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【神の君とは】 大河ドラマ 「どうする家康」 第48話

優しくて卑屈な、か弱き者たちの国

現代を生きる我々に対するピリリとしたメッセージが込められた前半と、家康の最期をきちんと描く後半という、60分延長版の最終回でした。三成といい、茶々姫といい、最後のセリフが逐一ボディブローのように効いてきます。

戦を終わらせるために戦をする。人殺しなど誰もせずに済むように、自分は人殺しを続ける。この矛盾を、晩年だからこそ痛烈に感じてしまう家康の孤独さが、大阪の陣には溢れていました。

「魔界転生」状態になってしまった秀頼くん、「愉快な乱世」の犠牲となった生き霊のよう。美しいから余計に妖艶な魔界感が増していく。

万事長きものに巻かれ、
人目ばかりを気にし、
陰でのみ、あざける。

自分に対しても向けられているであろう茶々様の最期には、瀬名ちゃんとの対比も感じました。あれだけ沢山の死に囲まれて、「私は生き切った」と死んでいく茶々さまと、静かにただ1人だけで、同じく首を切った瀬名ちゃんの命の使い方。2人はどこで道を違えてしまったのだろう。

当事者の時間では分からないことが、生きるということなのかも知れません。私もそう。振り返ってようやく意味が分かることばかりです。振り返っても意味なんて皆目分からないことは、それ以上に。

頼朝にしたって、実のところはどんなやつか分かりゃしねえ

このセリフで小栗旬くんだとようやく気づきました!分からないよ、これは!香盤も無かったから、余計にサプライズでした。公式アナウンスもあったのになあ。

その小栗天海さんの登場に「吾妻鏡」も「源氏物語」もきっちり盛り込み、前後のバトンを渡し、鯉の話を大回収して終了です。どんだけロングパスよ、古沢さん。

お福(春日局)が家光の3代目確立を駿府に直談判しに来たことを、そうとは言わずにさりげなく挟み込み、徳川家の安泰を示唆したところで、老人家康の生き様は(ほぼ)終了。

本当のラストは、家康が息を引き取る直前の、走馬灯の中の一コマです。信康くんと五徳ちゃんの祝言という大きな慶びの場で、殿大好きな家臣団全員で鯉を食べ、みんなでエビ掬いして。こういう日常こそ、守る価値のあるものなのです。争いごとが全てなくなるなんて、夢物語なのかも知れないけれど、「たかだか数十年の平和」(ヤン・ウェンリー)が、ずっと続くことを願うくらいはしていたい。

大河エントリーを読んでくださっている皆様、今年も1年、ありがとうございました!

明日も良い日に。




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