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【おかしきこととは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第6回

俺たちの影は、みな同じ方を向いている

悪役って、鮮烈な真実を述べることがありますよね。兄を傷つけようとして、道長は父の裏の思いを兄に直接ぶつけます。道兼は一瞬傷ついた顔をしますが、すぐに、「父のためなら幾らでも泥を被る」と切り返します。その上で、泥を被っているのは自分だけではない、と耳に痛い一言を返すのです。道兼は道兼で、切れ者なのです。その能力を他に活かせたら良かったのにね。

苦手は苦手、ということで参りましょうか

苦手は克服すべきもの、と思われがちですが、まずは、苦手がある自分を受け入れることから全ては始まるのです。

例えば私。人とのコミュニケーションが苦手なのです。でも、それを隠した上で克服しなければ、と思うのではなく、「私は、人と話すのが苦手なのだ」とまずは丸っと受け入れる。だったら人と接しない生き方を選んでもいい。または、少しずつ話してみるをやってみてもいい。そこから選択肢は広がるのです。

内裏でのお仕事は、鈍いくらいでないとね

内裏での噂話と企み事がさらっと描かれていたのだけれど、登場人物の絡み具合的にはかなり多くのことが表現されていたように思われます。

唯信と公任を取り込もうとする花山天皇側近の義懐(よしちか)。帝を支えるにあたり、相手が義懐なら父の方がまだマシ、と義懐の暗躍を兄上にタレ込む道長。友情とは…?

結果、漢詩の会での采配を目の当たりにして、道隆についていくことを決める唯信と公任。電光石火の手のひら返しすぎて、正直、一回見ただけでは頭がついて行けませんでした。まだ名前がうろ覚えなことも大きいのだけれど。

その花山天皇の寵姫忯子さん、兄からの頼まれごとを伝える前に、早々にお隠れ遊ばしてしまいました。「ご寵愛がすぎる」と噂されていたのは2話くらい前ですが、婚礼の日の緊縛プレイを経て、どんなプレイが過ぎて、早逝なさることになったのだろう… 

漢詩の会に戻ります。

清少納言の読み方が、「せい 小納言」なことに驚きましたが、漢字で書くと確かにここで分けるのが正しく感じます。慣れるまで少し時間がかかりそうですが。

その漢詩の会で再会した道長からの歌

ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに

調べました。

ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 今はわが名は 惜しけくも無し

万葉集

道長の歌では、恋しき人に会いたい、という気持ち。その元だと思われる万葉集では、あなたの為なら自分の名(立場)を捨てても惜しくない、と言う歌です。道長、漢詩は不得意とか言ってたけど全然不得意じゃないじゃない。門前の小僧状態で教養とは身に付くものなのかしら。いや、やはり地頭が良いのだろうなあ。

漢詩の会の漢詩については… ええっと、私も漢詩は… ゲホゲホ。ほら、直秀も言っていたじゃないですか。「おかしきことこそめでたけれ」って。大変な日常を忘れたいので… 今回は調べません!(こじつけの開き直り)

盛りだくさんな回でした。

明日も良い日に。

追伸:
本文に入れられなかったちょっとしたツッコミ:

1) 水鏡の道長、少女漫画?
2) OPクレジットラスト、まひろは何に驚いたんだろう?
3) 父上「お前が男であったらのう」何回言うんじゃ、このボケがー。

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