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【ふしぎ旅】越後浦佐毘沙門堂

 新潟県、南魚沼市(旧大和町)に伝わる話である。

 昔、浦佐に杢市という按摩が住んでいた。
 ある冬の寒い晩、毘沙門堂の納所坊主、珍念に頼まれ、うす暗いお堂の中で一生懸命に珍念の体を揉んでいた。
 そのうち、杢市の顔が、だんだんに青ざめ、身体がブルブルと震え出したがと思うと、ギャーという声をあげて、ひっくり返ってしまった。
 杢市は珍念を揉んでいるうちに、珍念の骨組みが人間でないことが分かったからである。
 見破られたと知った珍念の顔は、見る見る変わっていった。
 口は耳まで裂け、目はらんらんと輝き、大きな牙が生えていた。そして、今にも飛びかかろうとしていた。
 その姿は何百年も生きてきた大きな山猫だった。
 山猫は、「今夜のことを人に話すと命はないぞ」と言って、闇の中へ姿を消した。
 この話は翌日、村中に伝わった。村人たちは総出で、夕方まで山狩りをして山猫をさがしたが、どこにもいなかった。
 そこで夕方、毘沙門堂へ引き上げ、元気づけのため、お堂を囲んで、押し合い圧し合いして騒いだ。
 その時、お堂の天井裏に隠れていた山猫が、この騒ぎにびっくりして飛び出した。
しかし、大混雑で逃げることができず、とうとう人々の足の下になって踏みつぶされてしまった。
 それが旧暦の一月三日の夜だった。
 それから村では、この山猫退治を記念して、毎年一月三日(現在は三月三日)に退治した山猫の皮を敷き、当時のことをしのんで、裸押し合い祭りを行うことになった。

小山直嗣、『新潟県伝説集成 中越篇』

 

毘沙門堂

 日本の代表的な奇祭(三大奇祭という話も)裸押合祭の起源となった話である。
 化け猫伝説の中でも、よく知られている話であるが、他の化け猫とは違い、猫が祟ったわけではなく、また飼い猫が年齢を重ねて化け猫になったわけでもない。
 何百年も生きてきたであろう大きな山猫とあり、言わば最初から邪な化け猫として描かれている。

普光寺 山門 仁王像

 話の導入として面白いのは、坊主を化け猫と見破ったのは盲目である按摩であり、盲目だったからこそ、目に見えない骨格の異常が分かったということだろう。
 なので、その後に口は耳まで裂け、目はらんらんと輝き、大きな牙が生えているということが、どうやって分かったかということは不思議なのであるが。

普光寺 入口

 さて毘沙門堂であるが、実際に訪れると、かなりの名刹である。歴史は古く、9世紀初頭、坂上田村麻呂の東国平定において建立されたとか。
 荘厳な山門をくぐると、山門の天井には江戸時代の絵師、谷文晁師の双龍図板絵がある。

普光寺 山門天井絵

 毘沙門堂は、正式には普光寺の毘沙門堂で、本堂は別にあるが、祭りの舞台となる毘沙門堂の方が一般的には有名なため、そちらの方が目立っている。

普光寺 巨木

 境内には、巨木なども多く歴史を感じさせる。

不動明王像とうがい鉢

 山門より廊下を進むと、「不動明王」像と「うがい鉢」がある。
 このうがい鉢、巨石をくり抜いてつくったもので、一つの石でできたものだと、国内最大だとか。
 裸押し合い祭りの際には、このうがい鉢の中に人が入り、水行を行うという。

うがい鉢

 残念ながら毘沙門堂の中は撮影禁止であったのだが、かつて実際に使われていた鬼瓦などが展示されていた。
 こちらの鬼瓦、伝説にちなんで、かつては猫の形をしていたとか。

 なんでも、瓦職人か寺の方が、ここは化け猫伝説で有名であるからと洒落気で作ったらしい。
 ちなみに瓦は、阿賀野市の安田瓦である。

阿賀野市の瓦ロードにある瓦素材で作られた猫


 現在は通常の鬼瓦であるようだ。

毘沙門堂 鬼瓦

 紹介している伝説では、裸押し合い祭りに関しては、化け猫退治からとなっているが、公式には、坂上田村麻呂の東国平定の際に、近隣の有力者や村人を集め、毘沙門天を祀り、士気を高めるための宴を開いたとされている。
 東国平定の際に、地方の豪族を、悪として、妖怪や鬼として扱うことは多々ある。
 越後の鬼、黒鳥兵衛などは、最たるものだろう。
 その際には、武将が退治したとなることがほとんどだ。

普光寺 参道

 ところが、この伝説では、そうではない。
 鬼退治の話などにあるような神様や仏様のご加護によって、猫が退治されたというわけでもない。
 ただただ一般の民衆が、景気づけのために、大勢で押し合い騒いでいたところ、落ちてきた化け猫を、いつの間にか、踏みつぶして退治していたとある。
 勇壮な祭りの初めの話とすると、物足りない。
 普通に将軍様によって始められたお祭りの方が聞こえはよい。
 大体、話を見直すと、山猫は按摩の杢市という者を脅しはしたものの、それ以外にはとりたて、害をなしていない。
 その他の者を殺めていたなどの悪事を働いていたという話でもない。
 だいたい、最初にも言及したが按摩の杢市なる者しか化け猫の目撃者はいないし、そもそも実際に見てはいないのだ。

普光寺 山門 天井絵

 こうなってくると、私の想像は、少々イタズラな方向に飛躍してしまう。
 裸押し合い祭りは、伝説が生まれる前から、もともとあった。
 祭りの際に、いつの間にか紛れ込んで人々の足の下で踏みつぶされて死んでしまった可哀そうな猫がいたのではないか、と。
 聖なる地である毘沙門堂、それも神事であるお祭りの時に、猫とは言え、命を落とす者が出たとなると不吉である。
 懇ろに供養するのもよいが、いっそ、猫は化け猫で、祭りの衆がそれを退治したという方が、より祭りを活気づけることになるのではないか?
 そんな考えで、この伝説が出来たのではないか。
 などと考えると、可愛そうな猫の話になるわけだが、話が化け猫にしても、猫にしても、墓などが無いのが、少々気になるところではある。
 さらに妄想を働かすと、祭りの日に興奮した子供達を寝かしつけるための作り話なのかもしれない。
 早く寝ないと、化け猫が祟って、子供達を襲うよ、などと、よく言いそうではないか。
 だとしたら、勝手に悪役にされた猫も迷惑な話ではあるが。

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