松本人志さんvs文春裁判。橋下徹弁護士の見解への違和感

週刊文春が報じた松本人志さんの性加害疑惑。
本人の意に反した形で性加害が行われていたなら松本さんがしかるべき制裁を受けるのは当然だ。これは大前提だ。

この報道に対して松本さん側が裁判を起こすことについて、何人かの弁護士が解説をしている。
その中で橋下徹弁護士の見解で次のようなものがあった。

「文春は松本さんが性加害をしたとは書いていない。性加害を受けた女性が存在しているということを報じたにすぎないから免責されるのではないか」というものだ。

これは別に橋下弁護士が文春を庇っているとかではないし、実際文春にそのような主張をされれば、そのような女性の存在自体は本当だろうから文春の主張が通ってしまうのではないかということを予想したものだ。タイトルにある違和感というのは橋下さんの主張が間違っているということではない。

しかし、みなさんどうだろう。こんなものが罷り通っていいのだろうか。
松本さんの性加害が証明されない以上は告発女性は名誉毀損していることはもちろんだが、週刊誌はそれを拡散力の点で幇助していることになる。
ただ単に「そう言ってる人がいるから全国的に売り出される雑誌に書きました」なんて許されるのか。

その理屈でいくと、デタラメな告発内容だとわかっていても、「そのような被害を訴えている人はいる」ということ自体は事実だから問題ないことになってしまう。
しかし読者は、デタラメを垂れ込む女がこの世に存在するかどうかを知りたくて週刊紙を読むのだろうか。
そうではなくそのような告発内容が真実なのかどうかを知りたくて週刊紙を読むのだろう。
さもなければ有象無象のこの世の無数の出来事の中から、記者は何を選択的に取材し、「編集権の独立」などという御大層な理念のもと、何をどのように報じるのがふさわしいのか適切に判断しなくてよいことになってしまう。

あらゆる権力や忖度をはねのけて、さらには会社の上層部の意向に反してでも報じる価値があると判断するものはきちんと報じるということに意義があるからこそ編集権の独立なんてものがあるのだ。
嘘でもいいから「垂れ込む女がいた」という「事実」を報道するのは編集権の独立の理念に悖るのは言うまでもない。

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