉強だけに打ち込む受験生になって、オタクも卒業してしまうのかな。大学も違ったら、家の遠いオタク友達とはもう遊ばないのかな。ちょっと寂しいな。と漠然と考えていた。

 じゃあなんで今も応援し続けているスタンスで、全くオタクを卒業した様子もなくむしろ加速した状態でこんなブログを書けているかというと、ちゃんと更新していた母の名義で「untitled」というツアーに参戦することができたからである。

もっと言えばそのツアーの本編の最後の曲が、

「未完」

だったからである。


 ライブの最後の曲は大体、バラード系でしんみりさせると相場が決まっている。けれど、知っている人は分かると思うが、「未完」はどう考えてもしんみりソングではない。
少なくとも、普通にアルバムを聴いて凡人がセトリを組んだら本編の最後に持ってくるような曲ではない


しかし。嵐はそれを選択した。

 「未完」というタイトルの字面だけでも「嵐はまだ完成していない」ということは伝わる(だろうか)。

 曲を聴けばもっと理解できることだが、これだけの数多の活動をしてきてもなお、まだ続けていく意思があるということ。
 年齢とか歴とか考えて落ち着くつもりも胡坐かくつもりもなくて、まだ前を見て進むぞ、という決意表明。

まだ私たちの前に立ってその姿を見せてくれるということ。

嵐の物語は完結していない。
またきっとこんなふうに、予想を裏切って、ワクワクするものを見せてくれるんだ。

何よりそのライブの時間が、一瞬に感じるほど楽しかった。
しかも最後の曲、演出がこれって。
とんでもないエンターテイナーじゃん、と。

私、やっぱこの人たちが好きなんだ、と思った。

 ライブが終わって速攻、FCに入り直した。会員番号は、私が最初に入った頃の倍くらいになっていた。いや、あの桁数で倍て(今そこから更に100万人くらい増えてるけど。3倍やん)。何で最初の番号手放しちゃったかなあ…嵐フェス当てた名義…と思わない訳はなかったが、惰性で続けてたよりマシだと言い聞かせるしかなかった。


だってさあ…一個前の曲が、10分越えの嵐の軌跡を語った歌、Song for you だよ?ええ感じの曲をバックに全員一言ずつ挨拶もしてるよ??光、5人のもとに収束していったよ???会場暗いよ????
本編もうここで終わりだなあ(しみじみ)って多くの人が絶対思うじゃん?????




トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥン(デレレデレレデレレデレレデレレ)
(※↑「未完」のイントロ)
わたし(というかおたくたち)「うおヱァ?!!!!!!!!!!!!?????????!!!!?!???!」


ここで「未完」やるんけ!!??!!?!!!???????!?!?!!!?!?!!


ってならんかった??私はなった。


しかもラスサビで特効爆発!!!!!!!!!!!!景気がいいねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

しかもイントロ増やしてこの展開を受け入れる時間もつくってくれてよ…天才やん…(あれ衣装チェンジタイムだよというマジレス)
よかったら観て。概要欄にタイムスタンプあるから。
「未完」のイントロにちゃんとオタクの歓声、入ってるから。


ちょっと話が逸れましたね。次、話変わります。




 2019年の終わり、Netflixで、嵐のドキュメンタリーの配信が始まった。
 
 トップがトップをひた走るのには、きっとそれなりの犠牲が伴っていると、子どもながらに何となくは分かっていた。でも、「嵐は基本多数決だけど、誰か一人でも納得していないことはやらない」。ということは、今までのどんな過酷なお仕事も、トンチキなお仕事も、嫌々やってる人は一人もいなかったってことだと信じていた。
 …と信じてはいたがやはり、「本当に?」と思ってしまったことがあるのは否めない。そこにやってきたドキュメンタリー。知ることができるかもしれないのに、知りたくない気持ちがあった。Voyageを見た人が次々「しんどい」と言っていて、「観なければ」と思うのに、観るのが怖かった。

