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古川緑波昭和日記

戦前の喜劇王、古川緑波(ふるかわ ろっぱ)さんの日記です。昭和の喜劇王といえば、榎本健一(エノケン)さんが有名ですが、戦前は断然古川緑波さんが人気を博していたのです。(以下ロッパさんと記す)ロッパさんはもともとは編集者でした。早稲田大学まで学んだエリート。子爵の家柄です。そんなロッパさんの日記はどんな感じでしょう。まだ読んでいる途中ですが、感想を交えて綴ってみたいと思います。

朝ごはんにこだわるロッパさん

朝は味噌汁と焼き魚と決めているロッパさん。しかも東京のお味噌汁(合わせみそか?)が大好きで仕方がないご様子。
ある地方巡業の時、お味噌汁が口に合わず、不機嫌になってしまいます。
その状態を「クサる」と称しています。
そして、その解決策として、巡業先に東京のお味噌を持ち込んでいました。(実際は送ってもらっていたのでしょうけれど)
うまい、うまいで三回お代わりをしたのを嬉々として綴っています。
今でこそお取り寄せは気軽にしていますが、昭和10年代の日本の事情を考えると、かなりの贅沢だったと思われます。

ベッドが嫌いだったロッパさん

ロッパさんは脚本家、エッセイストでもありました。
その原稿を書くスタイルは、敷布団に腹ばいになって書く格好です。
一見お腹が苦しそうではありますが、ロッパさんにはちょうど良かったようです。
ホテルのベッドの部屋になったときは、わざわざ床に布団を延べて、腹ばいの姿勢で原稿50枚くらいを綴っていたのです。
そこでタバコを咥えつつ・・・今ではちょっと考えづらいですねw

乗らないと手を抜くロッパさん

今の役者さんではこういうタイプはいないと思いたいのですが・・・。
大道具さんの態度が悪いとカスを食わす(叱るという事か)
指揮者の仕切りが悪いと叱り、
共演者がミスをすると叱り、
なのに、自分はセリフが覚えられていない。
脚本が悪いとクサり、
「適当に流す」と平然と日記には記されています。
まあ、なんというか、自分中心な方ですねぇ~。
面倒な方です。
はっきり言ってお友達になりたくないかもw

夕食は優雅に洋食を

朝は和食党のロッパさん。
しかし、夜は徹底的に洋食です。
昭和10年代の日本は、そろそろ贅沢禁止の風潮が強くなってきていたはず。
そんな中でも食道楽発揮!
エスカロップ、シャンピニオンステーキ、ロブスターなどなど。
今の私たちでもなかなかお目にかかれない高級なお食事を楽しんでいました。
そうなると気になるのが・・・糖尿病。
しっかりロッパさん、患っていました。病院でドクターに注意されること多々だったようです。

子煩悩なロッパさん

ロッパさんはお子さんとよく遊んでいました。
地方巡業では、必ずお子さんへのおもちゃをお土産にしていたようです。
そして、「子供に遊んでもらっている」と日記に記しています。
お子さんの発した言葉も日記にしばしば日記に出てきます。

給料日が怖いロッパさん

ふつうは、給料日はうれしいですよね。
しかし、ロッパさんは違いました。
ツケや、チップで借金が多かったようです。
なので、今では考えられませんが、事務所に借金取りが列をなしていたようです。
これでは、稼がざるを得ませんね。
稼いでも、お金は借金取りに取られて、スッカスカ。
でも、悲壮感はありません。
今日も今日とて楽しくグルメな夕食を取っています。

自分大好きロッパさん

日記には、エノケンさん、エンタツさん、アチャコさん、曾我廼家五郎さんといった大物喜劇俳優さんが出てきます。
でも、彼らを褒めた文章はほとんどありません。
自分を褒めている文章は結構出てきます。
日記だからなのかなあ・・・。
王様のようなロッパさん。
扱いづらい方だから、みなさまが大変気を使っているのは想像に難くありません。周囲の方たちも大変だったでしょうね。

まとめ

エッセイストとしても、高い技量を持っているロッパさん。
日記がとっても面白いのですよ。
昭和10年代の演劇界が垣間見れて、なかなかおもしろいです。
今では絶対生存できないであろう、はちゃめちゃな俳優さん。
戦後に没落していってしまった理由も何となく解ります。
これからもロッパさんの日記を楽しんでいこうと思います。




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