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バズりを狙わず好きな事を描こうよ

 私は、元々他人に対してあまり興味が無いタイプの人間でした。

 私のnote記事も“他人について書く”という事は少なかったと思います。どちらかと言えば自分語り寄りです。

 そんな私がnoteを書き始めたのは昨年の4月からです。それから40本ほどの記事を投稿しました。

 当初のnoteの目的は、当時精神的に不安定だった事もあり“誰かに読まれる”という事を重視するよりかは“私に何かがあった時用の記録”という感覚で書いていました。

忘備録や突き詰めて言えば遺書というニュアンスの方が強かったと思います。

 それが次第に週一投稿として習慣付くようになり“誰かの人生の些細な提案や気付きになって欲しい”という気持ちでnoteに取り組むようになりました。

 そういう気持ちで取り組んだ私のnoteにいいね!を付けてくださる方や、フォローして下さった方もいらっしゃいます。本当にありがたいですし、継続の励みになります。  


 そんな中で、色んな方のnoteを読んでいると“自分語りの記事はつまらない”という意見を私は結構目にします。

 そもそもnoteというコンテンツそのものが、著名な方というよりかは、どちらかと言えば“どこにでもいる普通の人”“趣味”“記録”“脳トレ”として書いている人の方が多いです。 

 なるほどそう考えてみると、私のnote記事ような“自分語り記事”“どこにでもいる普通の人の体験談”なのですから、そういうコンテンツに対して読者が共感を得たり、興味を引き出させるという事は難しいです。だからこそそう言った記事の大多数はつまらないとバッサリ読まず嫌いされてしまいがちというのも頷けます。

 そもそも“自分語り記事”というのは、元々の性質が、心理学上としても自分の身の上話を書き連ねるというのは気持ちの良い(自分に酔う)行為なので、最も書きやすいネタと言っても過言では無いです。

 要は何百回と同じ昔話をする上司と同じような心情という事です。

 しかし、一方で私のように“他者との考え方の違いに触れる”という事が好きな方は自分語り記事や提案記事に興味が湧くというのも事実です。

 きっと私の記事を読んでコメントやいいね!を付けてくださる方はそういう趣味をお持ちの方と思います。

 そして、全てのそういった記事がつまらない訳では絶対に無いので“自分語り記事”を否定する資格は誰にも無いと私は思うのです。


 そもそも“自分語り記事”と一括りにしてしまうのも勿体無い話では無いかと私は最近思うようになりました。

 例えば“完熟したトマトは赤色である”という記事があったとしましょう。それだけの内容で完結してしまえばそれは“周知の事実”で終わってしまいます。

 それをさらに根深く掘っていくというのが“自分語り記事”では重要だと思うのです。

 完熟したトマトは赤色である。それは果実の成長過程で葉緑素が分解されて、その代わりにリコピンという成分が生成される為である。また、赤色という植物の中でも派手な色をしているのは、トマトの実をを食べてその種を運んでくれる動物に見つけてもらいやすくする為だ。生存戦略の一環とも言える。そして、トマトはその赤い色が鮮やか・濃い方が味が良いという訳では無いようだ。トマトを裏側から見て筋が多い方が味が濃くて美味しいらしい。これは私の祖母から教えてもらった事だ。
 余談ではあるが、祖母とトマトの話では私の幼い頃にこんな思い出話も〜……

 と、“記事内容に対してのある程度のエビデンス”“それにまつわる自分語り”を織り交ぜる事によって“読み応え”が出ると私は思うのです。

 また、例えばこの例文を書いた方が野菜にまつわるエピソードが多いとすれば、そう言った記事を投稿し続ける事により、その人らしい記事という“特色”も生まれます。

 私の場合は電子機器の普及により失われつつある“かつてそこにあった筈の風景”について記事にする機会が多かったと、自分の投稿を見返して気がつきました。代表的なnote投稿を貼り付けますので、お時間ある方は読んでいただければ幸いです。

 また、この記事は他の記事に比べると閲覧者数も多かったので、きっとこれが私のnoteの“色”なんだと思うようになりました。


 さて“自分語り記事”“自分なり”に語ってみましたが、これはあくまでも私の勝手な分析です。まさにこの記事そのものが“自分語り記事”です。

 個人的に私のnoteへの取り組み姿勢は“継続”を重視しています。

 曲がりなりにも私もnote執筆者という一端も一端の創作活動をしている者です。

 創作活動の原動力というのは“描きたいものを描く”という事に尽きると思います。

 いいね!が付きやすい記事、バズりやすい記事、それは必ずあります。

 しかし、そういう部分だけを見て創作活動に取り組んでしまうといつの間にか“描きたくも無いものを無理に描いている”状態に陥ってしまいます。

 そうして、その状態になると創作意欲が削がれ、いずれ取り組めなくなってしまいます。

 創作活動で大事なのは“その人の色”だと私は思うのです。

 年始早々“自分語りはつまらない”という記事を連続で目にして慌てて身の回りの人に着目しながら描いたことも無いようなものをネタにしようとして、途中でキーボードが叩けなくなり、なんとかしなければと自分の投稿してきた記事を読み返しながら、今回の思いつきました。

 描きたいように描き、それを続けていく、そうしてそれがその人の色となって、その色で描くものが見たいと言ってくれる人が現れるようになる。

 時間は掛かりますが、この流れが1番素敵な創作活動の形だと私は思うのです。

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