 実際、松潤の疲労が見えてしまった。一般的な仕事ならブラックとしか言えないような時間、彼がコンサートについて考え続けている、つまり仕事をしている姿を。櫻井くんのピアノの練習中の苛立ちを見てしまった。机を叩いて怒鳴ったことがある、という発言までも。
 きっと語っている側も苦しかった。観ているほうも苦しかった。生々しかった。そしてやっと、実感を持って気付かされた。

 私の日々を彩ってくれていた楽しみは、こういった普通の人間ならば経験しないような規模で、平穏を犠牲にした生活の上に成り立っていたのだと。

 けれどそれが仕事だからと言われればそれまで…と言い切るのは憚られるが、その側面もある。だからこそこんな苦労を隠して、常に愛想よく笑顔でいることを求められる仕事を20年も続けてくれていることに、本当に感謝しなければならない。そう思った。
 テレビ、ラジオのレギュラー番組、雑誌の連載、コンサートの準備、ドラマや映画の俳優業、新曲のレコーディング、新しい振付を覚える、人との付き合い…想像でしか話せない私がパッと思いつくものですら多岐にわたっている。

 20年って、長い。一人の人間が生まれて成人するまでだ。どれだけ長い時間を、嵐として過ごしてきたのか。
 その前のジュニア時代から、一体どれだけの時間をアイドルとして、自分のためだけでなく「誰かのため」に時間を費やしてきたのか。


 あの発表があってから、あの会見があってから、いろんな曲の歌詞を彼らに重ねてしまい、迂闊に聞けなくなってしまった。「きっと大丈夫」とかヤバかった。
 「その日」が来たら、年を越したら、本当に聴けなくなってしまうのではないかと思って、彼らが残してくれたこの時間が終わる前に聴きたいのに、聴けなかった。


  私はありがたいことに、ドームで50公演という信じられないスケールの例のツアー、5×20にも行くことができた。しかも、50公演中の49公演目。 
 2019年12月24日、この日のライブも、最高だった。
 そして現状、私が最後に5人の嵐を生で見た日だ。

 誰を責めることもできない理由で、集大成として活動休止前に予定していたことが次々とできなくなって、誰よりも悔しかったのは嵐本人のはずだ。
 それでも彼らは配信やSNS、音楽番組を通して、笑顔を届けてくれた。嵐はやっぱり最高のグループだと思った。こっちが昔の曲を聴いてメソメソしてる場合じゃなくなるくらい、新曲とか、配信とか、手を尽くしてくれてたなあ…


 私が知らなかった時も、私が必死に追っていた時も、私が勝手に離れていった間も、私がノコノコと戻ってきた時も、ずっと嵐は嵐をやっていた。
立ち止まらずに、その形を守り続けていた。
それは並大抵の覚悟ではできないことだと思う。


 飽きる暇なんてない程、アンチなんているにしたって気にしてる暇なんてない程、不遇の時代の悲壮感なんて微塵も感じさせない程、輝く姿をあんなに見せてくれていたことは、あたりまえなんかじゃないということが、やっと身に沁みて分かった。



 では彼らがそんな苦境を乗り越えて、嵐で居続けてくれたこと、私と出会ってくれたことに意味を持たせるとしたら。


 アイドルは、輝いて見える面、楽しそうな面を見せる仕事が主だと思う人が多いだろう。それを見てただ楽しむ、それも娯楽の一つとして大事なことだ。

 だけどそれだけがアイドルのすべてじゃない。

 嵐を好きになってからというもの、気持ちの面で支えられることが本当に多かった。

 思うようにいかないことがあって気持ちが落ち込んでも、曲を聴いたり、番組を観たりしているうちに、切り替えさせてくれた。

 ライブのため、この番組のために頑張ろう、という形で目標を持たせてくれた。

 そういう大きいものに限らず、例えばロッカーの番号とか会計金額とか、普通ならただの羅列にすぎない数字を見る時にさえ、気が付くと彼らにまつわる意味をこじつけていて、日常のささいな時間を幸せな気分にしてくれた。

