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【ふしぎ旅】逆さ竹

 新潟県新潟市に伝わる話である

 親鸞聖人が越後へ流されたのは承元元年(1207年)で、35歳の時だった。
 聖人は赦免後、鳥屋野に草庵を建て、下越地方を布教して歩いた。
 その頃、結婚歴のある親鸞を破戒僧と見なし、その教義も邪教と思い込んで、誰も相手にする者はなかった。
 ある時、聖人は鳥屋野でいつものように説教したが、誰も相手にしないので
 この里に親の死したる子はなきか
 御法の風になびく人無し
という和歌を一首詠み、手にしていた竹の杖を上に立て
「この竹が枯れれば、私の説く道が仏の教えにそむくものだが、もし根付いて枝を出したら、私の教えを信じてください」
と言って立ち去った。
 ところが、この竹は根付き、すくすくと伸びた。
 そして5,6年後には立派な竹林になった。
 この杖は逆さだったので、枝は全部下向きに出た。
 これを見た村人たちは聖人の法力に驚き、信者になったという。
 これが越後七不思議のひとつ、「鳥屋野の逆竹」である。
 この草庵の跡に元和年間、大きな寺院が建立された。
 これが現在の名刹、西方寺である。
 「逆竹」は寺宝として保存され、竹林は天然記念物に指定されている。

小山直嗣、『新潟県伝説集成下越篇』
逆さ竹 竹藪

 越後七不思議と呼ばれるものの中でも有名なものの一つだろう。
 宗教の奇跡的な話というと、強力な法力で妖怪を退治したとか、悪者をねじ伏せるなどとするものが多いが、越後親鸞の七不思議は、死んだ鮒を生き返らせたり、竹の杖を再び甦らせたりと、生命の再生に関するものが少なくない。
 自分のすごさでは無く、弥陀の力によって、命そのものの有難さを説く親鸞ならではの奇跡だろう。

逆さ竹

 逆竹は竹の中でも淡竹が、枝が枝垂れ状となり、成長する変異種であり、今も西方寺付近に存在する。
 とは言え、伝説のように竹林全てがというわけでは無く、比較的多く存在するというほどのものではあるのだが。

 逆竹の藪は、現在公有地として整備されている。
 訪れると、住宅街の一角に、そこだけ別世界と思うほどの広い竹林があり、驚かされる。
 逆さ竹と呼ばれる竹には、目印があり、分かりやすくなっている。

逆さ竹

 確かに竹の枝が反対向きにしなって出ている。
 枝に雪が積もるとこんな感じで限界まで笹の枝はしなる。
 非常に雪が降る新潟だから、こんな変異種が生じても、かえって幸いと枝が折れずに、その種が生き延びたのかもしれない。

親鸞像

  笹薮の中心部あたりには、親鸞像が立ち、その旧蹟を伝える。
  その昔より、人々の信仰の拠り所となっていることが分かる。

西方寺

 一つ、訪れる際の注意としては、夏に訪れるのは避けた方がよいかもしれない。
 夏の竹林というと涼しげではあるが、それ以上にやぶ蚊の数が多い。
 昔ながらの天然の竹林であるせいか、通常の蚊よりも、激しく血を吸ってくる。
 あるいは、この蚊も親鸞聖人の霊力を受け継いでいるのかもしれない。

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