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●Twitter発信動画についての所感その④:定義の大切さを見失わない

どうも、いつの間にかYouTubeのおすすめ動画欄がゆっくり解説動画で埋まってしまったテツです。

今回も今回とて動画解説で記事を書いていきます。

僕が動画制作を始めた頃、ソフトの使い方などの解説サイトはよく見ていました。

しかし、本当に知りたかった「これを作っているとき、どう考え、そこに行き着いたか」という発想の展開方法は、語られていることが少なかったです。

編集スキルと比べて為にならないと、思われていたんですかね?僕的にはどちらも同程度価値があると思っています。

動画編集は誰でもできるようになった今の時代、本当に語られるべきなのは、何故作ったのかではないでしょうか?

今回もそんな思いで、技術的な解説は配付する編集ファイルに任せて「なぜそう思ったのか」について動画解説をしていこうと思います。

では、今回の動画です。

https://twitter.com/EIzo_human/status/1620397467018870788?t=XD_w3csHTR73WcOlvKPtYQ&s=19

この動画を作ったときの心境はよく覚えています。他とは動機が全く違いますからね。

この動画群を作る動機、それは情報発信にツイートだけではなく、動画を用いたかったからです。

#文字PV で検索すると、とんでもないクオリティの動画が多数ヒットします。

僕が知る中で最もクオリティの高い動画群を持つTwitterのハッシュタグのひとつです。

僕は明らかなスキルやセンスの不足に直面したとき、真っ向勝負を避ける傾向があります。

どうより凄いものを作るかよりも、どう差別化していくかを重視するということですね。

これは良し悪しです。差別化できるかどうかもやってみないと分かりませんし、そもそもとして元の概念から離れることになりますから。

今回の動画は、僕の動画がやりたい事を重視しすぎて、元の#文字PV の概念からあまりにも離れてしまったな、と思ったから作りました。

元の概念の本懐である、歌詞と動画の同期ですね。

動画のジャンル、テーマを越えた動画というのは、中々作れるものではありません。

例えば「動画」と「映画」の何が違うかと言えば、撮影方法、制作費、キャスティング、映画館への手配、規模など、様々な定義があると言えます。

それまでは動画はあくまで動画ですし、映画を超越できるものでも無いと思います。

だからこそ、ジャンルを超越したものを作ろうなんて驕った考えは一旦捨てて、元のそのジャンルは一体何を表現したいんだろうと考え直す必要があります。

媒体の概念を越えるとなると盤外戦術になりがちですしね。それこそ以前述べた「奇人ぶる芸術家」タイプに走りがちです。

最後に、では実際に映像の概念を超越したものとは何なんでしょうか?

近代アートの金字塔であるアンディー・ウォーホルが制作した映画に「エンパイア」という作品があります。

内容は、8時間もの間、全く同じ場所からエンパイア・ステート・ビルディングを撮影しただけのものとなっています。

ええ、マジです。

それくらい「動画」や「映画」の概念を越えることは難しく、見ている側が苦痛にならないためにも、いかにジャンルの本懐を見失わないことが重要であるかがわかります。

↓今回のaepファイル↓
https://xgf.nu/HpnR4

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