 アイドルがそういう力を持っているのは、きっとみんな共通している。


そして、ファンとして応援していて気付いたこと。
彼らアイドルは人間である。
私たちファン同様、生きて、日々の生活を営んでいる。
誰だって生きていれば、色んなことがある。
頑張ったのに上手くいかないこともある。
自分だけじゃ解決できないことにぶつかる。
人間の力じゃどうにもならない禍(わざわい)も、タイミングを選ばず起こる。
一体どうしたらいいのかと途方に暮れる、そんな時。


彼らが発してくれたからこそ受け取れた言葉があった。

私にとっては人生の先を行く者で、その道に在るあらゆる事に立ち向かい、乗り越え、公の場に立ち続ける彼らが言うからこそ信じられる言葉があった。「彼ら」が同じ時代に生きている、リアルタイムで同じ時間を過ごしている人間だからこそ、心に響くものがあった。

それは、歌に乗せて。表情で。役のセリフとして。取材の答えとして。彼自身の生きていく姿勢で。ステージに立つ姿そのもので。

親でも、兄弟でも、友達でも、先生でもない、「ファンとアイドル」という距離感だったからこそ素直に受け取れた言葉たちがある。

自分は一人しかいなくて、人生は一回しかなくて、戻ることもできない。
なのに自分を完全に理解してくれる他人なんていないし、いつも隣に居て正解を教えてくれる人もいない。
近しいからこそ言えなかったり、聴く方も反発してしまったりして、届かない言葉がある。

ではアイドルは?


アイドルは、直接会話をしたこともなければ、顔見知りですらない。
極論を言えば、私がどんなに嵐を好きでいようが、嵐は私という人間を、きっと一生知ることもない。

そう、アイドルは私の直面している問題を一緒に解決してくれるわけじゃない。どんなに気持ちの面で寄りかかって頼りにしていたって、自分の問題に立ち向かわなければならないのは結局自分だ。

それがアイドルとファンの関係だけど。
自分の力だけでは気付けなかった、大事な言葉を届けてくれた。
自分ひとりじゃ絶対にやらないようなことを行動に移す、勇気をくれた。
自分の中にあったはずなのに見失っていたものに、もう一度出合わせてくれた。
そうして自分でも知らなかった自分に出会い、世界を広げてくれた。

「ああすればよかったかな」「こうしていたら…」と一切後悔しないのは無理だけど、「あの時、あの選択もあったけど、私はこれを選んだんだ」と思えるように、選択肢をくれた。決断する時、知らなかったのと選ばなかったのでは大きく違うから。

私の事を全く知らないからこそ、私にはなかった価値観を、考え方を、分け隔てなく与えてくれた。
私の生い立ちも性格も全く知らないからこそ、「応援しているよ」「俺らがいるよ」「きっとできるよ」と良い意味で無責任に、励ましてくれた。

その言葉を私が勝手に「この人が言うなら信じてみようかな」と思い、行動させるだけの、魅力があった。

だから私はここまで生きてこられたと思っている。

それこそが、私が嵐と出会った意味だと思う。

私は、嵐との思い出を大事に抱えて、これからも生きていく。

嵐さん、24周年おめでとうございます。くどくもなるけど、大きな感謝を。



PS.
このブログは「嵐というアイドルに支えられた人間が確かに存在していた証拠を残したい!」と嵐が20周年の頃に思い立ち、書き始めたメモを元にしたものです。書き出し何年前やねん。そして2023年、9月15日を迎えるにあたり読み返して加筆修正しています。上げたかった日めっちゃ過ぎたけど。そして加筆しすぎて1万文字オーバー。自分以外誰が読むんや。

で、何で今あげたのかって話ですが。

今がいいと思ったから。
そして今しか、もうないと思ったから。
私と嵐との思い出を語るのに、どうしたって切り離せないものを、そのままの名前で呼べる時間がもう、終わろうとしているから。
嵐に出会えたことへの感謝は同時に、彼らが属し、愛した場所への感謝を含むと思うから。


 今、正直言って何が正しいのか、大好きな人が辛い思いをしている時に何をするのが正解なのか、分からなくなってる人へ。
 私が一つだけ見失わないようにと意識していることは、彼らを応援 してきた/している 事を悪いことのように言う人が例えいたとしても、私たちが彼らと共に過ごした時間が輝いているという事実は嘘ではないし、恥じることでもないということです。

 個人的な考えにはなりますが、嵐というグループが仮にこの世界になかったとしても、元々オタク気質を持っていた私だから、きっと何かのオタクとしてそれなりに生きていたのだろうと思います。他の何かから同じ様に楽しみをもらって、なんだかんだ生きていたのだろうと思います。

でもあの時ハマったのが嵐でよかったと、今の私は思います。
嵐以外の何かが私の中でそのポジションにいたとして、それはきっと今とは全く違う私だから。
嵐と出会えた「今のこの人生」を、取り消したいとは少しも思わないから。

嵐に出会わなかったら、私がここに書いてきたこと全てがなかったことになる。嵐を通じて出会った人、受け入れられたもの、好きになれたもの、生まれた感情、できた体験、書ききれないくらい頭に浮かぶ大切なその全てが、なかったことになる。そんなの考えられない。

私は嵐と出会えたことで、いまのところ後悔のない人生を歩めていることに、感謝しています。
ハッキリ言って現状、神様でもない私が(正しい、ではなく)信じていると言えるのは、それだけです。
自分以外の誰かが言っている事が、正しいかどうかは他人には分からない。今となってはもはや自分の感情すらよくわからない、と言う人もいるでしょう。
大好きな人が、本人のせいではないことで、苦しい気持ちでいる。いつになったら全開の笑顔で会えるのか分からない。でも、良くないことは良くないとも理解はしている。それだけでも不安定で、悲しいのに。

自分にとって大切な人との、大事な思い出さえ他人に奪われるようなことがあってはいけない。
思い出に影が差すような何かがあったとして、大事に抱えていくのか今は仕舞っておくのか、極論、手放してしまうのかはその人次第。
ここは彼らも一緒じゃないでしょうか。「ともに過ごした時間」、それだけは自分のもの。誰にも奪えないし、否定されていいものじゃない。

今は考えていると辛いなら、一旦、仕舞っておいてもいいと思います。「あんなに好きだったのに、今は考えると辛い」、その気持ちも分かるから。その不安定な気持ちから何かを攻撃してしまうくらいなら、今は仕舞っておいた方がいい。
どちらにせよその人の気持ちを「正しいかどうか」ジャッジする権利は誰にもないと思います。

どうか、必要のない悪意にさらされる人がこれ以上増えませんように。
これを読んでくださったあなたが心穏やかに過ごせますように。
私を支えてくれた「貴方たち」が、幸せでいられますように。
















ってさ、

穏やかに終わりたかったよ私だって。(「未完」のくだりはちょっとハイテンションオタク出すぎたけど。)

この後は取り留めもない箇条書きです。読まなくて大丈夫です。既に読んでいただき1992*4##111(auの携帯読み)の気持ちです。



・今の情勢ほんまに、「何か違うと思わないかい?」
続きは脳内再生でどうぞ。


・「あ〜書き出し?イヤ何かを参考にした訳じゃないっすね。」「たかがジャニオタが書くブログっつーのもね…」
(↑音声じゃないので口調を伝えるのが難しいけど、伝わる人には伝わるかしら。)









・(こじつけで他人様の書いた歌詞を引用する行為に愛はあるんか?まさしく「愛はどこにある?」って話よ。マジで。)←昨今の一連の流れの中で、直後には出せなかったけどマジでコレ言いたかった。あの人たちどこいったんだろう?私は永遠に引きずるタイプなので。

やっと、おわりです。ここまで読んでくださった方がいるとしたら、本当に感謝カンゲキ雨嵐です。

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